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姥捨山の本当のところ、姥捨山は崇高な行為??? 死生観を考えることとは? 第5回

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《 加 》      よろしくお願いいたします。今回は、僕自身が、江崎さんのこの本を読ませて頂いて。その癌と日常と、社会保障の問題と。あと、糖尿病とかの問題に関して、まさに当クリニックがさせて頂いていることなので。ぜひ、ちょっとお話を伺いたいなと思いまして。今日は、お呼びいたしました。ありがとうございます。

《 江 》      こちらこそ、ありがとうございます。医者というのは元々やはり、治すというよりもむしろ、導くというのかな。身体がどうであるのかということもありますし。例えばその、民間療法と言いながらも、実は今やっているその先端医療自体も、実はあまり変わらないのですよね。やっていることというのは。

 だから、たまたまそこの部分はそうだったかもしれないけれども。それは身体全体の極一部のところが、例えば良くある、研究者と付き合っていると、これで全ての癌にいけますよ江崎さんと。そういう様な方もいるのですが。そんなわけはないだろうと。癌っていうのは、そんなに単純ではないぞと思うのですけれども。

 その人にとってみれば、自分のやっている実験の中では、癌は潰せると。それは、事実です。だけれども、それが全ての癌を語っているわけでは無いよという所ですよね。わかった上で。

《 加 》       ある条件があって。僕ら世代の医者って、エビデンスプレスメイスといったガイドラインがあって。勉強したことを、そのままやるという習慣があるわけですよ。

《 江 》      もちろん。

《 加 》       それが、医者の役割だと思っていて。医者としての本土だと思っているわけなんですね。その人の生き方まで踏み込むのは、宗教かという、ちょっとそういうなんかすごい抵抗感が、無意識のうちに多分、あるのではないかなと思うのですよね。

 昔の医者って、結構そういうところがあったと思うのですよね。祖父も医者だったのですけれども。やはりこう、患者さんに生き方を伝えるということも、もしかしたらあったのかもしれないのですけれども。今は、そこまでやるのが、何で医者にそんなことを言われなければいけないのと言われてしまう。ガイドライン通りにやれよという風な。クリニックでは、そうではないのですけれども。そういった風潮もあるのかなと思います。

《 江 》      そうですよね。この間、少し嬉しかったのがですね。私らのところでは、丁度オプジーボとて、副作用はでるし。22.9ってちょっと厳しめに書いてあるのですけれども。本庄先生がノーベル賞の受賞が決まった三日後に、名古屋の学会で。私が特別行員一で、本庄先生が二というこの。ある意味、最悪のシチュエーションが起きたのですね。

 それで、嫌だなと思いながら。オプジーボのフレーズに、やはりその人間の身体はバランスですし。抗がん剤というので、副作用はあるしという。いつもの話をした後に、本庄先生は何をお話しになるのかなと思ったら、半分以上は宗教の話をされていました。

 これは、ノーベル賞を受賞したから、宗教に走ったのでは無くて。やはりその人間は、運動と食事と、やはりメンタルなんですよ。今は、無くなってしまった。昔は宗教というのがあったので。やはり、後で議論することになる、死生観の問題では無いですけれども。やはりそれが、精神的なリラックスに繋がった何かがあったと。

 だから、オプジーボはやはり、免疫細胞がベースがしっかりとしていないと。解除をしても、それがしっかりと働かないので。なので、やはり宗教的な。信仰と言っていますけれどもね。そういったもので、やはり人間のバランスをしっかりと維持しないと、こういう最先端なものは効かないよという話で。繋がって良かったと思ったのですけれども。

《 加 》       宗教って例えば、言葉を変えると生き方だと思うのですよね。

《 江 》      そうですよね。

《 加 》       ちょっと日本人なんかでこう宗教とかを、知っている中かもしれないですけれども。宗教をやっている人って、そこで固定観念になってしまって。そこにすがってしまっていて。依存してしまっている人というのが、いるのかと思うのですが。本来の宗教というのは、やはり生き方を極めていくというか。磨いていくということですし。

《 江 》      そうですよね。

《 加 》       そこら辺のちょっと言葉の、普段の一般の日本人が受けるニュアンスと、その本庄先生が言われた宗教というのは、多分ちょっと違うと思うのですよね。

