《 加 》 よろしくお願いいたします。今回は、僕自身が、江崎さんのこの本を読ませて頂いて。その癌と日常と、社会保障の問題と。あと、糖尿病とかの問題に関して、まさに当クリニックがさせて頂いていることなので。ぜひ、ちょっとお話を伺いたいなと思いまして。今日は、お呼びいたしました。ありがとうございます。
《 江 》 こちらこそ、ありがとうございます。
《 加 》 僕自身は、脳外科の診療をさせて頂いていて。すごく患者さんも患者さんのご家族も、脳卒中などを発症してしまうと、辛い思いをしますし。医療従事者側もすごく、手術があり。その後の、重労働というか。すごく労働が大きい上に、お金もかかる。医療費がすごく莫大にかかってくる。
こんなにみんながバタバタと苦しい想いをするのだったら、ほとんどがそうなる前に予防できる病気なのになというのを、モヤモヤしながら思っていたのですけれども。やはり、なかなか手術したいという気持ちが捨てきれなくていたのですが。
東北の大震災があって、やはり自分自身のやりたいことは、今しなければいけないと思いまして。それで、開業させて頂いて、8年になるんですけれども。患者さんにメッセージを伝えていくという中で、江崎さんは、行政の方から日本の国の人たちに、色々とメッセージを伝えて行きたいということだったのですが。なぜ、行政官というのを選ばれたのですか。
《 江 》 わかりました。実は、私はもともと医者になる予定だったのですよ。家が古くてですね。家から通えるところの仕事で、医者か先生しかダメよという風に、もともと言われていたのですね。
あとは、子供の頃には、野口英世とか。アルベルト・シュヴァイツァーなど。やはり人を助ける仕事をしたいというのと。ちょっと家が古くて、私が22代目なんですよ。ずっとその街のためにとかいうのが基本だったので、お金を稼いだりというよりかは、やはり世の中のために役に立ってというのは、ずっと子どもの頃から言われていたので。
《 加 》 もともと、家柄がそういうところなんですね。
《 江 》 家柄というか、まぁまぁそうですね。お金というよりかは、やはり社会の為にというのが。父も公務員ですから。それで医者になろうとは思っていたのですけれども。中学生の時には、量子力学の本にたまたま触れて。これは面白いということで、もうちょっと勉強したいなということで。一応、医学部が決まりかけていたのですけれども。辞退をして。
そして、まだまだ決めきれなかったので。それこそ、東京大学の理科一類だと、色々な選択肢があるだろうという。ちょっと甘えたところで行って。科学が得意で、進学振り分けといって、専門を決める時にですね。科学に来ないかという話も頂いたのですけれども、その時の先生にですね。医者を止めてまで、物理をやりたくてきたのでという話をしたら、人が一生のお仕事を選ぶ時に、これが好きだからとか。これが得意だからというい理由だけではだめだと。
自分は何のために生まれてきたのかを考えろということでですね。好きなのは、物理ですと。得意なのは、科学ですと。そして、ちょっとお恥ずかしい話ですけれども。物理に行こうと思ったのもですね。戦争を止めたいというのがですね。やはり世の中の理不尽を減らしたいという、ちょっと青い思いなんですけれども。先生からは、人生は長くはないよと言われたので。それで、国際関係論に変更したのですね。
《 加 》 理科からですか。
《 江 》 理科からですね。東大は別に理科からでも、どこからでも行けるので。それで行ってみて、文転したものですから。全然、学問の対比が違いますし。色々と学べる中で、やはりその結局、戦争というのはですね。外交でも軍事でもなくて。経済で決まるという事ですね。
やはり、色々な理由はあれ。結局は経済で決まるんだということを、学ばせて頂いたのですね。そうすると、むしろその経済もそうですし。社会そのものが原因で、苦しんでいる人達がたくさんいるのではないかと。
後付けの理屈ではあるんですけれども。医者になっても、確かに人は助けられるよと。後は、戦争を止めたかったら、社会の理不尽なことを減らすと、ほとんどが助かるのではないかなと。それを一つひとつ止められたら、何万人と助かるのではないかなと。ちょっと青いことを考えましてですね。
