《 加 》 生徒さんの、男の子と女の子の比率ってどれくらいなんですかね。
《 原 》 それはもうバラバラですね。男の子が多い年もあれば、女の子が多い年もあって。
《 加 》 何か教えられる時の違いとかってありますか。
《 原 》 そうですね。距離感ですかね。何かこう男の子の方が、一緒にふざけてあげられるというか。女の子達の方が、内心思っていることとか考えていることとかを、分かってくれる大人の方が、やはり信頼されやすいので。
《 加 》 そうなんですね。
《 原 》 やはり女の子の方が、中学生って圧倒的に精神的な発達が早いのですよ。今の肌感から言うと、大体中一の途中ぐらいから、中二ぐらいかな。ある程度、大人の会が。きちんとした会話ができるようになる、というのが女の子。大体、中二の夏ぐらいまでは小学生という、男の子のケースが多くて。なので、やはり引っ張り方が違いますね。
《 加 》 男の子はじゃれ合って引っ張って。女の子は、わかってあげるみたいな。
《 原 》 そうですね。気持ちは分かるんだよと言って。別にこれは嘘では無くて。わかってほしいのも事実なので。きちんと話を聞いてあげて。分かった上で、じゃあ、どうしてこうでという。これが目標なんだよねというのが、女の子。
《 加 》 凄いですね。
《 原 》 男の子はもうなんか、お前ちゃんとやれよみたいな。という感じで良い子もいるし。
《 加 》 人によって違うのですね。
《 原 》 そうですね、人によって。やはり男女というよりは、精神的な発達段階がずれるので。そこが、一つポイントかなと思いますね。
《 加 》 原田さんの周りの環境の中で、そもそも学校の先生の役割と。その原田先生の様な塾の先生の役割の関係性というのは、どういう関係性でしょうか。
《 原 》 そうですね。やはり学校が、本当に学校単位で凄くカラーが違うというか。
《 加 》 そうなんですね。
《 原 》 熱心な子が多い学校もあれば、荒れている学校もあるというのがあるので。本来、極論ではあるのですけれど。塾って無くても良いというか。学校で全てが終われば良いことだと思うのですよ。ただ、それが難しい。先生たちも結構、大変な状況の時代だと思うのですよ。昔みたいに、ビシバシいければ良いものを。
《 加 》 今なんてもう、お母さんは公立高校だから、行ってやってる的な雰囲気で。なんかそんな人もいるみたいなので。
《 原 》 なので、出来ることと出来ないことの制約が、学校ってすごく大きいのかなと思います。そして、色々なことを学ぶ上で、学校は絶対的に必要だと思うのですけれども。塾って、そのプラスアルファじゃないですか。だからこそ、なんか各熟が尖っていった方が良いのではないかなと思います。
こういうことを学びたいから。というよりかは、教えたいからなのかとか。スタートはどっちでも良いのですけれども。だから、この塾というような。こういう部分が欲しいからという。もうなんか今って、どうしても学校も塾もグレーになっていて。なんとなく、勉強勉強で。もちろん、勉強というくくりは一緒なんですけれども。
《 加 》 恐らく、大手の塾とかになると、そういうシステムで。テキストを渡してはいみたいな。教え方まで決まっているみたいな感じに、なってしまっていると思うのですけれども。
《 原 》 それでもっともっと、勉強を伸ばすというのは、どこも大前提なので。大前提とした上で、そのプラスアルファの部分を、塾は伝えていける存在であれば良いのかなと。
《 加 》 本当に原田さんの場合のエッジというのは、一人ひとりの子どもさんを見るといった感じですよね。
《 原 》 そうですね。
《 加 》 子どもさんに応じて、対応されている様な感じで。
《 原 》 やはり限界を超えさせてあげて、成功体験を積ませてあげて。卒業をさせるところですかね。なので、やはりある程度の努力はしようね、というところもありますし。そういう色が、塾はもっと出せたら良いのではないかなと思うのですね。学校って、どうしても人数も多いですし。色々なしがらみももちろんありますし。そこまでとがれない部分もあるので。
《 加 》 親としては余計に、費用を払うわけですものね。だからそういった意味で、費用対効果というか。それが本当に効果があるのかどうかというのを、判断するうえで。本当にそれが、確立化されたものであれば、YouTubeとか。インターネット上にも沢山あるので。本を買ってきて、自分でやれば良いのですけれど。そういう塾が増えてくると、そういう学校にも良い影響がいくのですかね。
《 原 》 面白いなと思いますね、その方が。塾は、塾側も言ってみればお客さんを選ぶこともできるし。お客さんからも塾は選べるので。そういう意味で、本当のオプションで選べる時代がきたら、目的別に選べる時代が来たらいいなと思いますけどね 。今は、色々な塾がありますけどねとは思います。
