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「まじめに」力を抜く、楽しむ、という考えに触れた衝撃(頭痛 めまい 耳鳴り 小田急線 神奈川 町田 相模大野 厚木 海老名)

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 こんにちは。相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は、平成27年の10月23日の金曜日です。昨日、診察をさせていただいていて、年配の方、女性の方や男性の方など、すごく今まできちっとされてきて、しっかりとされてきた方であればあるほど、何か私はこうでなければいけないという風な形で、力がすごい入ってしまっているのですけれども。その力が入ってしまっているということで、その肉体が硬くなり。そして、滞りができてしまっている。そしてそれによって、その震えや痛みが生じていく。

 年齢が経てば経つほど、緩めていくということを、うちの診察所ではお話しをさせていただいています。そして、 緩めていく。力を抜いていきましょうということを、お話しをさせていただいていると 、うちの母親は真面目ですからね、ということを伺ったのですが。その確かに、非常に今まで頑張ってこられて、何事もしっかりとされてこられて、それで きちっきちっとされている為に、今はすごく力が入った状態。

 逆を言えば、力を抜けなくなっている状態なのですが、ここでちょっと頭を切り替えて頂きたいのですが、当院がお話しをさせていただいている力を抜くということは、不真面目、力抜くイコール不真面目ではないということを、お伝えしたかったです。僕らがお伝えしたいのは、真面目に力を抜くということの概念や考え方というのを、少しずつ身体に染み込んで行っていただけたらなと思います。真面目に力を抜く、不真面目に力を抜く。この違いは何なのかというと、具体的な例で、お話しをさせていただきますと、以前もちょっとお話しをしましたけれども。その車の運転の時を、考えれば良いかなと思います。

 車の運転の時に、直線コースでアクセルを踏んで、ある一定のスピードになった時に、アクセルをゆっくりとこう離しても、スピードは急激にガクンとスピードは落ちません。アクセルを軽く離した状態になっても、スピードは落ちません。急いで、スピードを落とそうとした時には、ブレーキを踏むという行為が、必要になってきます。そして、ここで積極的にスピードを落とすな、ブレーキを踏むという行為なのですけれども。

 ここで例えば、その不真面目に力を抜く、休みの日とかだらっとしたり、ぼーっとするという意味での力を抜くというのは、どういう行為に当たるのかというと、車の運転で言えば 、アクセル。踏んでいたアクセルを、外すという行為になります。踏んでいたアクセルを外すだけでは、車のスピードは落ちてきません。当院が、お伝えさせていただきたいのは、真面目に力を抜くことです。真面目に力を抜くというのは、どういうことなのかと言うと、ブレーキを踏むということになります。

 積極的に力を抜いていく。もし気持ちの中で、力を抜くということに罪悪感があると、やはりこの力を抜くということに、マインドブロックというか、気持ちの制御はかかってしまうので、もう本当に真剣に力を抜くということをやっていかれる中で、健康への道が開けていくのではないかなということを、僕自身は思っているので、お伝えをさせて頂いています。

 身体の状態というのは、その人間の生き方というかそうではなくて、僕たちは、その身体のことが、全部が全部わかっているわけではなくて。身体の動きのほとんどは、未知の世界であります。そして、身体がどうあるべきなのかというのは、僕らのその浅はかな知識ではわかるわけがなく、こうあるべきだという風なことを身体に言ってしまえば、本当の身体というのは、窮屈な状態になってきます。

 本当の身体、お身体の状態というのは、身体そのものがこうあるべきというか、自然などうあるべきかというのは、自然な状態というのは、身体自体が覚えていますので。その状態に持っていく、自然な身体の状態に持っていく。いきいきと元の身体のリズムに戻してあげるという様な意識は重要で、不真面目ではなくて、真面目に力を抜くということを、ちょっと気持ちの中で変えていただけると、僕たちが話していることというのは、少し落とし込んでいけるのかなという形はあります。

 不真面目だなという罪悪感があると、お話をさせていただいてることが、全然身に入ってこないことがあるので。真面目ではなく、もう本当に真剣に、真面目に力を抜いていこうということを、お伝えさせていただいてます。今日は、以上です。

相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘

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