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小川康先生が日本に帰ってきた本当の理由。第7回

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《 加 》    こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今日は、チャンネルSで、日本でたった一人のチベット医として活躍されています。小川康先生をお招きして、お話を伺います。どうぞ、よろしくお願い致します。

 日本の例えば、良い文化とかっていうのすごく、すごくあると思うのですけれど。日本人が自覚しにくいのって、離れているからなのかなと。そう言われてみて思ったのですけれど。

《 小 》    そうですよね。

《 加 》    外人と肌で触れにくいというか。

《 小 》    やはり距離感ですよね。

《 加 》    距離感が、海で離れているので、いないから。そういった部分で自覚しにくいのかなと。

《 小 》    あとは、やはりプライベートでも個室っていうものが、どこに行ってもありますし。ビジネスホテルに行くと、みんな落ち着くじゃないですか。チベット人は、あまり個室ってまったく重要視しないのですよ。ホテルに行くと、一人よりも二人の方が良い。なんで外国人は、シングルルームを望むのか。不思議に思っています。

《 加 》    そうなのですか。

《 小 》    僕も段々とそんな、感覚ではちょっとあるのですけれども。

《 加 》    値引きしてほしいとかではなくて。

《 小 》    それは、強要するんです。だから、凄くそうなんですよね。やはり人と人との距離感が離れてしまうと、そこに何だろう。知識が止まりやすいような気はします僕は。

《 加 》    じゃあ、それは学生時代中、ずっとこう学生時代にこう、話し合い話し合いを繰り返して。

《 小 》    そうです。もうだって、喧嘩しながらそこに、チベット医学と思われてくるような気がしていて。だから、僕が言いたいのって、チベット医学ってこの経典だよとか知恵と言いたいのではなくて、そこの社会の中にこの音の響きの中に生まれてくるもの。それが、僕はチベット医学という、僕は定義をしたいのですよね。

《 加 》    ダラムサラで、ダライラマ王さんのお寺があるじゃないですか。あそこで修行している方がいますよね。

《 小 》    はい、います。見られました?問答とか、こうやってパーンと。

《 加 》    あの正月に行ったので、誰もいなかったのですけれども。そこの方は、医学部とはちょっとまた別なのですか?

《 小 》    そうですね。元もとちょっと歴史を話すと、1959年以前というのは知識人。文字を読める、経典を読める人ってかなりお坊さんに限られていたのです。その中で、お坊さんの中で、この人は医学に向いているという人が選抜されて、医学僧院という所に行っていたのです。

《 加 》    お坊さんの中で。

《 小 》    そう、選抜されたことが多かったそうです。むしろ、自分の意思とは裏腹に。
《 加 》    なるほど。なるほど。

《 小 》    その中で、チベット医はどうも僧侶の人が多いという風に、Wikipediaとか見ると書いてあります。ただ、日本も元々、医者は僧医。僧医と言われまして、そういう決してチベットだけの専売特許では無いんです。ただ最近は、もう一般教養というものがこう広がっていて、俗人の人たちが今ほとんどが占めるようになっています。

 ただ、ダラママ法の例えば、お寺というとナムゲル。榑林茶さんとかナムゲル茶さんと言うのですけれども。仏教論理大学という、仏教論理大学から、メンティー館。私のチベット医学大学に入学してくる僧医はいます。ただ、その中に属しているとかというわけではない。

《 加 》    なるほど、ちょっと離れているのですね。

《 小 》    離れているということですね。

《 加 》    でも、組織としてはだいぶ成り立っているのですね。国というかそういう。

《 小 》    そうなんですよ。国という比護を受けなくても、いわゆる、言ってみればプライベートの団体と言えるかもしれません。
《 加 》    あの山のところとか。

《 小 》    そうですね。ただ、全職員実に600人から700人。インド、ネパール全土に55箇所の部員を持っているんですよ。

《 加 》    凄いですね。

《 小 》    これって奇跡ですよ。はっきり言って。何の国の後押しもなく、自分たちの力で。しかも、宣伝ってあまりしないんですよ。自然と、比較的にね。自然と広がっていったという所に、チベット文化の凄さって感じるんですよね。