そうすると、色々と今更、企業に行ってお金儲けという発想は元々ありませんから。そうなると、やはり行政かなという感じで。色々と回っているうちにも、結果的には経済産業省に入っていたと。そんな感じですね。
《 加 》 ありがとうございます。凄いですね。官僚の方って、そんなに皆さん高いモチベーションでされているのですかね。
《 江 》 いや、私はすみません。元々、役員になろうと思っていたわけではないので。割とそういう、最初からそういう官僚になろうと思ってきた人たちは違うかもしれませんけれども。 従って、そもそも何省があるのかも、あんまり知らずにですね。公務員になったので。
《 加 》 兎に角、社会を良くしようというか。
《 江 》 良くしようというか、やはり理不尽なことを、減らしたいという思いですよね。それが、ベースにあるという感じですかね。
《 加 》 不尽なことと言うと、やはり社会保障の問題というのがすごく理不尽というか、凄く行き詰まっている問題だということで、本を出されたと思うのですが。この本なんかを僕自身が読ませて頂いて、まずこの何かに息詰まった時には、とりあえず本質を見ろということを、最初に言われていて。あと、個々の社会保障の問題と、糖尿病と癌。認知症と書かれていて。そして、第3章では、国は変えられるという事を、実際の実例を出して頂いて、変えていきましょうということに、繋がっていくと思うのですけれども。
やはり国が変えられるということを、僕ら国民というのは思っていないですよね。のみって、ぴよぴよと飛ぶと思うのですけれども。枠が、なにかのみの話があって。なんかこの枠が30センチの厚みをしていると、30センチまでしか飛ばないけれども。枠を外しても、30センチまでしか飛ばないけれども。50センチの枠を置いておくと、50センチまで飛ぶと。そこで思考が、枠で固まってしまっているところがあるので。
《 江 》 そうですね。
《 加 》 本当にこの本を読んで、そこのところを国民一人ひとりが持てたら、だいぶ違うのかなというのは感じましたけれども。
《 江 》 そうですね。そういう意味では、たまたま国の仕事をやらせて頂いているので、国単位でものを考えますけれども。実際にいうとですね、やはり自治体をベースに考えてしまう。そういうのは、ちょっともったいないかなというのがあって。
自治体にいるとですね、国からの指示って自然災害なんですよね。もうしょうがないから対応しなきゃいけないという風になってしまうのですけれども。そういって我々が交流することの意味は何かというと、我々は支援災害の現任者ですから。
例えば、台風が来ますというと、もう兎に角、対応することだけで自体の方って、右往左往するのですけれども。分かっているので、台風が来るなと。ちょっと進路を変えておいてとかですね。地震が来ますというのも、じゃあ、明後日にしてもらったらとか。そういうことがわかるので。そういう感覚で仕事ができると、実は行政って大きく変わるよと。
例えば、どれくらいその、何と言うのですかね。例えば、我々は国のことを考えて仕事をしています。例えば、アメリカと今までもやっていますけれど。太陽系のことを考えて、仕事はしていないでしょう。
《 加 》 なるほど。
《 江 》 まさにおっしゃる通りで、それぐらい実は、勝手に自分たちのフィールドを固定してものを考えてしまっている。そういうところから、一歩離れてみる。例えば、社会保障もですね。社会保障の問題として捉えていると、その中でしか答えるほかないのですけれども。一歩離れてみると、そういう問題ではないのではないかという。
《 加 》 そうですよね。
《 江 》 特に、これは意外に思われるかもしれませんけれど。これって、社会保障の問題を書いているのではないんです。今、おっしゃっていたように、社会保障は理不尽ではなくて、非常に素晴らしい制度なんですよ。理不尽なのは何かと言うと、まさに先生がおっしゃった様に、お金をかけて患者さんも苦しんでいるし。医者も苦しんでいる。これが理不尽なんです。
だから、もっとお年寄りも患者さんも、幸せになれるし。結果的に、お金がかからないかもしれない。この中に、書いてあるように。お金というのは、人を幸せにするためにあるのだから、このお金で幸せになるんだったら、お金を使うべきだし。もしそれで、その社会保障が足りないのだったら、もっと投入すれば良い。
