《 加 》 よろしくお願いいたします。今回は、僕自身が、江崎さんのこの本を読ませて頂いて。その癌と日常と、社会保障の問題と。あと、糖尿病とかの問題に関して、まさに当クリニックがさせて頂いていることなので。ぜひ、ちょっとお話を伺いたいなと思いまして。今日は、お呼びいたしました。ありがとうございます。
《 江 》 こちらこそ、ありがとうございます。あえて、ここで物議をかもす発言をしても良いですか。
《 加 》 どうぞ。よろしくお願いします。
《 江 》 今まで、患者さんだとかですね。その色々な方達とお付き合いしてきて、思うことは。患者さん自身が言っていることと。患者さんの支援者と称する人が言っていることって、結構ズレていることが多いのですよ。これが、むしろその何と言うのだろう。
例えば、癌だとね。癌患者のその支援者の方々は、もうとにかく癌を消してくださいと。もうこの人は、癌がなければこんなに幸せな生活が出来るしね。癌のために、こんなに苦しんでいるのですよ。だから、お願いですから、癌を撲滅してくださいというのは、正しいのですよ。正しいのですけれども。癌患者って、そんなことは言っていないのですよね。
いや、私達は癌になっただけですからと。もっと普通に、私たちを普通に扱ってくださいと、言っていることと、実は同じように見えていても、実は、全然違うことを言っているわけですよね。これは、その何というのですかね。いわゆる、弱ハラというかね。弱者と名乗ることによって、強くなっている人達というか。
その何て言うのだろう。先ほどのね、その例えば、車椅子の人たちがかわいそうだから、全部をバリアフリーにしたら良いという考え方。いやいや、そんなことは求めていなくて、自分たちも外に出たいと言ってるだけなのに。だから今は、施設は全部、バリアフリーにしないといけないという風になってしまったのでしょう。
その結果として、お年寄りはどんどん弱くなってきてしまっているのですよ。だけれども、じゃあ階段があるかと言うと。いや、階段があるとお年寄りがかわいそうじゃないかと言うけれども。いや、別に全部の階段を無くしてくれなんて言っていないでしょうというところでね。そこの部分がどうしてもその、かわいそうな人が強くなってしまうが故に、社会の方向性を間違えてしまっている部分があるのではないのかと。
だから、お金がないとかあるとか、どっちかにしてもね。必ず、両方作ろうよと。人は必ず弱っていくのだけれども、全員がそうなるわけではないので。良い面もあるんだということの、ある意味リダンダンシーということをね。社会自体が表現をしないといけないのだけれども。かわいそうな人に、かわいそうな人にと書くと、マスコミ的にも受けるから、そうするのですけれども。ちょっと違うなと思っていますね。
《 加 》 本当に、癌患者だからといって、哀れむ人は当院は受け付けませんと書いているのですが。そこは、ポリシーがあります。別に弱い人をいじめようとかではなくて、ちゃんと本質を伝えたいという覚悟があるので。
《 江 》 ありがとうございます。いや、それはですね。患者にとっては凄く良いことであって。そして、何が起こるのかというと、この人たちは言えないのです。なぜかというと、あなた達のために、私たちは頑張っているのですからとなっている時に、ちょっとズレていますよとは言えないのですよね。ありがとうございますよとは言えないですし。
これを受けて、私は癌の専門家会合のメンバーだったのですけれども。そうするとね、この研究者達が異論をきたすのですよ。わかりましたと。私たちで撲滅をしますと言って。だからね、研究費を下さいと。いやでもね、その研究は答えでないですしと。というよりも、そんなことは求めていないですしと。だけれども、こっちの方にだーっと行ってしまうという。
そして、そうするとこの人達が、僕達は頑張っていますからと言って、期待しているでしょと言うと、ノーとは言えないのですよ。だから、いや、先生には逆らえないですしと。親切ではあるのですけれども。でも、違うよねというところのギャップって。実はこれは、癌に限らず色々な所にあるのですよ。
《 加 》 最終的に、私たちが目指しているのは。幸せになる具体的なメッセージ。それを持つことだという風に。メッセージでは無くて、イメージを持つことだという風に、最終のところで書かれていたのですけれども。そこって大きな軸になると思うのですが。幸せになるための具体的なイメージ。
これは、実際に幸せというのは何なのかということと。どういう、具体的なイメージを持っていけば良いのかなということを、読んでいて思ったのですけれども。
《 江 》 今の我々の時代というか、世代も含めてそうなのですけれども。その理想的な亡くなり方のモデルが、まずないのですよね。これは、ある意味良いことですよね。そこまで生きた人が、ほとんどいなかったので。
