《 加 》 相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は、浄土真宗本願寺の僧侶の大來尚順さんをお招きして、お話を伺います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
《 大 》 『おかげさまで』という言葉をちょっとご紹介したいのですが。いかがでしょうか。おかげさまという言葉を、日頃、使われますか。
《 加 》 僕はそれをあまり使ってなかったのですけれども。ご年配の患者さんが、結構使うので。
《 大 》 先生に対してですよね。
《 加 》 そうだったりとか。スタッフさんにとか。その日々の行動の中で、使われているので。それでなんか、自分も結構、使うようになりましたね。
《 大 》 そうなんですね。元々は、そんなにあまりお使いになっては無かったのですか。
《 加 》 そんなには使ってはいないですけれどもね。心貧しく生きてきたので。
《 大 》 いやいや。そんなことは無いですよ。いや実は、私は何気にこんな格好をしていますけれども、日頃は通訳とか翻訳の仕事をさせて頂いているのですね。だから、こういう翻訳の感じで、日本語の意味をお伝えすることが出来るのですけれども。
そういう仕事をしている中でも、非常に困る言葉の一つが実は、『おかげさまで』という言葉なのですね。おかげさまでという言葉は非常に難しくてですね。一応ですね。おかげさまというのはですね、英語にすると、参考書などを開くと、この三種類で対応してくださいと書いてあるので。まず、それをご紹介しますね。
おかげさまというと、この三種類で英語にしてくださいとあります。 『 Because of you 』、『 Due to 』、『Thanks to 』という表現になります。 まずは、これを良く覚えていて下さいね。なんとなく分かりますかね。『 Because of you 』とか、『 Due to 』とか、『Thanks to 』。おかげさまでということですね。
ここでちょっと種明かしをしていくのですが。そもそもじゃあ、おかげさまでという言葉の意味というのを、考えたことがありますか。深く。
《 加 》 いや、深くは無いですね。
《 大 》 ないですか。
《 加 》 感謝の雰囲気しか感じなかったですね。
《 大 》 そうですよね。基本は、感謝でというか。あとは、謙遜した気持ちでということですよね。『おかげさま』。実は、これには漢字があるんです。これに漢字を当てると、そのこの本来のおかげさまの意味が、少しずつ少しずつ明解になっています。
こうなるんです。おかげさまというのを漢字にすると、御陰様になるんですね。特に、この御陰という言葉。これをですね、国語辞典で調べてみると、実は驚きの意味が入っているのです。
どういう意味かと言うと、神仏の加護に感謝するという意味なのです。つまり、神や仏の働き、支えというものに感謝するということですね。もっと分かりやすく言うと、目に見えないような力とか、働きかけに対して、私たちは感謝をするという意味が、お陰様なんですね。これが本来の意味なんです。その意味を踏まえた上で、戻ります。
英語を見てください。『 Because of you 』や『 Due to 』といった。厳密的に言うと、これはお前のせいでという意味なんですね。人を咎めてしまうんです。『Thanks to 』というのは、かろうじて感謝をするという意味はありますが、御陰様の目に見えないような働きかけ。神仏の加護によるというところまでの意味は、全く捉えていないわけですよね。ということで、英訳が難しいということなんです。
もちろんその、私も今、仕事をしている時に、色々な講演会で通訳をすることがあるのですけれども。普通の講演でですね。そんな宗教的な意味を言ってもしょうがないので。もちろん、そういう言葉は言いませんが。この意味を知ってるからこそ逆にですね。どれにしようかなとですね、いつも考えることはあります。
この人はどういうつもりで、おかげさまという言葉を使っているのかな、という時があるのですね。例えば、本当に年配の社長の方がお話をする時は、おかげさまという言葉の意味がすごく重たいのです。本当に自分の力ではなくて、社員の力だけではなく、また周りの方々や業者さん。色々な目に見えない所からの支えがあって、初めて私たちは意味があるんですという形で、おげさまでという言葉を使う。
こないだもそうだったのですけれども、120周年を迎えた会社さんで。会社の記念パーティーがあって。そこには外国の方もいらっしゃたので、それで通訳が必要だったのですけれども。おっしゃった時に私は、ちょっとそういうことを意味されているのだろうなと思ったんですけれどもね。
《 加 》 縁って、英語で何て言うのですかね。
《 大 》 縁ですか。ご縁ですか。これはですね、今、普段私たちが使っている縁と、本来の仏教用語の縁という言葉は、実はですね。意味が違うんですよ。今、私達が使っている縁というのは、おそらくこの縁ですね。でもこれは本来は、縁起という言葉なんです。縁起という言葉なんですけれども、英語にしてみるとこうなるんですね。
