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当院の使命と意識的に生きることの関係性(頭痛 めまい 耳鳴り 小田急線 神奈川 町田 相模大野 厚木 海老名)

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《 加 》      行動は全部、一つの行動にまとめようということをずっと言っているのですけれども。ミッションがありまして。身体の声を聞き続ける。そうすれば、健康への道が開けるというミッションがあって。そして、全ての行動をそこに、結びつけていきましょうということなのですが。同時に契約書で、主体的にやりましょうとか。自分の行動には全て、責任をもってやりましょうとかという風に書いてあるのですけれども。

 その間で何か、身体の声を聞き続ける。そうすれば、健康への道が開けるというミッションに、全ての行動を結びつけましょうという風に言っているのですけれども。契約書の一文には、自分の行動には責任をもってやりましょうとか。何かと、主体的にやっていきましょうとかと書いてあるじゃないですか。

 主体的では無い。それが、やらされている感じだったら、手を止めてくださいみたいに書いてあるのですけれども。それと、そのミッションを伝えることというのは、何か違いってわかりますか。違いというか、その関連性ってわかりますか。

《 女性 》      主体的でなかったら、伝えられないと思います。

《 加 》      そうですね。そうそうそうそう。それを意識されていますか。全部責任があって。それってどういうことかと言うと、例えば、皆さんは最初は、自転車に乗れなかったと思うのですけれども。自転車に乗る時に、色々と転びながら、自分で動いていくのかもしれないのですけれども。それと同時に、結果から入っている場合もあるのですよね。

 お父さん、お母さんから、胸を張って。真っすぐに遠くを見て。そして、左右にバランス良くこぎなさいと言って。こげている人と、同じ様にまずする。その結果から、自転車がこげるようになったということもあるのですよね。

 ただ、身体の声を聞き続けるというのは、すごく感覚的なものだけれども。そこに向かっていく為に、それをやった結果、そうなるのかというので、結果から入っていくということも、良いと思うのですよね。同時に。自転車を習う時に、結果からやるのと。転びながら自分で、身体で覚えることを同時にやりながら、上手くなっていくのだと思うのですけれども。

 それで、ちょっとこれをやって頂いて。一応、うちのクリニックは、この身体の声を聞き続ける。そうすれば、健康への道が開けるというメッセージを、自分も含めて、関わる人に伝えるというミッションがあるわけですね。

 そして、その結果としてさっき言ったように、結果として、その状態というのはどういう状態なのかと言うと、思い込みとか思考が、自分の考えを外して、身体の状態に合わせて生きていくということなんですけれども。思考を外すということは、逆に言えば、考えないと外せないのですよね。思考自体の存在が。ぼーっとしている状態だったら、思考は外せないので。考えているということを、意識していくということなので。

 この身体の声を聞き続けることによって、自分自身と身体と。自分の世界との関係性に、結果として調和する状態。良い状態に調和する状態になる。調和する状態、自転車でバランスが取れている状態というのが、調和している状態じゃないですか。その状態に、結果としてはなるのですけれども。

 その状態というのは、あの自転車に乗れない時というのは、見切りたいとか全然行きにくいけれども。調和した状態というのは、すごい自由な状態なんですね。これが、結果として、こういう状態になっていると。

 前に言ったように、自転車に乗る時に、バランスが調和すると自由になれると。その身体との関係性が調和することによって、自分もすごい自由になれる。だから、自由になれるし、全部それは、意識的にやって。全部、自分で行っている。自転車に乗っている時に、右に行くとか。左に行くとか。自分の意識でやっているという。

 なんか、バランスが右の方にいっているから、どうしようもなく右にいっているわけではなくて。上手くなってきたら、右に行くし、左に行くしという。自分の意識的に、自由自在にできる。だから、責任を持って、動くことが出来るという。

 そして、結果として、その自分自身のその一つひとつの行動の中で、意識をしていって。何の為にそれをするのかということを意識していって。責任を持ってやるという結果から入ると、その身体の声を聞き続けるということに、ある意味、結果から入る方向で近付けるという。そして家で朝晩に、身体の声を実際に聞くということ。両輪でやっていくということが、そういった所に近付いていくと僕自身は感じるのですけれども。

 だから、自転車に乗ることが凄く難しい時は、自転車に乗っている状態を真似をするという。結果から入っていくと、視線を遠くにするとか。胸を張っていくとか。左右に漕ぐとか。結果から入っていくということをしていく。

