《 加 》 こんにちは。相武台脳神経科の加藤貴弘です。今回は、ちゃんねる S 番外編。市民公開講座に、水上治先生をお招きしてお話を伺います。水上先生は、弘前大学を卒業された後、英語での地域医療やカリフォルニアで公衆衛生学を学ばれた後、今は市ヶ谷の方で補完医療を中心に、医療活動をされております。私が考えるに日本では、補完医療というのは、だいぶ遅れている部分があると思うのですが、そのパイオニア的存在である水上先生に今日はお話しを伺おうと思います。もし、参考にして頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
《 水 》 そういう風に出来ているのだから。だから、私はね、このメカニズムを素直に受け入れて、副交感だけでも良くないらしいのですけれどもね、やはりそういう風に設計されているという事実を、やはりもっともっと皆さんに知って頂き、受け入れて頂いてね。そしてそれを、うまく自分自身のライフスタイルの中で活かしていくことが出来れば、やっぱり病気の発生も速攻減るはずだろうなと思っているのですよね。
《 加 》 ある程度、健康の定義というのをはっきりこう頭の中で思い浮かべる事が出来ると、癌の病気になった原因が何かというのが、凄くわかっってくると思うのですね。その定義から外れているので。で、例えば、僕自身やはり自分の事でも思うのですが、人間って本を読んだり言葉で教えて貰っても、やはり理解できない動物だなぁと思っていて。
なぜかやはり、自分が痛い目にあったり実感しないとなぜか良くならない。そういう事であれば、もしかしたら、健康というのは凄く人間にとって一番良い状態であって、癌というのは悪い状態だったら、癌は健康状態を逆に言うと教えてくれている状態な可能性があるわけですよね。それで、色々な手段で乗り越えるのは良いのですけれども、やはりそれを、手段を提示する医者側が健康の定義というのを、ある程度明確に持っておかないと。また、癌が治ったとしても、その人がまた病気になってしまう。何か別の病気になってしまう。水上先生って健康の定義って何かおありですか?
《 水 》 凄く難しいと思うのですね。それを的確に答えられる医者も、いないのだろうと思うのですけれども。おそらく、病気でない状態という風な消極的な意味ではないと思いますね。私自身のイメージを言わせて頂くと、やはり健康であるという事は、おそらく、生きる喜びに満ちているという事ではないかと思うのですよね。もっとポジティブな意味合いがあるので。ただ、例えば、便秘が無いとか風邪もあまりひかないとか。そういう事だけではなくて、もちろんメンタル、あるいは私もスピリチュアルという言葉を今日は使わないできたのですけれども、そういう点でも、ヘルシーでないといけませんよね。WHOの有名な健康大憲章の定義がありますけれども、あれだって、社会的な健康という事も言っていますよね。
だから、やはり、自分一人だけ健康でいれば良いという訳ではなくて、周りとも仲良くやっていくというのが、健康の条件でもある訳だから。だから、自分だけではなくて、周りが本当に幸せに生きていて良かったって。それこそ、感謝できる。自分は生かされているて良かったねと。そういう風に、日々、一瞬一瞬思えるようであれば、かなりこれは健康な人では無いかなと思いますね。スピリチュアルにもという事ですから。よくね、患者さんに私が質問をするのですよ。メンタルとスピリチュアルの違い、メンタルヘルスとスピリチュアルヘルスの違いってどう思われますか?っと聞くと、あまり皆さんお答えられないのだけれども。
私はこう思いますと申し上げているのは、結局、メンタルに健康だという事は、精神科に行く必要が無いという事ですよね。簡単に言うと。だけど、スピリチュアルに健康だというのは、私の考えではもっと次元の高い事では無いだろうかと。本当に生きてて良かった。もう、色々な人と楽しく付き合えると。そういうね。もっとこう次元の高い事を、スピリチュアルヘルスと言うのではないかなと思っているものですから。なので、今の先生の質問にきちんと答えていないかもしれないけれども、やはり私のイメージというのは、健康であるというのが本当に素晴らしい。生きていて良かったなぁという一瞬一瞬をね、今日も体験しているみたいな、ポジティブな意味合いに取りたいと思いますね。