《 江 》      違うと思います。おっしゃる通りですね。だから、本当に藁にもすがる宗教では無くて。やっぱり自分の心もちを安定させるというかね。そういうものとしての宗教というか。信仰というのかな。それってすごく大事であって。その何々教と付くから、信仰なのでは無くて。

 私はたまたま、田舎育ちなので。何というのかな。高い山を見ていると、すごいよねと思うというか。逆に、自分の小ささが分かるという感覚という。これも一種の宗教だと思っていて。恐れる。良い意味でね。恐れおののくの恐れるというか。だから、自分が傲慢であればあるほど、例えば、自分の身体に対する謙虚さを忘れるじゃないですか。たいしたことないよ。俺は大丈夫だぜとか言って。いやいや、こっちは迷惑だとか思ったりしているわけですよ。

 だから、その自分が自然の一部であるということをね。これは要するに、聞けばわかるけれどもね。感覚でわかるというものの訓練が、結構大事かなと思っていて。昔は、それが信仰であり宗教であり。高い山を見たら、大きな木を見たら崇めるとかなんとかということの、相対化をするというプロセスが、実は宗教だったのではないのかという。

 そして、それが宗教をすればすれほど、全てが自分が中心であって。自分の言うことが正しいみたいな。言っちゃいけませんけれども、今の受験勉強しかしていない子どもたちが、ちょっとやばいぞというのがそうであるように。自分の言うことが聞かれなかったら、暴れるような奴というのは、そもそも自然の中だったら、ありえないだろうそんなのということも、実は身体との関係でね。色々なことに、やはり支障が出てきているのではないのかなという気がします。

《 加 》       その相対化というのは、どういう風 な相対化なのかというと、僕自身はその頭が良かった訳では無くて、能力もあったわけでは無いのですけれども。この完全な、無力というか。絶対に自分が、抵抗ができない状態。無力の状態みたいな、無力な物というか。絶対的に無力なものに、どう向き合うのかというところで、人間というのは磨かれてくるのかなと思っていて。それが自然であったり、宇宙であったりするのですけれども。

 絶対本来的に、こう自分自身が何の影響も与えない。影響というか、何の抵抗もできないものに対して、どう向き合っていくのかというので、自分自身が磨かれていくというので。そこで、こう生きる第一歩というか。そこで、死生観というのが生まれてくるのではないのかなというのはあります。

《 江 》      そうですよね。昔の人が立派だったと言われる一つの原因はですね。戦争と大病と、何と言ったかな。三つ経験している人は立派になると言われているのですよ。つまり、命の危険を感じた経験がある人というのは、やっぱりその先程話していた。最大緊張を知っているからこそ、リラックスも知っているというかね。そういうことというのが無くなっている。そして、このことが結構、危険かなと思っていまして。私の本の中でですね。死生観というものに対して、結構厳しく言っているのは、それは本当の死生観の話をしているのでは無いのですよね。

《 加 》       そうですよね。

《 江 》      この間も、ある先生がですね。死生観は大事だよと。死生観というのはね、アメリカでもね。色々と議論されていて、世界中にもう何年も積み重ねがあるのよと言っているのは、その死生観というのは違うよと。

《 加 》       言葉の定義がちょっと違いますよね。

《 江 》      それは、死んでくれと言っているだけの話で。死生観というのは、自分がどう生ききるのかという感覚のあとで。その結果として、どういう終わり方をするのかが、死生観なのであって。要するに、もう充分生きたから、早く死んでくださいみたいな死生観だとか。まさに最近言われているのが、医療費が大変だから。もう自分のね、その価値を考えて言うというか。もうそれは、死生観の話はしていませんよという。

《 加 》       ただその例えば、現場では、その呼吸が止まりそうな90歳ぐらいの方に、呼吸器をつけるかどうかというのは、難しい問題なんですよね。

《 江 》      いや、簡単な問題ですよ。だって、本人に聞いたら、生きたい人だったら付けてという風に決まっていますもの。これは、死生観なんてないのですよ別に。だって、人は死んだ経験がないので、どっちでも良いのだったら生きたいと思う。これは人間の本能ですから。だから、死生観と言うのはですね。その変な治療をされるぐらいだったら、辞めてくれとかね。

 そういう、矮小化された死生観が議論にしているのではないのかと思っていて。要するに、自分の人生の終わり方の時の死生観と言うのですけれども。死生観というのは、生き方の問題なので。