ところが、まさに特に高齢者の方々って、その治療はしない方が幸せなんじゃないかとかね。その先生方も、いや、そういう治療をするために医者になったのですかと。そういう風に思いながらも、やらざるを得ない。そういうところの理不尽さが、むしろ向き合うべきで。社会保障制度が悪いからなのではなくて、良すぎるから。その中で、その対処の方法が間違っているのではないかということが、ポイントなんです。
《 加 》 医療というのは、基本的には手段だと思うのですよ。手段なんですけれども、それが目的になってしまっているというのが、すごくあるのですよね。
《 江 》 そうですね。大事な点はまさにポイントはそうで。病気になった人にとったら、それが1億であろうと10億であろうと、必要だったら使えば良いと思うのですよ。それで治るのでしたらね。そして、先生方の悩みは、多分この治療をやってもダメかもしれないと思いながら、要するにその治療をやっていると。結果的に、その医療費が高いというね。
意外に思われるかもしれませんけれども、別に医療費を下げたくてこの話をしているのではなくて。まさに高齢社会になって、お年寄りの方とか。あまりにも幸せじゃないことが問題であって。今、医療費や社会保障という風に、皆が議論をしすぎていて。だから、答えが間違ってるのではないかと。
お年寄りはもっと幸せになる。この中にあるように、いかに2周目の人生を幸せにするのかということに答えがなくて。その答えを出さずにですね。一周目の人生のために作った制度を、どう当てはめるかというのをやっているから。誰も幸せにならないし、財政もおかしくなる。
要するに、問題の順番が違うのではないかというのが、この問いなんですよ。したがって、一月に一人に払われるお金が1億を超えていると。これは、月額8000万円越えがある特定の血液の病気なんですけれども。この人にとっては、必要なお金なわけですよ。1年間で12億円だって、それで生きていられるんだったら、使ったら良いですし。
それを諦めてくださいというのは、むしろ論外であって。まさに、先生がおっしゃったように、その治療しなくても、もっと事前にやれば、もっと幸せになって。結果的にお金が、かからないかもしれないところを、放置しておいて。足りる足りないというのを、議論していることが。そして、一番怖いなと思っているのは、お金がなくなった時に、その治療がなければ生きていけない人のお金を、切り始めること。これが最大の理不尽だと思っていて。それを何とか止めたいというのは、もともとのベースになっています。
《 加 》 やはりそう思うようになったのが、国際医療センターというところで働かせて頂いていたのですけれども。ベトナムに行った時に、ODAでは日本人は、最先端の医療をベトナム人にあげるというのが良いことだと思っているのですけれども。向こうの人にしてみれば、意外にこうありがた迷惑だったりするわけですよ。
《 江 》 そうですね。そうです。
《 加 》 やはり、最先端の医療だったとしても、向こうの人はそんなに望んでいないことも特にあるので。僕らの一つ上の世代の方って、高度成長期とかで。もうお仕事をすごいもう必死で頑張ってくれている方々であって。何が幸せかというのが、自分にとって何が幸せかというのを、まるっきり考えてこられた時間がなかったんじゃないかなと思っていて。
《 江 》 なるほど。
《 加 》 幸せって、その人にとって何が一番幸せなのかという定義を持っている方って、日本人の中でかなり少なくて。お年寄りの中で。そこがすごく問題なのかなという風に。
《 江 》 なるほど。
《 加 》 医療を提供しようとしても、この人はどうすれば嬉しいのかなというのがあったりとかして。この人自身は、こうすれば嬉しいのかもしれないですけれども。他の家族の人が出てきて、こうした方が良いだろう。こうしていかなきゃなど、ぐちゃぐちゃになってくると。
そうすると、その人が胸を張って、俺はこうしたいんだと言える、幸せの定義というのを、一人ひとりが持っていないというのを、すごく感じるんですけれども。そこが持てると、医療も安定するのかなとかってありますか。
