こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。
今日は平成27年11月28日の土曜日です。
先日から、自分の感情を大切にしていく、自分の感情を聴き続ける。そうすれば人生の道が拓けていく。っていうお話をさせていただいています。
それはどういうことかと言うと、自分の人生の主体を、主導権を、自分自身に取り戻していく。何よりも自分の感情を大切にして、自分自身を大切にして生きていくっていうことは、自分の本当に望む人生を歩んでいける第一歩なのかな、って思います。
自分自身が、自分が望む人生を歩くことによって、周りの人達に対する良い影響を与えていくことができるのかな、っていうのを最近感じています。
結局、悪いことをしたら自分自身、罪悪感を感じますので、それは罪悪感が出てくるってことは、自分が本当の本当に望む道ではないわけで、それは周りの人に悪影響を与えていきますので、本当に心の底から望むものっていうのは、結局は周りの人に良い影響を与える人生を得ることができる。
それは、罪悪感のまったく感じられない、自分自身で気持ちいいって思う人生のゴールなのかな、っていうふうなことを感じます。
ただ、先日もお話しさせていただきましたけども、守られている状況っていうのは、僕自身の経験でも、なかなか自分の感情っていうのは見えづらいところっていうのはあります。
特に、小学校、中学生、高校生、偏頭痛の方とか診させていただくなかで、自分自身の感情を自分で気付けていない部分ももちろんありますし、あるいは自分の体の感覚、体の状態っていうのも気付けてない。目先の楽しいこと、ゲームとか友達との遊びとかに走ってしまうっていうこと。自分の本当にしたいことに気付けてないっていうこと。
それがどういう状態かなっていうのを子供達にお話しさせていただいてるんですが、それは、例えばお母さんが運転する車とお父さんが運転する車の2台あって、その後ろに綱を付けて、子供さんが操縦席に座ってる車を今そのロープを引っ張って前の方向に進んでいる。お父さんの車、お母さんの車が2台で子供さんの車を引っ張って行っている状態。
引っ張っている状態なので、ハンドルを握らなくてもいいし、アクセルやブレーキを踏む必要もないですし、他のギアを入れ替える必要もない。ただボーッと操縦席に座ってるだけで前に進んで行ってくれる状況が、今の子供さんの状況ですよ。とお話しさせていただいています。
でもね、10代の後半になってくると唐突にお父さん、お母さんの車っていうのはいなくなりますからね。というお話をさせていただいてます。
そうすると、今まで引っ張っていてくれたものが唐突にいなくなると、惰性で一時的には進みますけども、方向を変えることはなくて、そのまま進んでしまえば何か壁にぶつかってしまったり崖に落ちてえらいことになってしまいますよ。これからはご自身の体はご自身でハンドルを握って、アクセルもブレーキも踏んで、操縦することが重要ですよ。というお話をさせていただいています。
感情に関しても同じようなことが言えて、自分自身の感情、楽しいのかな、つらいのかな、罪悪感を感じているのかな、すごく貢献した気持ちになれたのかな、感謝の気持ちになれたのかな。そういう気持ちっていうのをしっかり感じて、それを罪悪感を持たない方向に自分の気持ちをコントロールしていく。つらくない方向にコントロールしていく。ということをちゃんと主導権を持って自分自身を切り開いていくっていうことが本当の意味で楽しい人生を送る上で非常に重要ですよ。っていう話を子供さんとかにはさせていただいています。
感情っていうのはすごく大切なんですけども、そういう意味で、先日も言いましたけども、何かの保護を、自分を守ってくれているものを一時的でも外してみると、すごく自分の感情っていうのがわかりやすい経験ができるのかと思っています。