《 加 》 私の中で理解している部分があって、ご指摘いただきたいのですが。人間自体は、解剖で習うように、脊椎ってS字状になっていて、バランスが取れた状態なんですよね。無駄がない。で、人間の体って本当に健康であったら、バランスが取れていて。バランスが取れている状態というのは、自分の中で凄く気持ち良いと感じている状態だと思うのですよね。こう気持ちが良い状態で、自分の体温も感じるし、空気を吸う事も気持ちが良いし、あぁ凄い気持ち良いなと。で、体の色々な滞りが取れて、バランスが取れて気持ちが良いというのを、僕自身は健康の定義という風に考えていて。
《 水 》 僕の考え方に近いと思いますね。
《 加 》 そうですね。そこで、外来を初めて、凄く問題になっているのは、気持ちが良い感覚というのは、都会に住んでいると凄く変容してきている感じがするのですね。例えば、私なんか絶対に肩がこった事なんて、一生今までに無いのですよとか言っていて。本当ですか?と触ると、カチコチなんですよね。問題点がわかっていて、ご理解いただけていて、感覚が落ちてしまっているというか。例えば、友達の家に行った時に、その家独特の匂いってたぶんしたことがあるのですが、そこに住んでいる方というのは、その匂いを感じていない。ずっと一緒なので。
感覚って、私自身信用していないのですね。どんどん、脳に言ってくれなくなるのかなと思って。毎日、毎日、現代人ってどうやって生きているのかというと、今日、睡眠不足で体がだるいけれど、仕事休めないし。頭痛いけれど、祖語と休めないし。腰痛いけれど頑張っていこう。ちょっと栄養ドリンク飲んで、症状を抑えて。痛いけど痛み止め飲んで。毎日、毎日、そういう思考でこう何十年といると、感覚がこなくなっている。となると、50、60になってくると、気持ち良い状態でいたら良いですよと。気持ち良いって何か、全然わからなくなってしまうのですね。で、そこから、取り戻すという事は、健康を戻していくという事の、第一歩なのかなと思っていて。
《 水 》 素晴らしい考え方ですね。その通りだと思いますよ。
《 加 》 今、一番やはり60、70になって、脳卒中にならないかな、心筋梗塞にならないかな。癌にならないかなと不安なんですけれども、例えば、不安だからサプリメントの勉強をしましょう。不安だから色々な知識を勉強しましょう。勉強をすればする程、不安になってくる。
《 水 》 なるほど。色々な情報が入りすぎますからね。
《 加 》 根本的に、関係性なので、結局そういうのは手段なので。やはり素晴らしい手段ではあるのですが、ちょっとそっちのベクトルではなくて、ちょっと落ち着いて、意識を体に向けて行って。今、ご自身の関係性というか、生かされているという関係性をもう一度見直していくという事をすると、かなり色々な問題が解けてきますよっという事を、伝えていきたいなと思って。
やはり人間の体で、自分たちは生かされているのだっという関係性をもう一度見直して。息をするだけで気持ちが良い。足が動いてくれている、80歳になっても動いてくれているし。ご飯も食べられるし、皆と話せるし、なんて自分は幸せな状況にあるのですかという、そういう状況をまずは見直すという事が、第一歩な気がするのを伝えていきたいし。
その中で、手段があれば提供していきたいなというのがあるのですけれど。健康の定義というのを明確に。やはり体がバランスが取れて気持ちが良い状況なんだよと、僕自身は思っていて。気持ちが良い状況なのだけれども、気持ちが良いというのは凄く分からなくなってきているので、感覚を取り戻しましょうという事を、一つ伝えていきたくて。体の声を聴き続けるというメッセージを。
《 水 》 私自身はやはり、本来人間というものが、そういったセンシティビティーをたっぷりもっていた存在であったはずだし。恐らくそうでないと、とっくに淘汰されていたと思うのですよ。色々な試練があったはずですから、人類の歴史においてですね。でも、生き延びてきたのだから、やはり本来の人間の鋭い感受性に頼って、おそらく長い間生き延びてきました。
ところが、やはり現代文明が、そういった感受性をかなり残念ながら押しつぶしてしまっていたという事実があると思うのです。多くの人がそれに気付いていらっしゃらないのだけれども、それが、相当人間をダメにしているものですから。でも、私の長年の臨床経験で、本来それがあるのだから、そういうプロセスというのが、自己中力が上がるプロセスだし、それこそ免疫の上がるプロセスであるという事も、段々とわかってきたのですね。