 そして、結果としては、自由になる。身体と自分が調和した状態というのは、すごい自分自身が意識的な状態になっていて。自由な状態であって、裏表がなくて本音になっていて。その状態になると、生かされているなという思いになって、自然に感謝が生まれる状態と言いますか。感謝というのはたぶん、受け身的なものだと思うのですけれども。そういう状態になったら、生かされているのだなと。心臓が動いてくれているなという風に、思うと思います。

 逆に、そういう状態になりにくかったら、感謝から入りましょうということも出来るのですけれども。例えば、ありがとうと言ってみようとか。感謝から入りますよと言っているのですが。そればかりを強調してしまうと、結構きつくなってしまうので。本音では、そんなに感謝していないのにと。

 だから、結果としては、その調和の状態になったら、自然にありがたいなという気持ちになるという。結果から入るのか、そういった感覚を掴もうとしている、方向性から入ろうとしているのかという。

 そして、うちの契約書の一番最初の一文として、自分の意思に基づいて主体的に働くことを基本としている為、業務をやらされてると思ったら、その業務を止めて報告すること、という風にありますけれども。これは、意識的に主体的ということは、その身体を聞き続ける。結果として、起こる現象であって。一応、業務においても、その結果からとりあえずそのアプローチをしていきましょうというか。そういう状態を、目指していきましょうということで、それを書いています。

 逆に、そういう結果ではない状態というのは、自分を押し殺している状態なので。調和はしていない状態であって、色々と矛盾が生じてくるというか。見た目はなんとかやっていても、どこかで矛盾が生じてくるというか。

 自転車に乗る時に、結構乗れる人の感じではなくて、乗ったら転んでしまうのと同じ様に。そしてこの前、知り合いの人で、身体の不自由なお子さんのために、頑張っているという人がいたのですけれども。じゃあ、なぜお子さんのために、頑張るのですかという質問をすると。子どもの為に頑張るのは、当然だからという話がでたのですけれども。当然ですかと思って。

 当然だからというのは、じゃあなぜ、当然なのですかと。僕は質問をさせて頂いたのですけれども、そこで詰まってしまって。詰まってしまうということは、これは思考が止まっているというか。意識的ではない状態というか。もう当然だからしなければいけないと言う様に、自分が無意識にちょっとやってしまっている状態なんですね。結果として、無意識に。

 例えば、なんかそのルールで決まっているからとか。常識だからとか。倫理的にそうだからとか。無意識になってしまっている状態であって。本来、僕らは誰しも、どこかにあると思うのですけれども。だからそれを、そういう状態になっているということを、意識するということが大切だと思うのですが。

 これは、意識的ではない状態であって。その時に話した時に、意識的ではないから、逆に子どもさんを見捨てるというか。見捨てないのは、なぜですかという質問をした時に、そんなことを考えること自体が、倫理的に反することだから考えもしないということを、おっしゃっていまして。

 それは、どういうことかと言うと、本当の意味で、その行為の本質性を意識していく為に、何を考えるのかというと。やはり、逆のことを考えると、本当のことがわかるという理由になっていて。どういうことかと言うと、倫理的に話しますけれども、その状態を本当に理解する時には、反対のことを見る必要がある。

 そして、蝉というのは実は、夏を知らないというか。蝉は夏を知らないんですよね。なぜなら、冬を知らないから。暑い時しか知らないので。蝉は夏を知らないですし。生きているということが、どんなに素晴らしいことなのかということを知るには、やはりその死ぬということをきちんと見据えたことが出来れば、やはり生きているということは、本当に素晴らしいということが分かるので。逆に見るということが、すごく大事なのですよね。色々な価値観を外して考えていくことが、とても大事ですし。

 そして、人間国宝の志村ふくみさんという方は、戦後の近所のすごい目が厳しい時、噂ばっかりするような時代に、なんか自分の育児を放棄して、染織というのに没頭してしまっていたと。子どもを放棄して、染織に没頭していたということもあるのですけれども。これは、良いとか悪いとかではなくて、こういうこともあるのですけれども。

 倫理、常識、善悪を価値観の第一にすると、思考がそこで止まってしまうという。じゃあなんで、それは自分を選択しているのかという思考が止まってしまうということですよね。大丈夫ですか。

 そして、思考が停止してしまっている状態というのは、意識的ではない状態。だから、取り決めに思考せずに従っている状態になってしまっているので。言ってみれば、もう奴隷のような状態であって。奴隷状態に調和しているということは、生まれなくて。やはりどこかに矛盾があるので。どこかでその矛盾が、出てくる。どこかで問題が発生する。