《 加 》       多分、生きたいと思ったら、入れてくれと言うのかもしれないですけれども。入れたらどういう生き方をするのかという所までは、考えていないのではないのかなと思うのですよね。

《 江 》      もちろん。もちろん。

《 加 》       だからそこは、やはり倒れる前に、こういう死生観というか。自分の死に方というか生き方というのを、ある程度、意思表示をしておかないといけないですよね。

《 江 》      いやいやいや。あの、これは凄く大切なところなので。この間、先生と大部分、異論がすれ違ってしまったのですけれども。例えば、その先生がこういう仕事をしてきて、自分の人生としては患者さんを助けてやってきたと。この人生の終わり方を、どう終わるのか。だからそこで、ジタバタするのも格好が悪いし。だから、出来ればこういう感じで終われると良いかなとか。

 あるいは、例えば、自分の最後の命をね。誰かのために使えたら良いかなとか。そういうのが、死生観なのですよ。それがそこまで、ずるずるずるときていて。最後に、おじぃちゃんになって、どう死にたいですかと。パイプは良いですか。悪いですかと。それの意思表示をしてくださいというのは。それは、死生観の話では無いだろうというのがね。

 それは、あくまでも死に方の問題の話であって。高いか低いかという話をしているだけで、それを死生観ということで、矮小化しているのではないのかというのが、私の想いです。だから、今言っている死生観というのは、金が足りないから、早く死んでくれというのを、死生観と言っているだけなのではないのかという。そういうことになってしまうのですよ。

《 加 》       じゃあ、金があれば。その人が生きたいと言えば、呼吸器を付けたりということですね。

《 江 》      だって、今までも、そういうことをやってきたじゃないですか。

《 加 》       そうですね。

《 江 》      だから、お金があるから出来るけれども、今になって何でそんなに突然、議論するのかがわからない。金がなくなったから、それは死生観では無いだろうという。死生観は金があったって、それはもう辞めると。こういう風に、自分は孫達にもこういう生き方をしろと言ってきたからには、自分が終わる時には、こうしないでくれないかと。

《 加 》       ごめんなさい、金が無いからそうするなというのは、ちょっといけないよという話ですよね。なるほど、なるほどです。

《 江 》      だから、今のでている、大体の死生観の本というのは、ほとんどがそこから来ている。あともう一つは、海外だと安楽死をするのかしないのかというところなので。ちょっと微妙に違うのですけれども。安楽死をしたいのかどうかというのは、本当は法律が無ければ、自分で死ねば良いのですよ。だけれども、それは法律がだめだから、死にたくても死ねないから、死なせてくれという話であって。それは本当は、死生観では無くて。見方の問題なだけなんですよ。

 だから、本当にその、何と言うのですかね。よく姥捨て山の議論が出てきて。その死生観がうんぬんと言っているのですけれども。前に、介護施設が姥捨て山なのではないのかという発言をしてしまい、私は凄く反省をしたのですね。もう1回、楢山節考を読み直しました。

 小学校の時に読んで、とんでもない社会があったのだなと。 自分の親を山に捨てるだなんてと思って。もう一回、読み直してですね。とんでもないことを言っていたと。本当に心からお詫びをしなければいけないと。これは今の介護施設がね、姥捨て山だなんて。心からお詫びをしたいと。姥捨て山に。

《 加 》       姥捨て山にですか。

《 江 》      姥捨て山というのは、最高の死生観なんですよ。つまりこれは何かと言うと、やはりこの家族で食べられる食料の量が決まっているから。子どもが生まれたら、赤ちゃんが産まれたら、一番上の者が身を引くのですよね。これは、最高の死生観なんですよ。だから、自分の命を譲っていくという行為なわけですよね。

 あれも半分はフィクションではあるのですけれども、その一番歳老いたお母さんが、家族のために食べられない自分の歯を折ったりとかですね。それで、その自分から山に行くという。なので、あれは悲劇でも何でもなくて。

《 加 》       あれは、自分から行っていたのですか。子どもが連れて行ってしまったわけではなくて。

《 江 》      違います、違います。あれは、ルールがあって。ちゃんとお祀りをするのですよ。お祝いをするんですよ。ルールは何かというと、山に案内する人がいるのですね。誰にも見られない、朝早く出ろというのと。絶対に口を聞いてはいけないという。つまり、一種の儀式なんですよね。それで、その最後には、雪が降る日は運が良いと言われていた。凍死することができるから。そして、絶対に、口を聞いてはいけないというルールがあるというのがあって。

