こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。
今日は平成28年10月18日の火曜日です。
昨日のお話の中で、認知症の患者さんの中でとてもお金に執着してしまう方というのが症状として一つあるという話をさせていただきました。そうなってくると、お金誰から盗んだとか、一日お金探してなきゃいけないとか。で、自分自身もあまりこう満足感も得られないし、周りの人も家族なのに何か盗っ人あつかいされてすごい嫌な気分になっちゃったりするという状況の方もいます。
で、そういうふうになってしまったというのは、認知機能が落ちる前に自分自身がやっぱりその、自分自身のするべき方向性として、自分は本当に心の奥底では幸せになりたいというのがあるんですけども、幸せになるということと、何かそのお金を多く貰うとか所有する、自分自身で持っておくものが多ければ多いほど幸せという頭の中で連想ができて、それが長い間そのつながりが何十年と切り離さずに持っていく中で、もしその信念が固定化されてしまって、自分自身は多く持てば持つほど幸せになるんだというふうな信念が固定化されて、で、認識機能が落ちた時にその信念だけが残っていろんな嫌な状況を生んでしまうということになってくるのかなと思うのですが。まあ、そう思ってくると、人間死ぬ時というのはどんなに多くのお金を持っていても、その死ぬ瞬間が幸せかどうかというのは、お金の多さというのはあまり現実的に変わらないものがある気がしますし、死ぬ時に死んだ瞬間に自分にとって札束というのは一瞬に価値がなくなってしまいますので。
まあ先日思いましたけども、この前の三カ月に一回ぐらい行かしていただいている、昔の人の文学を読む勉強会で若松英輔さんという方のお話の言葉の中には、人生を賭けて持つことができないものを探しましょう、ということをリルケの詩を読んでる中で一つの言葉としてリルケから書かれているというふうに言われてました。
人生を賭けて所有できないものを探せ。所有できないものこそ本当に価値があるもので、そういうものをいっぱい自覚している自分自身で感じられている人であればあるほど幸せなのかなというのがあって。所有できないものというのは確かにあるものだけど所有できないもの。人と人、家族との信頼関係というのは確かにあるものだけども、その自分が持つということは奴隷関係じゃないのでできない。人間との信頼関係だとか愛情関係というのはとても確かなものだけども持つことはできない。そういうものが多くあればあるほど、その人は本当の意味でそういった側面においては財産が多いとなってくると思いますし、そうなってくるように自分を支えてくれている人たちにどんどんこう貯金というか信頼の貯金を増やしていって、自分自身の財産をこれから老後に向けてコツコツコツコツと何十年間かけて貯めていきたいなというふうに、僕自身はその話を聞いて思いました。所有できないものを人生を賭けて探せ、という言葉をいただきましたのでそれをシェアさせていただきます。
今日は以上です。
相武台脳神経外科
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