ところがですね、この本は、あくまでその医療財政の話をしているわけでも、その制度の話をしているわけでもなくてですね。やはり2週目の人生が生きられるような社会になった時に、我々はどう生きるべきなのか。それは逆に、制度がどうさせれば良いのかという話であって。順番を間違えてはいけない。お金がないから、こうするべきか。ああするべきなのかという話ではなくて。
もっとお年寄りは幸せになれると言うのは、中では副題にあがるように。今までの我々が、これが幸せだと思ったことから、もう一段上げることができる。ただその姿は、残念ながらモデルはいない。そうすると、自分たちで見つけるしかない。そして、さらにいうと、昔の人たちはですね。お腹いっぱい食べたい。戦争から逃げたいという事だけで、ほとんどのエネルギーを使ってきているのですけれども。この両方から、ほぼ解放されたわけですよね。
そうすると、自分たちで、これから1000年以上続くであろう。この社会構造の、幸せの姿を見つけると。そうすると、我々の世代の宿題は、頑張って色々とやるということです。そして、この本の最終章に書かせて頂いたように、人生の最終章は、ハッピーエンドであると。そのハッピーエンドのやり方というのは、分からないのであれば作れば良いと。
せっかく、何十年も頑張ってきたのだから、会いたい人に会って。食べたいものを食べて、行きたい所に行くということが、可能なんですよね。それを何か、いつ死ぬのかわからないから、ずっと持っていなきゃといって、ずっとぐーっと持っているのは、すごくもったいない生き方をしてしまっているのではないのかと。
それが出来た時に、初めて人は、あぁ良い人生だったねと。そう思った時に、じゃあ残りの部分は、次の人達に譲るのか。それとも自分は、こういう終わり方をするのかという。そこで初めて、死生観という言葉が出てくるのだろうと思うのですよね。
ただ、自分が生き切った時間を、いかに持つことが出来るのかどうかというのが。我々の時代の、一番大きな宿題であって。その生き方を見て、後に継ぐ人たちが、ああいった死に方って良いよねと。あれってかっこ良いよねという風に、作れるのかどうかというのが、我々の一番大切なことですよね。
《 加 》 生き切れば、結果として幸せが見えてくるということですかね。
《 江 》 逆です。その幸せを見つけられたと思った時に、初めて生き切ったという実感が出てくるのだと思います。生きるというのは、長さの問題ではなくて。例えば、その短かったとしても、自分のこの人生が良かったよねと思えるかどうか。
別に、食べたいものを食べたかどうかではなくて。実は、それなりに、山あり谷ありがある自体で、もう人生なんですよ。ただ、一番最後のフィニッシュのところに、あぁ良かったねという風に思えるかどうか。そこの部分が今は病院で、パイプだらけになっていて。苦しそうに死んでいくという世界なのか。
人間って面白いものでですね。そんなに記憶って、しっかりは残っていないのですよ。実はその、ごめんなさいね。変な例ですけれども。実は、下呂温泉の温泉区分の立て直しをやっている時に、良い旅館の評価ってどこで決まるのかみたいな。どこだと思いますか。
《 加 》 良い旅館の評判は、そのお客様からの評判とか。
《 江 》 どこの評判が一番効くと思いますか。
《 加 》 旅館の場所ですかね。
《 江 》 この旅館は良かったねというのに対して、一番効果のあるサービスというのはどこなのか。
《 加 》 どこですかね。
《 江 》 これはですね。答えを言って良いですかね。翌朝の朝ごはんなんですよ。朝ごはんが良いと、この旅館良かったねとなるのですよね。実は。
《 加 》 そうなんですか。
《 江 》 だから、最後の朝ごはんは手を抜くなと思っていて。そこが、きちんとしているのかどうか。つまり、終わりよければすべて良しという言葉は、あらゆることにあっていて。そうすると、色々あったのかもしれません。風呂場がちょっと遠かったよなとか。部屋が少しうるさかったとか、色々とあったのかもしれないけれども。最後にでてくる朝ごはんが、美味しかったよねということで、大分気分が変わるのですね。
《 加 》 だから要するに、幸せという風に感じられたことによって、生き切ったということが思えるということですよね。
《 江 》 そうですね。過去も美しくすることができる。
《 加 》 それじゃあ、幸せというのは、具体的なイメージというのは。
《 江 》 それは、人によって違うのです。
《 加 》 それは、人によって違うのですね。
《 江 》 何を幸せと思うのかどうか。逆に言うと、幸せではない死に方というのは、やり残し感があるということ。あれをやっておけばよかった。こうしておけば良かったという。
《 加 》 幸せではない時は、ちょっとやり残し感がある時なんですね。