だから、おそらく先生がおっしゃっているそういう感性を取り戻す。新たに獲得するのではなくて、人間が本来持っているのにちょっと鈍くなってしまっていた、そういった事実に気付いたらもうすでに、半分良くなっていた物かもしれないので。先生が色々と例えば、具体的にアドバイスをして下さるのを実践していかれたら、おそらく、そういった感受性が相当戻ってきて。そうすると、おっしゃるようにより健康な日々がね、実現するのでは無いかなと。そういう意味でね、先生のお考えはまったく賛成ですね。
《 加 》 やはり、そういう事というのは、大米とかは、アメリカとかヨーロッパでは浸透してきているのですけれども、どうしても、日本の中で公になかなか浸透しにくい部分がまだあるなぁという感じはしますね。
《 水 》 私はもちろん、サイエンスはある程度裏付けがあったりしてね、西洋医学的にもある程度、分かってきている部分はあるのですが。同時にですね、思うのは。そういった感性って、私の独自の偏見や独断でしかないのだけれども、東洋人の方がね、長年分かってきていたと思います。
《 加 》 日本人は本当は分かっていたのだけれども、わざとなんかこう。
《 水 》 いわゆる、何とか道。茶道とか華道だとか、柔道とか。色々な道って日本人は付けるの得意ですよね。特にあぁいう芸術的な部分というのが、そういった感性を磨く場でもあるわけでしょう。だから、我々東洋人、特に日本人というのは、その辺の感性が抜群に鋭い民族だったのではないかと私は思っているのですね。
《 加 》 そうですよね。
《 水 》 それがね、どうしても色々な理由で、鈍ってしまっていた。それに気付いて頂く事だけでもね、とっても大事だと思うし。そこからのスタートで良いのではないのかなと思います。
《 加 》 結局、大米の方って、日本から勉強しているのですよね。逆を言うと、マクロビオテックの食事療法も、日本から逆輸入されているというか。日本人というのは、凄く可能性があると思うのは、ある部分やはりこの無宗教の方が多いから、逆を言えば、本物に近づけると言いますか。クリアに色々な判断が出来たり、感じたりすることが出来るので。今、やはりそこがネックにはなっていると言いつつ、そこは可能性だと思うし。
《 水 》 いや、私はそこはね、ちょっと先生と考えが違うところもあるのかもしれませんけれども。私自身も、日本人と宗教についてはですね、色々と考えてきたのですけれどもね。恐らく先生がおっしゃっている宗教というのがですね、キリスト教とか仏教徒とか、信徒とか。きちっとした信仰を持っているみたいな感じではなくて、確かに、結婚式は教会でとかね。発毛では神社とか、お葬式は仏教だしと。もちろん、それはある部分正しいのでしょうけれども。でも、日本人が、宗教が無い国民だとは私は全然感じないのですよ。それは、やはりね、スプリットというものを大事にしてきている。何というのかな、色々な考え方があると思うのですが。日本人って結構ね、あの世も信じていたり、奇跡も信じている人が結構いるわけですよ。だから、完全な無神論者では必ずしも無い。秘めているのでは無いかなと思うのですよね。
《 加 》 やはり、心の奥底で凄く信じ深いというか、異形の社会やよろずの神など、色々な物にありがとうとご先祖様にとか、頂きますとか。感謝する気持ちというのは、凄く深いものがあると思っていて。上の意識の部分、意識というか、普通に生活をしている意識の中で、そこの所は忘れてしまっている部分がある、そこの深い所までを意識して、自分は信じ深いのだという風な生き方をされている人は少ないのかなという感じはしますね。土台は凄いものを持っているけれど、普段の生活の中で、そういう所まで意識されてというのが無いので、色々な部分で不安なのかなと。
《 水 》 おっしゃる通りですね。
《 加 》 医者からこういう治療法ありますよと。え、永眠した方が良いのかなとか。どうなのかなと、凄く不安に思うし。こうやって親は苦しむのかなとか。親はどうしたかったのかなっという風に悩んでしまうし。やはり判断に凄く迷ってしまうと所があったり、それは社会的に私ってこんな事をしたら嫌な子どもだと思われないのかなっといった事が判断に入ってきたりしてしまうし。そこで、不安定な所があるので、医療というのが安定しないところが、一人ひとりで安定していかない部分があると思うのですが。やはり、医者だけの問題ではないような気がするのですね。
相武台脳神経外科
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