こんにちは。相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は、平成27年の5月8
日の金曜日です。当院では、身体の声を聞き続けましょうということを言いますと、あまり身体に対して神経質になりたくないかなということを、おっしゃる方いるのですが。身体の状態に対して、神経質になるということと、身体の声を聞くということの意味が、全く違いますので。その違いに関して、ちょっとお話しをさせて頂きたいのですが。
よく身体の症状に対して、神経質になる方が患者さんの中にはいます。例えば、耳鳴りがひどい場合は、耳鳴りにこだわってしまって、何か病気があるのではないかと思って、パニックになってしまったり、ずっと耳から音が聞こえるので、それでノイローゼみたいになってしまったりしてですね。
そして、頭痛がある方というのは、頭痛に執着してしまっていて、よく不安になる。あるいは、頭の中で何か病気が起こっているのではないかと思って、見えない敵に対して、すごく不安になったり、症状に対して、また強い頭痛がくるんのではないかと言った恐怖心を抱くようになる。
そういった症状に対して、あまり神経質になりたくないから、身体のことはあまり考えたくないということを、おっしゃるのですが。 身体の症状に対して、神経質なるということと、身体の声を聞くということは、まるっきり意味合いが違います。
身体の症状に対して神経質になる時というのはどういうことかというと、ご自身が身体の調子をわかってないために、身体から警告音が発せられている状態が、症状としてでているので。その症状の意味が、ご自身で全くわからずにパニックになっている状態が、すごく症状に対して不安なる状態であり、身体の声を聞くというのは、身体の調子をとっていく能力を身につけていくということなので、身体が良い方向に向かっているのか。悪い方向に向かっているのか。
船を操縦してる船が、どちらの方向に向かっていっているのかは、冷静に分かっている状態なので。操縦しているご自身自体は、主体であるご自身自体は、気持ちとしてはすごく安定した状態に身体の声を聞くことができればできるほどなります。なので、まるっきりご自身の身体の方向性、進んでいる向きがわからなくてパニックになる状態が、症状に執着してしまっている状態。
あるいは、それに対して、身体の状態を的確に理解して把握して。そして、身体の方向性をきちんと把握して、身体の声を聞き取っていけることがわかるということが、身体の声を聞くということなので。二つはまるっきり意味合いが違います。
具体的には、例えば、足の感覚。痛みの感覚はなかったとしますと、裸足で歩いていて、痛みの感覚がないとお尻を踏んづけても痛くないわけですね。その踏んづけたことに気づかないのですが、押しピンを踏んづけたら、知らないうちに足から出血していて、ダラダラと血がでていて。何かわからないけれども、ちょっと貧血になってきてフラフラするなとか。そういう症状が、なんでなのかちょっと理由はわからないのだけれども、フラフラしてくるな。心臓がドキドキしてくるな。何で自分の身体に、この変化があるんだろうな。ちょっと理解ができないやというのが、それでパニックになってきてしまう。
そういうのが、症状にこだわってしまう。症状にパニックになってしまう状態であり、きちんと足の感覚がしっかりしていて、押しピンを踏んづけそうになったら、痛いっとなって。押しピンを離して、押しピンから足を離すというのが、きちんと足の感覚が分かる状態である。そういう風に、その感覚が分かる状態と感覚がわからない状態。感覚がわからなくて、症状に対してすごい不安感。パニック状態になってしまっているということが、身体に対して、神経質になっている状態なので。
身体の声を冷静に聞くということと、身体に対して神経質になる。症状にこだわってしまうというのは、まるっきり意味合いが違いますので。身体の声を聞き続けるということをやっても、身体に対して、身体の症状に対して神経質になるという意味ではないので。その方向に向かって、あまりこう精神衛生上、悪い方向に向かうわけではないので。そのことを、押さえて頂ければなと思います。
今日は、身体の声を聞き続けるということと、身体の症状に不安になってしまうという、身体の症状に神経質になってしまうということの、明確な違いについてお話しをさせていただきました。今日は、以上です。
相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