 実はこれって、日本だけではなくて、エスキモーの子どもが乗ると、その部族の一番上の人が北に向かって歩き始めるというお話しもあるのですよ、もともと。その民族のお話しであって。なぜかというと、食料の数が限られてるから。自分の命をその子孫に譲っていくという。最高に崇高な行為が、実は姥捨て山なんですよね。

 もちろん、中には死にたくないと暴れる人もいますけれども。それと、今は、生きたいかどうかはわからないけれども。お金が続く限り、医療をやって引っ張ってどうのというのは。これを、姥捨て山と言ったら、こては姥捨て山が怒るぞということですね。

《 加 》       なるほど、なるほど。わかりました。そうですよね。だから、要するに、そこに問題が出てきているということは、そもそも元気な時から、生き方とか死への向き合い方とか。死生観というのを、考えていない国民だったから。最終的にそこに、問題が表出してきたということですかね。

《 江 》      というよりかは、むしろこれは、決して悪いことではなくて。そういう議論が、出来るようになったのです。

《 加 》       成熟してきてということですかね。

《 江 》      今までは、お腹いっぱい食べたいし。食べられないから、感染症になって死んでいただけの話であって。

《 加 》       一つのステージというか。

《 江 》      そうです、そうです。

《 加 》       一つのステップアップをする意味としては、そもそも僕らは、そういうことを考えていなかったという。それは、悪い事ではなくて。

《 江 》      いや、考える必要が出てきたという、素敵な時代が始まったということですね。

《 加 》       例えば、戦前とか明治などの、前の時代とかは、宗教とか天皇は神だとか。そういう軸があって、そこに死生観があったのかなと。

《 江 》      いや、そこはむしろ逆だと思っていて。死生観を持たざるを得なかったんだと思うのですよね。自分が死んでいく意味を、やはり倫理付けしたいというかね。人というのは。やはり死ぬのは、誰もが初めての経験であって。最初で最後の経験になりますから。やはり怖いわけですよね。その怖さに対して、どう向き合っていくのかという。

《 加 》       その全体的な常識レベルで言うと、日本人はもともと何かの軸があったのかもしれないけれども。その科学の法に触れて、一つそういうのは忘れて。また成熟してきて、そういうのが必要だなというステージに来ているという。

《 江 》      そうかもしれません。だから、要するに、昔は色々なものが足りなかったから。その宗教というものに頼って、自分の軸を頼らなければいけない時代があって。それが物質的に豊かになって、そんなことせんでも、別に生きられるようになってしまったという。稀有な時代ですよね。

 私の本にもある、丁度こう過渡期。 歪な社会なんですよ。そういうその、頼らなければいけなかった時代があって。一瞬、頼らなくても良いのかなと思ったのだけれども、やはり違うよねという。

《 加 》       やはり、そういう自分自身よりも、その手に負えないものに対して向き合うというのは、すごく大事だなということを、考えていかないといけない時代になっているということだと思うのですけれども。そこを、意識して考えことができると言うのは、多分、その昔よりは進化だと思うのですよね。

《 江 》      そうですよ。

《 加 》       昔は無意識のうちに、そこを信仰していたりなんかしていたのですけれども。

《 江 》      そうですね。そう思います。

《 加 》       ここは、進化だと思うのですよ。

《 江 》      そうですよ。

《 加 》       その進化というのは、僕自身は、意識していくことが進化だと思っていて。

《 江 》      なるほど。

《 加 》       たんぽぽは、たんぽぽの花が咲いて、綺麗だなと思って。自分自身を表現しているけれども、意識はしていないというか。1回、チューリップになりたいと思っていて。葛藤した上で、たんぽぽは凄い良いのだなと思って、たんぽぽが咲いてるというのは、すごくそれは人間にしかできない能力だと思うのですけれども。

《 江 》      なるほど。

《 加 》       そこが人間の、他の動物に対して、極端に強みだと思いますし。あの意識ができるというのが、 AI との違いだと思うのですよね。

《 江 》      面白いお題が始まったので、ここで一旦、ちょっとブレイクしても良いですか。無条件に病巣数は、三割カットとなると。そこにいないと生きていけない人なんかは、死ぬしかないということが、始まってしまいますよと。

相武台脳神経外科
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