『Dependent Co‐Arising』というのですけれども。これはですね、ディペンデントというのは、何々に依存するということですね。依存する。で、Coというのは、同時に。そして、Arisingというのは、生まれてくる。正気するということです。
つまり、私たちが今、この目の前に見ている現象というのは、色々なものが、不特定多数のものが、同時に起こっているのが、繋がっていてできているよということなんです。だから、全部が繋がっているよという意味なんですね。それが、縁起の意味なんですね。
なので、良く縁を担ぐとかと言うのですけれど、全く違う意味なんです。もしくは、ご縁を大事にと。ご縁の場合は、出会いという意味を使う場合もあると思うのですけれども。本来はですね、全ては繋がっていますよということなんですね。
それが派生して、出会いにしても、色々な結構不思議なご縁があって。不思議な作用があって、私たちは出逢えたとかという意味で、縁という言葉を使うこともあるのですけれども。本来は、縁起の教えに由来しているということですね。その意味は、全ては繋がっているよということなんです。
《 加 》 じゃあ、何かおかげさまでという時は、『Ander Dependent Co‐Arising with you.』
《 大 》 そうですね。そういうことになりますし、ここまで深く考えられたら、加藤先生すごいなと思いますけれども。もっと直接的にこう、見えない力によってというところだけを抽出すれば、おそらく『 By invisible power. 』目に見えない力。もしくは、『 By invisible working. 』といった、働きかけによってという言い方が出来るのかもしれませんね。
ただこの、『 By invisible power. 』というのはちょっと、なんか宗教的な意味になってしまいそうな形で。これを普通の日常会話で喋っていると、ちょっと不思議に思われるので。
《 加 》 こう宗教的な、そういった英語の言葉になるのですか。
《 大 》 そんなことはないのですが。やはり目に見えないとなってくると。じゃあ、何という話になってきてしまうので。そこにはやはり神なり。仏なりということがあってはまってくると思うので。
《 加 》 なんかこう、おかげさまって。その言葉からくるのに、良い雰囲気があるじゃないですか。『 By invisible power. 』だと、良い雰囲気と悪い雰囲気と。両側面がある感じがするから、なんかその英語にこう、良い雰囲気を加えたいですね。
《 大 》 そうですね。確かに。本当ですね。いわゆる、これで何が言いたかったかと言うと、こう私たちの自分で何かをやっているという驕りをかき消しているのですね。全部、自分の力で。自分の力でというわけではなくて。やはり驕り。自分の驕りをかき消す言葉が、このおかげさまという言葉なんですね。
この言葉の根底には、先ほど加藤先生がおっしゃった、縁起の教えもあるのですが、もう一個ご紹介できる仏教の精神がありますが。それがですね、諸法無我というものなんですね。生法無我とはこう書きます。諸々の法というのはですね、ここでは物事と思って下さい。様々な物事には、我がありませよというのが、諸法無我というのですけれども。
これは、何を言いたいのかと言うと。全部が繋がっていますよということなんですね。この世の中に、単独で存在しているものはないということなんです。全ては、繋がり合っていますよということなんです。縁起と一緒ですね。全部は繋がっているんだということです。
だから、何一つ自分でやったということも言えないわけです。色々な物の支え。色々なものの見えない力によって支えられて、物事が動いたり。私自身も存在しますよという意味がこの、諸法無我なんですね。そして、おかげさまの精神というのは、そこなんですよね。
結局は。自分の力ではない、自分の声をかき消す言葉。改めて自分は、ひとりでは生きていない。むしろ、生かされてるんだということを、もう一度自分に言い聞かせる言葉として、おかげさまという言葉があるのではないかなと、私は思ってます。
《 加 》 自分が、全然力が無い時に、こう自分を主体性というのは何ですか。
《 大 》 主体性ですか。これはもう仮の、自分の全てがつき動かされているという感じですかね。
《 加 》 じゃあもう、全部が自分の責任では無いということでしょうか。
《 大 》 基本はですね、我というものが。私というものが、仮にあると思っていただいて大丈夫です。でもそれが、結局はですね。その判断をするのは自分なんですけれども。意思判断をしていくのは。ただ、何かを成し遂げたという時は、それは、自分の力ではなくて。知らないところで、支えられているよというところですね。
この存在の部分まで考え始めると、ちょっとこう話が大きくなってしまうのですけれども。実際にですね、今。ちょっと話が余談になりますけれども。私たちが今は、自分と思っているものも、実はそれも幻想でしかないということに、仏教学や仏教の立場の話になるとなっていくのですね。
煩悩というのは、生きている限り、ずっと出てくるものですから。苦しみっていうのは、そもそも何だと思いますか。
相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