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「教え子の能力を飛躍させる指導論とは?」五十嵐選手第2回

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《 加 》 こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今回は、ボクシングのフライ級元世界チャンピオン、五十嵐俊幸選手をお招きして、お話を伺います。

《 五 》  色々な人と話をしていて、怒って選手を怒鳴りつけて、ああだこうだって言わなきゃ分からないという論もあるとは思うのですけれど。そういう風な、そういう感情的になって教えるから、選手がイメージできないというか言われている事を。もっと同じ目線で、これはこうだよという具体的な例を上げて教えてあげる事によって、イメージが出来て体得が出来るのではないかなと思います。

 自分がその立場に立った時に、なぜそうするのだろうと考えたら、一流では無かったのだなという結論に行きついてしまうのですよね。残念ながら。

《 加 》 何と言うのですかね。習いに来る方々も、五十嵐選手の様に凄いやる気がある方々は、指し示すだけで良いかもしれないですけれど。もしかしたらやはり学校の先生とかって、ボクシングはやりたくないのにちょっと親がやれって言うからとか、何か勉強しなければいけないから勉強をしているだけだけらとか。全然やる気が無い人を教えなきゃいけない、この先生の立場というのも、もしかしたらあるのかもしれない。

《 五 》  それはそうですよね。ちょっとそこはまだ自分が到達していない未知の領域なので、そこの部分を当事者達に言われたらやはり、自分は何も言わなくなってしまう。

《 加 》 たぶん、五十嵐選手の様に今凄くモチベーションが高くなっていて、モチベーションを持たせるというのも、一流の指導者の役割かもしれないですけれど。でも、その佐々木先生が野球部の先生だったら、もしかしたら野球の選手になってたかもしれないですね。

《 五 》  どうですかね。またちょっと話が変わるのですけれど、ボクシングをやっていて、良く身体能力高そうだねとか言われるのですけれど。意外と身体能力は低くて。

《 加 》 そうなのですか?

《 五 》  ボクシング以外が出来ないのですよね。野球とバスケットをやってきたと言っていたのですけれど、凄く下手くそで。もう常に補欠みたいな感じだったのですけれど。大学生の時に、アマチュアの全日本のメンバーの時にも、身体能力を測るテストみたいなのをやった時に、信じられないくらい低い数字が出てしまっていて。研究所みたいな所の研究員の人に、良くボクシングやっているねと言われて。

 良くボクシングやっているねもそうだし、ボクシングを始める時に、親にもやはりお前がボクシングを出来るわけないだろうと。兄貴が2人いて、男3人の一番下なのですけれど、兄貴2人は凄く勉強も出来て、スポーツも出来て。何でも出来る万能型だったのですよ。でも、僕は勉強も出来なくてスポーツも出来ない。何をやってもダメみたいな烙印を押されている雰囲気があったのですよ。その中で、ボクシングというものに出会って。自分の生活が本当にぐるっと変わってしまいましたね。

《 加 》 もしかして、今までのボクシングを教えている先生からすると、予想外の生徒だったかもしれないですね。もしかしたら、今までのボクシングの指導者がこういうボクサーにしたいという事で、凄く鬼軍曹とかだったら、五十嵐選手は伸びなかったかもしれないですよね。

《 五 》  本当にそうで、西目高校で佐々木先生じゃない指導者だったら、僕はたぶんボクシングを辞めていたかもしれないし。

《 加 》 常識的じゃない所で勝っていったわけですものね。常識的というか今までで、研究所の方がびっくりするくらい。

《 五 》  本当にそういう偶然のめぐり合わせにも恵まれて。ボクシングというものにも出会えたし、ボクシングで佐々木先生という人だったから、僕は大学でプロで続けられた。大学に入って、東京農業大学という日本でトップクラスの大学に入ったのですけれど。各地方の名門校からエリートをスカウトしてくるのですよ。

 その中で、僕も一応スカウトされて農大に入った時に、各地の名門校出身の選手たちに、高校の時にどういう練習をやっていたという話を、皆するわけですよ。ちょっと考えられない、想像を絶する、俺はその学校だったら辞めているなという。やはり、あの西目高校という場所だったから、僕は続けられたのだなという。

《 加 》 常軌を逸したボクサーというか、ちょっと常識的では無いボクサー。

《 五 》  ちょっとボクサーとして常識的では無いという、先生が以上に厳しいという。ここでは言えないような、指導方針だったりとか。

《 加 》 だから、指導する先生がそういう風にこういう形だと決めつけられて、こういう形になろうと厳しくしていくと、五十嵐選手は光らなかったかもしれないですね。五十嵐選手の良い所というのは、かつての人からは理解できない所に良い所があったわけで。

《 五 》  そうだと思います。

《 加 》 新しいタイプというか。凄いですね。それも何かその、指導者の理論、指導者が考える指導論というか、それを考える上でも勉強になりますね。

《 五 》  自分が触れ合った人の指導方法の参考というか、見た事はなくても話を聞いて、あぁ、そういう物もあるのかと。良い物は自分の財産として、また自分が教える立場に立った時に、こうやってあげたいなぁと思ってきているので。

《 加 》 インターハイを優勝されて、オリンピックに行かれたのって高校生の時ですか?