《 加 》    一回こう京都に行かれて、また戻って来られて。そこから、凄いこう勉強を頑張ってこられてという感じだったのですかねまた。

《 小 》    そうですね。ある意味、もう迷いが消えて。チベット社会の中で、さっきもまぁここまでの話って何だろうという話の中で、知識を皆の中で自分が投げかける。それに対して、人が反応する。それがね、チベット医学の暗証試験なんですよ。キャッチボールなんですよ。それって言ってみれば、目をつぶって約8万文字。4時間半を僕は暗唱したんですけれども。それを100人の中にど真ん中に囲まれて、昔はなかったと思います。今は、ピンマイクを付けられて。郊外にまで流れるのです、僕の声が。外にも流れる。だから、僕がどういう。チベット八世紀から受け継がれている知識を、どのように暗唱する。どのように発表するかということを、みんなが目の当たりにするのです。

《 加 》    えぇ。凄いですねそれは。

《 小 》    だから突然僕はもう、最初のうちは凄く調子に乗ってもう。拍手が起こったりね。僕がどういう風に知識を覚えたかをなんだこれどういう風になるんです。僕のどういう風に知識を覚えたかを、皆が承認になるんです。やはりその対象者がいて、初めて僕の暗唱ってやる気も出てくるし。どれだけ僕が知識を習得したかということを。それがじゃあ、医学の現場でどう役に立つのかということは、ちょっと置いときましょう。

 ただ、僕はどのようにして学んだ。知識を修飾したかということを、観衆。大観衆だよねはっきり言えばね。スポーツと似てますよね、ある意味。そこで、最後4時間半暗唱し終わり、目をつぶって。もう4時間半一回も目を開けなかったですからね。目を開けたらもう怖くて出来なくなってしまう。

《 加 》    凄い。囲まれているわけですもんね。

《 小 》    囲まれている。皆がもう早く終われよというオーラで。もうその顔を見たくなかったんですよ。頑張れ小川と。俺たちのためにも早く終わってくれみたいな、観衆がいるのですよ。で、最後こう拍手をみんながバーっと。一人ひとり拍手で終わっていくのです。疲れもへとへとになりながら、マラソン走者の最後のようなかんじです。

《 加 》    4時間ですよね。

《 小 》    はい。そしてこう拍手で、一人ひとりこう。この拍手を受けている時に、それが、卒業なんですよ。みんな、みんなが証人なんです。それが日本の、いわゆる医学のの国家試験とすごく違うところ。

《 加 》    そこで落ちることってあるのですか。

《 小 》    あのね、息絶えるというか。息絶えるって別に死ぬわけでは無いですよ。途中で離脱、あのマラソンと一緒でリタイアする人もいるのだけれども。それでもやはり医者になります。正直なところ。ただみんな、多くの人はトライします。もうトライする時点で凄いんですいえば。42.195キロ 走れるであろうという、自信を持って行く時点ですごいじゃないですか。僕は何とか、走り切ることが出来ました。

《 加 》    凄いですね。

《 小 》    それが、僕の中での一つ目標であり、知識としてのわかりやすい目標だったんですよね。みんなもすごくわかりやすく、この人はここまで10年間の間にここまで知識を積み上げたんだという、指標。ランドマークにあるわけですよね。そのすごく分かりやすかったところに、僕はそこは凄く惹かれていったというのはあります。そして、2007年の11月19日でしたかね。

《 加 》    9年前ですね。

《 小 》    あの全部をこう暗唱し終えて、そして拍手の中で、チベット医として。正確には研修医として、認められた。それから1年間、現場に行って。患者と接して、脈診をして尿診をして。そして、1年後に初めて正式なチベット医として、チベット社会から認められるという感じですよね。そこが、すごく僕としてはやはり、やったという感じですよね。

《 加 》    結構大きなことですもんね。
《 小 》    大きなことでしたね。ただ僕の場合、もともとそのチベット医師になりたかったっていうものでもないし。ちょっと失礼な話、チベット社会に対しての元々のそのすごく憧れがあったわけでもないんですよ。

《 加 》    モチベーションはもう、山で薬草を取りたかったってことですもんね。

《 小 》    そうなんですよ。元を言うと、別にチベットというキーワードってたまたま出会っただけであって。僕はチベット人が好きという理由は、出会った人がみんなチベット人だったからと言う。たまたま。僕はつまり、いつもこう目の前の人と、どう信頼関係を結べるか。そして、身の回りのある中で、どうその草木と向き合って、薬を作れるかというテーマなんですよね。それってどこに行ってもできることであり、そういうテーマに対してもあるし。終わってチベット医として認められて、実は僕はすぐに日本に帰ってくるんです。

 その理由の一つは、元々がまず僕の目的として、チベットというものがゴールでは無かったってこと。そうして、もう一つは、チベット社会ってやはり日本の相撲社会よりもさらに、良い意味での厳格な社会なんです。確かに、僕は頑張った。外国人として本当に頑張ったけれども。だからといって、本当のチベット医になれるかといったら、それは別問題。それ悪く言えば保守的ということでは無くて。僕はそうでは無くて。それくらいチベット社会は、隙がない。チベット社会って隙がない。それぐらい頑張った外国人をまだこう介入を許さないぐらい。まだしっかりという文化があると見てほしいんです。