 例えば、その家の外で、他の人に子どもの世話が大変だということを、言っていたのですけれども。例えば、子どもの世話は大変ですかと聞いた時に、もの凄く大変ですと。僕自身にもおっしゃっていたのですけれども。それを例えば、お子さんが聞いた時に、自分の親が外で、世話をしていることが凄く大変だと言っていることを聞いたら、子どもは自分の存在が母親をすごい大変にしている。苦しめてしまっていると感じてしまい。すごい辛いような、ショックを受けるのではないかと思うのですけれども。

 少なくとも、そこはもう不協和音というか。何かそういった、やはりどこかでそういった矛盾が生じてきて、何らかの問題が起こると。それが、何らかの嫌なこと。発生母地になってくるわけであって。もちろん病気も、そういうことから起こってくる。身体に無理がかかってしまい、そういった病気に繋がっていくのではないかなと思いますね。

 例えば、一つの例ですけれども。意識的に子どもの世話をしている方だったら、子どもの世話をするのですかという問いに対して、子どもの世話は大変だけれども、もししなかったらと考えると、とても寂しい気持ちになると思う。なぜ、寂しい気持ちなのですかと聞くと、子どもを単純に愛しているからねと。そして、子どもと一緒にいる時間が、自分自身が幸せに感じるからとか。自分が本当の意思で、幸せを感じるから。意識的に受け身ではなくて、子どものために。そして、自分のために、自分の意思で世話をしているという。

 これが、調和した状態であり、自分の意識でそういった行動を起こしている状態だと思うのですけれども。さっきとは、やはり行動が全然違うじゃないですか。意識をしている時とは。そして、自分たちの行動の中で、「当然」、「常識」、「規則」を理由にしている行動とは。つまり、その頭が奴隷的な行動を、できるだけ排除していくと。すぐにはできないかもしれないのですけれども。これが、家で働く為の契約の前提条件の文章になっていますので。

 そして、この前提条件がきちんと満たされているのかどうかというのは、やはりとても厳しく問い続けますというか。なぜなら、やはりそれは僕らの初心であり、存在理由でもあるので。存在理由というか、この本にありますけれども、ここで開業をしている理由でもあるからですね。

 だけれども、やはり今まで常識というふうに考えていたことに、疑問を投げかけられるというのは、とても勇気がいることなので。自分が多分、そういう風に思っているということは。すぐにではないにしても、そういう方向性に向き合うという意思表示はして欲しいですよね。

 そして、「当然のことに疑問を向けたりしません」とか。「疑問をむけることは、とても非常識です。」と、頭から否定するということは、前提条件を否定することになりますので。僕らはあらゆることに、意識的で本音であって。素の自分や、本来の自分が出れば良いかなという風に思っていて。

 というのは、そのことがやはり自分自身を、一番に輝かせるのではないかなと思っていて。そして、一つひとつ自分自身の、今までのやはり学校教育の中では、あるいは常識とかの中で、眠らせてきたものを目覚めていくというのを、チームでやっていきたいなという風にちょっと感じているのですけれども。

 身体の声を聞き続けることと。逆に結果から、全ての行動を意識的に。主体的にしていくことを、両輪で行なっていく。そして、その両輪でやっていることを深めながら、自転車に乗れるようになっていくのですよね。そして、目を覚まして生きるということは、人間の進化の方向性であり、物理的な船ではないですけれども。

 今の時代、その価値観がかなりぐちゃぐちゃになっている時代で、やはりそれを意識的にチームでやるということは、ある意味僕自身の中では、この「現代のノアの方舟」に乗船しているということに感じていたので。方舟というか。結構、それをクリアにすることは、大切だと思うのですよ。集まりの中で、そういった単純に、身体の声を聞き続けるという方向性に向き合うというかね。

 なんか、わからなかったこととかありますか。難しかったですか。大丈夫でしょうか。意識をしていくということですね。もし分からなかったら、多分、今までその頭がそういった、止まった状態で生きてきた方々というのは、この思考というのは全然わからないと思うのですよね。多分。わからないとは思うのですけれども、僕らはそれでやっていくので。

 別にこれがわからないからといって、ダメとかではなくて。逆に僕らを、邪魔しないでもらいたいというか。そこを深めていきたいというか。意識的に生きることに、本来の自分を輝かせていくことに、集中していきたいというか。誰のためにとかではなくて、本当の意味では、自分自身の為に、生きているということ。それが、他の人にとっても、一番幸せなことだと思うので。ありがとうございました。

相武台脳神経外科
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