《 五 》  いや、オリンピックに行ったのはですね、2004年の大学3年生の時ですね。

《 加 》 凄いですね。結局、オリンピックに行く候補生がいっぱいいらっしゃった中で、行けたのが五十嵐選手だった。

《 五 》  候補生というか、ボクシングには階級があるのですけれど、9階級代表がいたのですよね。ライトフライ級って一番軽い階級からミドル級まで9人、日本代表が選ばれて。その前に、国内の全日本選手権を、要するに国内のナンバーワンを決める大会があるのですけれど。そこの成績を参考に、代表を先行して選んだのですけれど、予選が始まる前の年の全日本選手権で優勝した僕が、日本代表として、アジア予選に参加して。

 そこで一応、勝ち抜いては無いのですよ、実際のところ。オリンピックには出たのですけれど、予選では勝ち抜けなかったのですよ。一次予選で、一回戦で負けて。二次予選、三次予選で、準決勝までいったのですよ。残念ながらその、正規の選手枠から漏れてしまったのですけれど。一次予選で通過した、パキスタンかその辺の国の選手が怪我で欠場という事で、枠が一個空いて、繰り上げで出れるという。凄いラッキーを貰って、それで出て。結果は、一回戦で負けてしまったのですけれど。出たというのは、一つの財産になりましたね。

《 加 》 オリンピックに出たというのは、凄く良い経験ですよね。

《 五 》  まぁ、普通は経験できないですものね。

《 加 》 東京農大を卒業されて、基本的には会社に就職しようという方向で行かれたのですか?

《 五 》  2006年の3月に大学を卒業したのですけれど。2007年の秋に、国民体育大会が僕の地元の秋田県で開催される予定で、僕的にはそれを最後に引退しようと思っていて。プロにならずにアマチュアで続けるつもりで、最初はいたのですよ。まぁ、卒業する直前になってちょっと、色々と地元の連盟の方と上手く連携が取れず、アマチュアで続ける事が出来なくなってしまって。卒業と同時に、プロへ転向という形になりました。

《 加 》 そうなのですね。

《 五 》  もともとは、プロをやってみたいという意思があったのですけれど。やはり親に強く反対されまして、なかなかそんなダメだと言われているものを無理やりやっても、後々、人間関係がこじれたりしたらというのもあって、断念するつもりではいたのですけれど。いざ、その場になってみたら、プロにいかざる終えなくなってしまって。それもまた運命というか、めぐり合わせだったのかなという。

《 加 》 流れ的に、やはりそういう流れになっていたのですか?

《 五 》  そうですね、はい。実質、ボクシングだけでやっていこうと思っていたので、就活とかは一切やっていなくて。それが、アマチュアが出来なくなったとわかったのが、卒業の2週間くらい前だったのですよ。今からやっても、就活はどうにもならないじゃないですか。それで、同じタイミングで今所属しているジムから、プロになるのだったらうちのジムに来ないかという声がかかったので。じゃあ、そっちで世話になろうという事で、両親も渋々というか、もうせざる終えない。

《 加 》 ご両親はどの点でダメだとおっしゃっていたのですか?ダメだったのですか?

《 五 》  いやぁもう、最初からダメでしたね。プロもうダメだという。

《 加 》 プロと聞いた時点で?

《 五 》  高校2年生位の時に、最初に言い出したのですけれど。ちょっとボクシングというものに自分は手応えを感じて、出来るのではないかなという思いがあって。卒業をしたらプロになりたいというのを親に言ったら、プロは絶対にダメだと言われて。2年生の段階で、大学の方からスカウト、声がかかり始めたので。せっかく大学にいけるのだから、大学に行けという事で大学に入って。

  大学の最中も、何度かプロに行きたいとは言ったのですけれど、やはり親は変わらず。やはり体の事を心配していたのだと思うのですけれど。プロは絶対にダメだという事で、ずっと拒み続けられていたのですけれど。いざ、卒業の直前でそういう状況になってしまった以上、そういう話があるのだったらしょうがないというか。そういう感じで、プロに転向しました。

《 加 》 今は、アテネオリンピックとかアマチュアでされていて、最初に入られたジムというのは帝拳ジムという所?