《 江 》 それは、先生は非常に良い例というか。答えを出してこらえてね。昔の人たちは、実は幸せだったんですよ。例えば、年代からすると、ちょうどバブルの前後くらいでしょう。昔の人達というのは、頑張ることが幸せだったんですよ。頑張ることによって、給料が上がるし。今日よりも明日、明日よりも明後日に良い生活ができるということが、幸せなんですよ。
そして、途上国の方々と話をしていると、お腹いっぱいに食べることが幸せだし。それ以上の幸せが他にいるのかという。だから、それはそれで幸せなんですよね。それに対して今は、むしろこの本にも書きましたけれども。ハングリー精神を求める大人の頃は、本当にお腹が空いていたわけですよ。
今の若い人は、お腹が空いていないと。お腹は空いていないけれども、心が空いてるというね。自分の生き方はこれで良いのかと、おっしゃっていたように、この幸せの形は何だろうと思っていることが、考えられる。それは、ステージからすると、すごく羨ましいことなんですよ。
普通は、生きるために必死で。どうやって食べて、今日をどうやって食つなぐかということが、人類のこの100万年の歴史の中で、別に食べられるよという。こんな贅沢な時代の中で、我々は生きていることができると。そこで、むしろ我々が初めての経験をしていて。要するに、食べられるということの後に、どういう幸せを探すんだっけというのが、わからなくなっていると。
しかも、その医療を引き出して言うとね。兎に角、高度な医療を提供すれば、その素晴らしいという風に思ってきたし。過去としては、そうだったんですよ。実はですね、私も医者にならなかったもう一つの理由があってですね。
先程、小学校の文集に、私はアフリカでその貧しい人たちを助けるんだと言う絵まで描いていたのですけれども。先程、野口英雄とアルベルト・シュヴァイツァーに憧れていたと言いましたけれども。
実はシュヴァイツァーの評価というのがあって、現地の人達になんて言われていたのかというと。まさにあの西洋では、人道の騎手みたいに言われたですね。その第一回ノーベル賞なんてあったんですけれども。現地では、ホワイトサタンと呼ばれていたのですね。それは何かというと、風土病を西洋の知識だと、壊死してしまうから、バンバン手足を切ってしまうわけですよね。
ところが、その長年の彼らの知識からすると、それはほっとけば良いんですよ。確かに壊死するけれども、手足は残るから生活はできるのに。そのシュヴァイツァーは切ってしまうものだから。その生活が出来なくなってしまう。なので、あんなところに行ったら、本当に殺されるぞという評価なんですよね。
ところが、西洋の方が評価をすると、神道で素晴らしいと。このギャップは何だというのが、実は、ちょっと怒られるかもしれないですけれども。最先端の医療が、実はそうなっているのではないかなと。
この100年間の、西洋の医療人が提供してきたものは、感染症には当たっていたと。ところが、癌とか生活習慣病には、意外に当たっていないのではないのかと。つまり、この中では、もうちょっとオプジーボについても色々と副作用があると言われていますけれども。
この本には書けませんでしたけれども、最先端の癌の研究はどうなっているのかと言うと、分子標的には素晴らしいと言われているでしょう。あれは実は、癌は癌なりに頑張っているというか。そのコミュニティを作っているわけなんですよね。そして、癌のヘテロ性というのは、同じ種類の癌だけでできているわけではなくて。必ず、数種類の癌で、一つのコロニーを作っています。
そして、分子指標適量の中から、その一個だけを叩いてしまうのですよね。これはこれで叩けるんですけれど。まさに非常に素晴らしい薬なんですけれども、まさにこの一個が、亡くなっても終わらないんですよ。生命って面白いもので、1個が叩かれる結果、他のやつは元気になってしまうのですよ。そうすると、良かれと思ってやったことが、実は意外に、治療全体としてはマイナスかもしれない。というのが、最先端の医療のところで。何をやっているんだこれはと。
畏敬の念がなくて、分かっていることだけで、答えを出してしまおうとすることの危険というのはね。常に頭になければいけない。
《 加 》 そうですよね。それは僕も、学生時代に思っていました。
相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