《 江 》 要するに、後ろ髪をひかれる思いで亡くなっていくというのが、一番人にとっては辛い。
《 加 》 やりきったというのは、幸せなのかもしれないと。
《 江 》 やり切る中身は、人それぞれかもしれないけれども。
《 加 》 やり切ったというのは、もしかしたら、幸せかもしれないという。
《 江 》 そういうことですね。そしてそれを、色々とトライするのが、我々の時代の世代であって。そうすると、あの人のそのやり切り方って、ちょっと下品だよねとかね。あれは、社会に迷惑をかけたよねとか。そうすると、何が起きるのかというと、当たり前ですけれども、後世の人から、あの人は良いことをやって死んでくれたよねとか。
この本にも書きましたけれども、人は生きた証を残したい。やはり、お墓には何も持っていけないですし。あの世に持っていけないのだったら、後の人たちが振り返ってみた時に、あの人はこんな人だったねと言われたいという。大体、修練していくのですよ。そうすると、今、自分が出来ることの中で、後の人たちのために、残せることは何かということを考える。
《 加 》 じゃあ、本質的に他の人たちのためになるようなことを、目先のことではなくて。
《 江 》 目先のことではなくてですね。
《 加 》 そこを、貢献して生きつくしたら、幸せという風に、もしかしたら感じるかもしれないいうことですかね。
《 江 》 そうですね。だからさっき言っていた、昔の姥捨山がそうであるように、自分の一番の貢献は命を譲ることだったのですよね。昔の時代はね。だけれども、そこまでのことをしなくても、もっと生きていけますし。色々な社会的な課題に対して、答えを出してあげたりだとか。ある意味、自分がね。その扉を開いてあげるとか。色々なことって、まだ社会のためにあるのですよね。
《 加 》 要するに、 社会のためにやるということは、自分の幸せに繋がるということですよね。
《 江 》 そうですね。だから、ありがとうと言われることは、最高な幸せを感じる。自分が幸せになる一番良い方法というのは、人を幸せにすることなのですよ。そして、幸せになった人の顔を見ると、一番幸せを感じる。そういうものが、もし全員である必要は無くて。割と多くの人が、そういう風になった瞬間に、実はめちゃくちゃ良い社会になるという。
そしてそれが、最高の認知症対策であるし。出来る対策でもあるし。寝ている場合ではないと。この子達の為に、あとひとつだけ。これだけやってからね、死ねると良いよね。というのがあると、生き切ったと言えると思う。
《 加 》 そうですね。何かこう、社会に生きていると、社会のためというのが、ずれてしまうことがありますよね。
《 江 》 ありますね。だから、ずれてしまう人も当然いますし。だけれどもそれは、一人か二人はポンっと外れるからずれてしまうのですけれども。みんなが良かれと思って。だから、みんなが弱っていると思っているから、戦争が起きるということもあるでしょう。だから、そのスコープをどれだけ大きくできるのか。
《 加 》 スコープですか。
《 江 》 要するにその、自分の家族のためだけだったら、盗むもするし。何とか食べようと何かを始めるし。自分の国のためだけだったら、トランプでは無いけれども。
《 加 》 そうですよね。
《 江 》 だけれども、その自分がね。そのある意味、長い歴史の中で評価をされようと思うと、段々とスコープが大きくなるじゃないですか。そうすると、その人類のためにね。その環境のために、ちょっとでも一本でも木を植えようとする。
《 加 》 その人類と。あとは、さっきおっしゃっていた様に、環境や地球という、自然のためという。そこまでの、スコープというか。そういうのを持つと、全然こう動きが変わってきますよね。
《 江 》 そうですね。それはやはり、それを通して生き切った感とのバランスがあって。やはり、どれくらい広いスコープになるのかというのは、自分の落ち着き度によって、やはり広がってくるわけですよ。
《 加 》 広がってきますよね。
《 江 》 こう見ている人は狭いのですけれども。段々と生き切ったなと思う人は、段々と視野が広くなってくるのですよね。その中で、最後に自分は何をして、この人生を締めくくろうかなということを、考えることができるのです。
《 加 》 視野が広がってきて。しかも、意識的になってきますよね。
《 江 》 そうですね。それはそうです。なので今、我々は人類の歴史の中で、そんなことはできる稀有な。みんなは、どうやって明日食べようかと。どうやってこの戦争から逃げるのかということで生きてきた。何万年もの時代からすると、本当に自由に選べるわけですよ。本当に、社会のためになるのか。パチンコをやって終わるのか。パチンコがだめというわけではないですけれども。そういうことなんですよね。