《 五 》  はい、ジムはもう大学卒業して帝拳ジムに入って、ずっとお世話になっています。

《 加 》 プロとアマチュアは、全然違かったですか?同じでしたか?

《 五 》  違いましたね。当時のルールでアマチュアは、3分ラウンドで、良く代名詞でヘッドギアというのを着けて、プロがヘッドギアが無くてグローブも一回り小さい物という、大きな違いがあったのですけれども。

 まずやはり、デビュー戦で外国人が相手だったのですけれど、レベル的にはそうでも無い相手だったので。結果的にも、3ラウンドKOで問題無く勝ったのですけれど。やはり、ヘッドギアを着けずにリングに上がった時の緊張感は、アマチュアとは全然違うなと思いましたね

《 加 》 入った時の練習とかその雰囲気とかに関しては、どうだったのですか?

《 五 》  そういう物に関しては、特に大きな違いは感じなかったのですけれど。やはり試合で後楽園ホールのリングに上がって、ヘッドギアが無い状態で打ち合うというのは凄い、多少の恐怖感はありましたね。無い事によってもろに衝撃がくるし、やはり打ち合ったりすると頭と頭がパッティングがあるのですけれど、その時の音というのが、ゴツンという音がして。痛いし、後は傷いっぱいあるのですけれど、カットしやすくなっているので。そこがやはり全然違うなと思いましたね。

 あと、試合を重ねていくうちに、日本ランカーとか上位ランカーとかと対戦する時に、気持ちの入れようが違うなというか。技術的には全然僕の方が勝っているのに、相手の気迫がすさまじくて。それに飲まれそうになってしまった事とか。そういう事が何度もあって。技術だけじゃない、勝負の世界がそこにありましたね。

《 加 》 結構、精神的な物が。

《 五 》  精神的な物が物凄く大きいですね。スパーリングで凄く良いスパーリングが出来る選手がいても、試合になるとまったく力がだせなくなる。本当にそういうのが実際にあるので、それもそうですし。この選手とこの選手が試合をする。能力的に言ったら全然こっちの方が強いのだけれど、いざ試合をしたら、完全にこっちの方が気迫に勝っていて、飲み込んでしまったという試合も全然ありえる世界なので。技術や体力だけでは無い。気力というものの大切さや大事さを、プロになって初めて知りましたね。

 アマチュアの頃というのはやはり、3分3ラウンドと短いので。技術と体力で乗り切れてしまう部分はあるのですけれども。プロはやはり、4回戦、4ラウンドと6ラウンド、8ラウンド、12ラウンドとあるのですけれど。長いラウンドになればなる程、気力の充実度が必要になってくるので。

《 加 》  全然違いますね。3ラウンドと12ラウンドで。で、ご自身でプロの世界に入られて、ぶつかった壁的な物って何かありますか?

《 五 》  僕はその、アマチュアのキャリアを持って、なりもの入りでプロに入ったのですよ。そしたらやはり、対戦する相手の日本人は、やはりこいつを倒せば一気にスターダムに登れるみたいなかんじで、目の色を変えて向かってくるのですよね。そこですね。さっきも言った気力。技術では勝てないけれど、こっちにはその経験と体力と気力があるのだというのが、ガッとかかってくる様な、喰ってかかってくる様な。迫力で攻めてくる選手がほとんどだったので。それに適応するというのまで、凄く時間がかかりましたね。

《 加 》  それはどうされたのですか?

《 五 》  やはり、試合数をこなしましたね。8戦目で、日本タイトルを取ったのですけれど。正直、その頃もまだやはりプロになれてたかというとそうでは無かったですね。10戦目を超えたくらいから、ようやくプロのリングという、プロの闘い方に順応してきたかなと、自分でうっすら思えるぐらい。最初の頃はやはりどうしても、ヘッドギアが無い。グローブが小さい。ラウンドも長い。で、相手は常にもう喰ってかかってくるわけじゃないですか。そういう気迫に押し負けそうにな時はありました。

《 加 》  気持ちをこう強くする、何かトレーニングというか。ご自身の中でそういう練習法というのはあったのですか?

《 五 》  まぁでも、一番大きかったのが経験だったので、試合数もあったのですけれど。後は、一時期から取り入れる様にしたのは、イメージトレーニング。そんなに難しい物では無いですけれど、試合当日の控室で、どういうラウンドアップをして、リングに上がってお客さんがどのくらいいるのかなとか。遠くを見たりとか。で、試合が始まってからのパターンを、 2つ自分の中にイメージを作るのですよね。

《 加 》  それって、ボクサーの中では結構、一般的な事なのですか?

《 五 》  いや、あまりやっていないと思います。我ながら、凄く良いアドバイスをしているのではないかなとは思います。

《 加 》  凄いですね。言ってしまって良いのですか?

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