《 加 》 原田さんは、原田塾で色々なことを色々な方に教えられてはいるのですけれども。すごい言葉で言えば、教育という言葉になるのですが。教育を押していくプロなんですけれども。教育とは、どういう風な言葉で捉えられていますか。
《 原 》 なんか、教育、教育と言いすぎているのかなと、凄く思います。例えば、学習指導要領という言葉ではあるのですけれども。教育側からして、どういうものを教えるのか。どういう体制を整えて教えるのか。
例えば、プログラミングもこれから必要になるから、全員に教えるのか。こっち側の矢印ばっかりになってしまっていると思うので。やはり教えるサイドが、もっと幅を持って良いのかなとすごく思っていて。もっとこう、やはり選択させるような教育。どちらかと言うと、学習にこう目を向けて。そこに焦点を絞って、枠組みを作っていくのが教育だと思っていて。
《 加 》 自分こう出てくるような、段々と出てくるというか。
《 原 》 やはり子どもが選んでやるというところに意味があるので。そういうのが本当の教育かなと思いますね。逆に、プログラミングを全員に教える体制を整えるのであれば、学びたい子が誰でも学べるような環境を作る方が、教育にとっては良いのかなと思っていて。
そういう子どもが、本当に勉強したいという気持ちを、大切にする。全部を与えて押し付けて、こう積み上げていくのではなくて、余白を残しておくというのですかね。なんでもかんでも教えることが、教育ではないと思うので。
《 加 》 今までは何かその、明治時代になって。良い強い国を作る為に、国民の一人ひとりをこまとして、最低ラインはこういう能力がないといけないから、教え込むみたいな形の、教育だったのではないかなと。結構、刷り込みや教え込み方で。洗脳といえば洗脳なのかもしれないですけれども。逆にこうやはり、一人ひとりが自発して、伸びていくような場所というのが、これからの時代というか。
《 原 》 そんな気がしますね。英語も段々と、小学校低学年に降ろしていって。どんどん早く教えて、覚えさせていこうという動きですけれども。昔、英語を勉強していた人間と、例えば今、小学5年生から始まってきた人間が、どこまで英語の能力に差があるのかって凄く難しい話な気がするのですよね。
本当に子供達に余白をあげて、ここをうまく。それこそ、スマホではなくて、学びたいという所に、じゃあこれこうしてごらんとか。そういう風に導いてあげられるのが、教育なのかなという風に思いますね。
《 加 》 それが広がっていければ良いですよね。義務教育とかって、名前が嫌ですよね。何かやはり少し。
《 原 》 その辺、似てる部分がある気がします。押し付けられてもというのは、ありますからね。最低限やはり、持っているべき物ってあると思うのですけれどね。
《 加 》 寺子屋って、江戸時代の寺子屋って、そんな感じだったのですかね。
《 原 》 たぶん、そんな感じだったと思いますね。
《 加 》 ヨーロッパの方で、寺子屋の教育方法がすごく見直されているという話だったのですけれども。江戸時代は、そういう一人ひとりをこう、伸ばしていこうみたいな話が、その中であったのかもしれないですね。
《 原 》 そういう、もう少し個性が大事にされるような世の中になれば。それが平等という観点でいくと、多分、平等にはならないので。今は難しいのだと思うのですけれども。個性、個性でいければ。
《 加 》 そうですね。平等ではなくて、本来の自分がどうありたいのかということを広げていければ。今かなり、記憶力に関しても、ひいおばぁちゃんとかと比べると、相当、今はすぐにパソコンとかでこう、調べてしまったりするし。漢字を書くのも、書けなくなっている。パソコンで簡単に変換できるので、書けなくなってきていたり。脳の能力ってだいぶ落ちていたりとか。
テレビでこの前、空海が二十歳の時に書いた、何か手紙みたいなのを見たのですけれども。すごい二十歳の時に、むちゃくちゃすごい字で。何かわけのわからない、高度なことを書いているのですよ。何か昔の人って、相当すごい人間能力があったのかなと思っていて。そうですね、もしかしたら、少し押さえつけられているのが、多い時代なのかなというのがありますね。
《 原 》 何かそうしなさいと、操作ばかりを教えている気がしますね。本質では無くて。
《 加 》 本当は、子どもにとってはそんなに、全然何もやりたくないのにというのを、無理やりというか。全然そうではないのに、なんか伸びないですよね。腐っていきますよね。その子の本質的なところが。そっかそっか。こう上からでは無くてこう、下から燃やしていくみたいな。だしていくみたいなのが欲しいですね。
《 原 》 増やすよりも、減らす勇気を持っても良いのではないかなという気はします。