僕自身、いろんなスタッフさん抱えさせていただいて、自分自身の思いがすべて伝わるわけではないので、感情的になってしまうっていうこともあるんですが、先日、クリニックの中でまだ思案中の事例というか内容を、クリニック外の人に無意識のうちに喋っちゃったりして、そのことをメールなどで軽い気持ちで僕自身に連絡してくれてはいたんですけども、それっていうのは僕のなかで外に出せるような内容じゃなかったので、それを外に話すっていうのは、普段から「クリニックでの内容っていうのは外の方には話さないように。誤解を与えてしまうので。」って言っているなかで、そういうことを無意識のうちにしてしまったっていうのは重要にとらえて、「非常にそれは僕のなかできついことだ」っていうことをメールで話させていただきました。
翌日、その人に会った時に、その方っていうのは普通に僕に挨拶して業務に入ってなにごとも無かったようにやってたんですが、僕自身にとってその事例っていうのは重要に捉えていて、その方は話を聞くとすごい重大に捉えてすいませんっていう気持ちでいっぱいだったっていう話をするんですが、もしそういう気持ちを持っているんであれば、翌日にクリニック内で面と向かったときに「すいません」の一言くらい言うことが気持ちとして出るのかな、っていうのがあったんですが、それもなくて、挨拶だけでスーッと交わしてしまったっていうことは、やはり僕自身が考える問題の重要性とその方が考える問題の重要性っていうのは食い違いがあるのかな、っていうのは感じました。
その方は問題に対して非常に重要で、僕自身に「すいませんでした」っていうことをその後話したときに言ってくれてはいたんですけども、「じゃあなんで会ったときに、ごめんなさいの一言も言わなかったんですか?」っていう話をしたら、「あ、そうか」というようなことを。
やはり僕自身の重要性と、スタッフの人が思っている重要性っていうのは、少し重要度の違いっていうのはありますよね。って言ったら、納得してもらえました。
その方っていうのはすごい忍耐強い方で、すごくつらい状況っていうか嫌な状況も笑顔で乗り切ってこられた方。本当に自分自身がいろんなやりたいことっていうのを押さえつけて今の現状をがんばって日々過ごされた方なんですけども、「自分が持ちたい自分自身の感情」と「自分の本当の感情」っていうのを擦り合わせてこなかったというか、「自分の持ちたい自分自身の感情」が「自分の本当の感情」だと思い込んで生きてきたために、何か今の自分を見つめるっていう段階の年齢になって、自分が例えば「すみませんでした」っていう自分が思いたい感情、申し訳ないっていう「思いたい感情」と、あんまり申し訳なく思っていない「本当の感情」っていうのがずれてきてしまって、自分は「すみません」と思いたいと思っているんだけども、実はそんなに重要視していなかったっていう「自分の本当の感情」に関して気付けてない、っていうところに気付けてなかったので、そのことをお話しさせていただくと、「あぁなるほどな」っていうふうなことを言われてました。
今まで厳しい環境のなかで「自分の本当の感情」っていうのを押さえつけて、「自分の持ちたいっていう感情」、「自分がこうありたいっていう感情」だけを「自分の本当の感情」だと思い込ませてきたんで、徐々に本当の気持ちっていうのを見つめ直すっていうきっかけを作っていくと、自分の本当の気持ちっていうのがわかってくるような気がしました。その方とお話しして。
その人も、自分の本当の気持ちとか自分の感情を見つけていく作業を、今は、今まで押さえつけてきたものを見つけていくっていうのはつらいのかもしれないですけど、話をしてて、前向きに本当の自分が思っている感情を発掘していく作業っていうのをしたいんだなっていうのは感じられたんで、今も一緒にお仕事させていただいているんですが、やはり苦しい環境で自分の感情を押さえつけてこられた方であればある程、自分の感情っていうのはわかりにくくなってて、いざこれから自分の人生を歩んで行こう、と思ったときに、いろんな自分自身の気持ちがちぐはぐになってしまっているのかなと思いました。
今回は、自分の本当の気持ちっていうのは、その方と僕がお話しするなかでその方は気付けたんですけども、現実世界のなかでいろんな気付く方法があるので、それは明日お話しさせていただきたいと思います。
今日は以上です。
相武台脳神経外科
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