《 加 》    なんか、やはり何かが違いますよね。外国人の方は。

《 小 》    そうなんですよ。そこを僕はもう敏感に感じ取れたんですよ。いや、自分はここは素直に帰ることが一番。今、正しい選択ではないだろうかくらいの。正直なところ。ここであえて一歩踏み込んで、チベット医だ。チベット医を俺にやらせろということは、僕はなかったんですよ。何の、何もなかったけれども、日本に帰ってきたわけです。で、一ヶ月間くらい正直、ずっとのんびりしました。やはり疲れた。

《 加 》    今までこうずっと伺ってきて、生活費とかはどうされていたのですか。

《 小 》    そこは大事なところですよね。もうね、例えば今ね、今僕がもし同じようにチベット医学を目指して、インドのダラムサラに行って10年やろうとしたら、出来なかったと思う。当時は、凄く物価が安かったのですよ。

《 加 》    あぁ、そうなんですか。チベットですか。インドやダラムサラが。

《 小 》    インド、ダラムサラ社会って、だいたい年間2、30万で生きれたのではないかな。一番かかったのって、年に1回往復する交通費ですよ。

《 加 》    そうですよね。

《 小 》    ただ日本にさっき言った、日本に帰ってきてからが初めてお金の問題が。

《 加 》    帰って来てからまた生活が。支出が。

《 小 》    支出の量が半端じゃない。付き合いもそうだし。だからその僕は帰ってきてもう何にも、チベットから帰ってきたってもう何にも無いわけですよ。自分を。その中で僕は、昔に元々住んでいた地域の近くの小諸という、長野県の小諸市に空き家を見つけたんですよ。いただって知ってます。日本ってね、アパート借りれないんですよ、仕事がないと。

《 加 》    あぁ、そうなんですか。聞きますね。

《 小 》    皆さん結構知らないと思うのですけれど。なんにもないと、貸してくれないのですよ。そうすると、手段はただ一つ。知り合いを辿って、空き家を見つけるしかないのですよ。僕はたまたま、最初に出会った空き家が小諸。長野県の小諸市といってね、軽井沢のちょっとこう西の方ですかね。そこに空き家を見つけて、そこで若干人脈を活かしながら、森でのワークショップ始めるのです。何にもなかった。それが、2009年から2010年。

《 加 》    10年くらい前。

《 小 》    もちろん当時は何にも、当時は手探りですよ。ただチベット医として生きる為の僕の手段って、森の中で薬を作るという営みを、まず自分がやり。そして、もちろんこれは薬事法の色々な問題をきちんとクリアしながらですよ。地元の保健所と仲良くしながら、色々な問題にならない薬草を取ったり。そして、地元の人と仲良くしながら、森の中に入ってもらえる許可を得て。そしてそこで、最初はもちろん人はこないですよ。なんとか募集をしながら。スタートをもう1回ゼロから。なんかせっかくチケット医まで行ったのに、もう1回日本に帰ってきて、もう1回ゼロからという感じですよ。

《 加 》    結局、やりたい、されたいことですよね。山の中で草を採るという。

《 小 》    そうなんですよ。いつもこう、何かもう1回ゼロからこう構築していく過程は、苦しかったですけれど。正直言って、チベット社会にいる時よりも、日本社会に戻ってきた時のほうが辛かった。やはり、さっきも自分の体は病は自分で治すものだという考えと一緒で。帰ってきてからやはり色々な、チベット医学というイメージで期待されるものと、僕ができることってすごく違ったんですよね。そこに、すごい悩んだり。

《 加 》    でも、日本人はそんなに期待しているのですか。

《 小 》    いやまぁ、東洋医学の奇跡ですよね。もちろんそういう方達のお陰で、僕も色々考えさせられたし。もちろん僕は魔法の薬を持っているわけでもないし。持ってる物って言ったら、山で採ってくる薬草しか無いですから。でも、その中で徐々に徐々にこう、段々と人が認めてくれて。多少ですよ。認めてくれてきて。小川さんってこういう人なんだと。後は、新聞で取り上げてくれたり。それで徐々に人が増えてきてきたのだけれども。

 もっとこう貫くような力って無いよねと、思ったのですよ。やっていることが。なんかこう、いわゆる表面的というか。

相武台脳神経外科
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