《 加 》 その中で、その原田さんの先生としての在り方というのは、どういう感じで考えていますか。
《 原 》 そうですね。本当に、やはり多感な時期。家庭に色々なことを話せる子もいれば、そうでない子もいる。友だちと話せる子もいれば、そうではない子もいる。色々な子がいるので。兎に角、その子達のまずは、心の拠り所になりたいなとは思いますね。
この先生に言えば、話は聞いてくれるし、こう導いてくれるではないですけれど。良いアドバイスをくれる。その結果として、この人みたいになりたいなとか。こんな大人もいるのだったら、大人になるのも悪くないなということになれば良いなと思いますし。何かやはりこう、かっこ良い大人でありたいですよね。子どもにとって。そういうのはありますね。
《 加 》 うちは、こういう大きな設備投資とか。規模を大きくしているので。あまりこう、一人ひとりの患者さんと、そういった寄り添って。本質的なところができなかったですし。こう時間をかけて、しっかりと向き合って行けるという時間もないので。なんか羨ましいなと思うところはあるのですけれども。
ある意味、多くの方が来るので。時間は短いですけれども、多くの人に影響を与えられるというところに関しては、最終的には、自分の自発的なところをやっていきましょうということですけれども。少なくとも、あまりにも表面的に依存的な人は、うちの敷居をまたがないで下さいという風な雰囲気にはしています。
そうすることによって、結構そこら辺は本当に高圧的に、かなり白黒つけていますね。依存的な人は嫌ですし。依存的では無い人に対して話す。そして、門の前には、自分の健康に責任を持つということを書いているので。そこら辺の所は、すごく僕自身が全てをオープンに出来ていないということがありますけれども。
その中で、やはり本当に追い込まれている方って、そういう気持ちになった方ってすごい方が多いので。めちゃくちゃ、僕自身やスタッフもとても勉強になっているのは、癌患者さんとかで、結構そういう方に対しての点滴療法とかも、うちはやっているのですけれども。
僕自身はかなり、効果的な治療法だと思うのですが。今は保険で認められていないので、かなり格安でやっているので、希望者は多いのですけれど。そのホームページの一番上のところに、癌患者さんだからといって、あられ身を乞うような人は、うちはお断りですと書いてあるのですけれど。
癌というのは基本的には生活習慣病なので、今までの身体との向き合い方が間違っていた。あるいは、間違っていたかもしれないという問いかけを出来る人だけを、うちはやりますよという条件にしているので。そういう条件で来る人というのは、本当に凄いと思いますよね。しかも、良くなっていきますし。
だから、教えるというよりもこう、教わるということが。その軸を作って。そこに来る方で、僕は軸をぶれさせないようにしているので。何というのですかね、教える人というよりも、この場所の守り人みたいな感じですかね。
《 原 》 健康も多分、勉強も。いかに自分がどう良くしていきたいかという意欲って、絶対に大事ですからね。
《 加 》 そうですよね。やはり主導的にというところだと思うので。
《 原 》 そのバランスを取ってあげて、方向を示してあげるような存在であれたら良いなという所ですかね。
《 加 》 今までなんてもう、完全に医者から言われたことをやるというのが、何十年前まではほとんどだったのですよね。医者から言われたことをやるというので、お医者さんに気に入られたら、良い事言ってくれるのではないかなと思って。結構、患者さんからお金を持ってきたりなんかするわけですけれども。
うちはそういう雰囲気ではないので。そういうのは、どんどん減ってきていますけれど。どんどん減ってきているというか、ほとんど無いですけれども。やはり、昔の人というのは、そういうことをしますよね。やはり医者に対してこう。
《 原 》 聞きますよね。心付け的なことで。
《 加 》 心付けですね。それは何かパターンイズムで、強権的にされているという意識があるのかもしれないですけれども。治していくのは自分だからというところは、ありますけれども。
《 原 》 そうですね。結局、自分の身体。自分の頭ですからね。
《 加 》 今日は、色々とお話を伺ったのですけれども、やはり今から子どもさん達にとっては、結構成長していくのに大変な時代を、やはり一人ひとりが輝いていけるにはどうしたら良いかなという様なことを、原田さんが模索されながら。一つの形を作っていっているのだなというのが伺えて、僕の方としてもすごく勉強になりました。今日は、どうもありがとうございました。
《 原 》 ありがとうございました。
相武台脳神経外科
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