《 加 》 でも結局、江崎さんがおっしゃる意味は、本当に満足するのは、やはりどれだけ広いところと、貢献したのかということに繋がるということですものね。
《 江 》 そうなのではないかなと思いますし。多分、より多くの人から、ありがとうと言われることが幸せなら、人より多くの人たちの役に立つ存在になってくると、良いのかなと思いますね。
《 加 》 良いですね。
《 江 》 そうなると、まさに万物の霊長程かどうかは分かりませんけれども。せっかく、こういう脳みそをもらって、色々なことを考えることが出来る。その水をやったら伸びるというだけの、やはりたんぽぽとは違うというところが、出来るのかもしれない。
《 加 》 それが日本人の中で、多くなってくると、日本の価値観が変わってきますよね。
《 江 》 変わると思いますね。そして、それはやはり、世界から見ても憧れの国になるというか、日本って良いよねと。やはり、世界で見ると、お年寄りってベンチに座って、ぼーっとしているという感じがあるのですけれども。社会福祉が良くても。だけれども、日本人のお年寄りは、最後まで生きてきているし。とても幸せそうだよねという。やはり、憧れの国である。
《 加 》 そこの光景を広げていくのというのは、本当に人類の課題ですよね。
《 江 》 そうですね。
《 加 》 やはりみんな、違う宗教とか違う国とか。いがみ合っていて、目先のことで。やはり、いがみ合っているというか。区別してしまうところがあるので。
《 江 》 そうですね。
《 加 》 どんどんやはり、そこを例えば、人間と猿だとして。それか、人間と自然というのもやはり、いがみ合っているといえば、いがみ合っているかもしれないのですけれども。そこを広げていくというのは、相当勇気がいることですし。怖いことですし。すごい大変な習慣になってくると思うのですけれども。それが、本当に日本の文化になることができたら。
《 江 》 いや、それはそうなったら凄いと思いますし。そういう脳を、我々は貰っていますし。元々、そういう風にやってきているし。そこに戻れば良い話であって。
《 加 》 そうなんですよね。元々、神社とかで自然と向き合って、自然と緊張感のあるリラックスできていて。磨き合ってきた文化があったのを。それを、もう一つ大切だと思ってやっていくと、それはちょっと違うのかなと。
《 江 》 そうですね。それは、いわゆる礼節というやつなのですよ。ただ、好きなことをやっているわけではなくて。ただ、恐れおののくだけではなくて。やはり、自分の心の安定でもあるのですね。礼節を尽くすというのは。それは、自然に対する文化であって、社会に対する文化であるという風に出来ると、結構、素敵なのではないかなという。
《 加 》 完全な弱者というのは、大きなものに向き合う時に、弱者でも大きなものに対して、影響させる方法というのは、僕自身はあると思うのですよ。どうしたら良いのかと言うと、調和するということだと思うのですよ。
《 江 》 あ、良いですね。
《 加 》 調和をする。そこの大きなものと調和することによって、ここの自分自身のこの、エゴが入った波長が入っていくので。大きく波を立てられるというか。
《 江 》 なるほど。なるほど。
《 加 》 それで、負けるのではなくて。影響することが出来るので。
《 江 》 実は、非常にありがたい説明をして頂いているのですが。実は、私は合気道の師範でして。合気道というのは、調和するのですよ。調和するというのは、何を送るのかと言うと、自分が相手を投げているのだけれども。相手は投げられた気にはならないのですよ。
そして、これは軸を揃えるということです。軸を揃えると、相手は自分がやりたいようにやったように感じているのだけれども。実は、こちらの思うように動かしているという。そういうのが、基本的な合気道の技なのですけれども。
だから、無敵というかね。倒して無敵になるのではなくて。そもそも敵がいないのですよ。だから、みんなを味方にしちゃえば、これは無敵になるので。その結果として、その争って勝つのではなくて。そのやりたい方向に、上手く誘導していく。まさに、お医者さんにとって大事なことであって、やはり諭して導くということは、まさにそういうことですよね。
《 加 》 それが、本当に大切なんだなと思えるような、文化にしていきたいですね。
《 江 》 して行きましょう。
《 加 》 頑張ります。いや、そんなことを話せる方が、初めてだったので。すごく勇気を頂きました。
《 江 》 いえいえ、とんでもないです。
《 加 》 もうなんか結構、孤軍奮闘してきた感じだったので。本当に、ありがとうございました。すみません、来て頂いて。
《 江 》 こちらこそです。ありがとうございました。
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