こんにちは、相武台の脳神経外科の加藤貴弘です。
今日は平成28年1月13日の水曜日です。
先日までバリ島に滞在させていただいて、今日の朝8時半に成田に着く便で戻ってきたのですけども、その足でクリニックまで戻って、今日は非常に晴れていたので溜まっていた洗濯物だとか、座布団を干して乾かしました。
やはり先日も言いましたけれど、当院では天日干しというのに非常にこだわっていまして、布類に関しては洗って乾燥機にかけるというだけではなくて、やはり太陽の下で干すということを非常に重視しています。それが殺菌対策にもなるのだと思いますし、何よりも太陽の香りというのは、やはり人工的な洗剤、匂い消しなどと比べてまるで違う香りがしますので、それがご自身の健康に近づくと考えているからです。
旅から帰った後に、すぐに病院にいって大変ですねと言ってくださる方がいるのですけど、僕自身は別に大変とは思ってなくて、自分の仕事ですからありがたくさせていただいているのですけども、世の中に言葉として自己滅私という言葉があるのかなと。
自己犠牲だとか自己滅私だとか滅私奉公だとか、そういった言葉があると思うのですが、そういった言葉で自分自身と奉公する相手、貢献する相手のいい関係が今後もでてくるものだとすれば、現実的にはそれは自分自身を滅私てないということだと思います。
それは他人から見ると滅私奉公だとか自己滅私に見えるかもしれないですが、行っている行動が本人からすると対象そのものは自分自身であり、自分を満たす行為であるのだと思います。
自分の定義っていろいろあるんだと思うのですけども、自分の肉体も自分自身ですし、自分がつながっている家族だとか自分の友達というのも自分だと考えられる。
それにつながっている友達だとか、自分が関わっている会社だとかクリニック、組織というのも自分だと思えば、自分自身として意識づけができます。
後、自分を支えてくれている場所だとか家だとか、そういったものに意識を向ければ、それ自身も自分のように捉えることも可能ですし、現実的に自分自身なのかなという感じはします。
もしそれが滅私奉公として自分自身がそれに、本当に自分をつぶしてそれに貢献しようとしている関係性というのは、僕自身は依存の関係性だと思います。自分自身は結局はそれに頼って生きている状態。
それっていうのは数年は続くかもしれないですけども、いい状態というのは長続きはしないと僕自身は考えていますし、長続きしていても発展性はないものだと思います。
本当の意味で発展性がある関係性とは自分自身を、対象の相手を自分ごとのように捉えて、それで対応していく。
傍から見れば自己滅私のように見えますけども、やっている当の本人としては自分ごととしてやっていますので、別に自己滅私でやっているわけではない。
これがある程度自分中心の考え方で、自立した考え方で、自分を満たして他人を満たしていく。
他人というのは他の人ではなくて、自分自身に繋がりをもった自分ごととした他人なので、結局は今年のテーマである「提供」ということに関しても、自己滅私で提供するというわけではなくて、自分ごととして捉えて、それに対して満たしていく。
自分を満たして、それに繋がっている自分自身を満たしていくということが根底にあって、そういう関係性というのはもの凄く発展していくのかなと思います。それは依存ではなくて自立した考え方に繋がっていく。
なので、自己滅私、滅私奉公というのは、やっている当の本人からすると自分を殺すというわけではなくて、自分を満たす行為なんだということが最近分かってきて、それこそがやはり発展性がある関係性なのかなと感じています。
相武台脳神経外科
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