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日本が、人類を救う? 江崎禎英氏 第6回

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《 加 》      よろしくお願いいたします。今回は、僕自身が、江崎さんのこの本を読ませて頂いて。その癌と日常と、社会保障の問題と。あと、糖尿病とかの問題に関して、まさに当クリニックがさせて頂いていることなので。ぜひ、ちょっとお話を伺いたいなと思いまして。今日は、お呼びいたしました。ありがとうございます。

《 江 》      こちらこそ、ありがとうございます。

《 加 》      どこかの本で読んだのですけれども。人間の行動って、基本的にはその痛みを避けて、偕楽を得るというか。そっちに全てが繋がっていて。全部、理由付けだと思うのですけれども。表面的なものであればあるほど、うまくいかなくて。表面上では無くて、どんどん深いところの快楽を求めれば求めるほど、人間としてより良い満足度を得られるのかなとは思うのですよね。

《 江 》        その深いというのは、どういう意味ですか。

《 加 》      目先のことではなくて。例えば、子どもを叱るというのも、痛みがありますけれども。その場で叱ることで、その子が良い方向に向かうという、深みがあるというか。目先のことは嫌だけれども。どこの快楽を求めるかということですね、人間として。

《 江 》        良薬は口に苦しという様な話ですか。

《 加 》      そうですね。そんな感じだと思うのですけれども。さっき、たんぽぽの話がありましたけれども。たんぽぽは、その無意識のうちにこれだけをやっていれば、たんぽぽであったと思うのですけれども。人間はもうその、万物の頂点に立ってしまっているので。これだけをやっていると、こっちをしてくれるところが無くなってしまうので。なんというのですかね。

《 江 》        なるほど。

《 加 》      どんどんどんどん、自分の壊していく方向に行ってしまうのではないかなと思うのですよね。なので、人間は意識して何かこう、深みのある快楽を求めていかないといけないのかなと思っていて。

《 江 》        なるほど。

《 加 》      そして、さっき言ったように、なんかこう。たんぽぽがたんぽぽであることの素晴らしさということを、自覚することが出来る。人間が人間であることの素晴らしさというのが、自覚ができるというのが、この意識をすることが出来るというか。目覚めていくという、目を冷ましていくということで。意識をしていくということだと思っていまして。

《 江 》        なるほど。

《 加 》      癌とかというのは基本的には、俺は頭が痛いけれども、仕事を頑張ろう。腰が痛いけれども、頑張ろうというような身体との葛藤を、毎日、毎日、積み重ねてきた中で、身体の中で起こったのが病気。起こってくるのが病気であって。そして、認知症に関しては、自分の意識を上の方に。外というか、知らないところに行ってしまって。意識が無い状態にしてしまって。動いていく中で、自分の無意識のうちに良い方向に、たんぽぽになってしまっているというのは、認知症なのではないかなと思っているのですよね。

 意識が入ってきていて、例えばその生活の中で、自分の意識を入れると、すごくストレスになるというか。そういった部分があって。意識がない状態で、家事とかのんびりしていたり。本当は、こうやりたいんだけども、ぼーっとするしかないどこをするしかないというか。頭の意識を取り外した状態で、奴隷的に頭の思考回路を止めて。意識を止めた状態で生きていることを、繰り返していく中で、頭の回路が止まって。認知症になってきている。

 僕自身は、病気というのはその人に対しての、なんらかのメッセージだと思っているのですけれども。そもそも、そこで身体を開設すると、その経営者として管理者としても、うまくいかなかったことの、一つのサインだと思うのですよね。

《 江 》        そうですよね。

《 加 》      だから、認知症も一つのサインなんですけれども。それを見て、認知症になってしまった方というのは、やはりご理解頂けるわけではないので。それを見て、僕らがどういう風にメッセージを捉えるのかということになってくると思うのですが。

《 江 》        そうですよね。

《 加 》      やはり、そうなって行かない為には、意識していかなければいけないですし。

《 江 》        会社でいうと、自己破産みたいなものですね。だから、そのままだと確実に、その借金取りによって追い込まれるから、自己破産というものに。

《 加 》      だから、逃げるのに必死ですよね。

《 江 》        そうそうそうそう。

《 加 》      だから、絶えず戦い続けた人が癌になってしまって。逃げ続けた人が、夢想になるというイメージがあるのですけれども。

《 江 》        そうですね。ざっくり言うとそういうことかもしれませんし。

《 加 》      いずれにしても、ちょっと伝えていきたいのは、身体との向き合い方というところを、認知症にならないうちに、伝えていきたいなというのがあったので。

《 江 》        そうですね。そういうのは全く同感です。例えば、うちの田舎って、そんなに認知症がいないのですよ。大体、畑仕事をやっている人達って、あまり認知症にならないのですよね。だから、腰が痛いし、耳が遠くなるし。物忘れはあるのですけれども、それは認知症とは言わないのですよね。

 そして、認知症というのは、今まで出来ていたことが突然出来なくなるとか。突然、変なことを言い始めるという事は、やはり都会の現象。病気というのかは別にしても。例えば、その生きるために必要なことをやり続けている状態というのは、脳に対する必要な刺激があるのですよね。そんなに承認方にしないでも。それよりもむしろ生きるために、承認型にしてしまうと、脳が処理できずに死んでしまうので。

 やはり必要なことはありますし。本には書きませんでしたけれども、つくばの先生がおっしゃっていて、書いてあったかな。お年寄りで危険なのは、独居老人なのではなくて。家族の中で孤立している人なのですよね。生きるための全てのものは揃っているけれども、やはり疎外感を持つということに対して、やはり身体のすごいストレスになっている。それが、免疫細胞を壊していくし。そうなると、認知症に逃げるしかないという。

 だから、本当に自分が生きている意味というのを確認できている人というのは、別に認知症にならないのですよね。だから、それを120歳まで生きていて。多分、3000年前の120歳というのは、多分、認知症ではないと思うのですよね。ちゃんと長老と呼ばれていて、やることはやっていて。そして、枯れる様に死んでいくというのが、本来はそれが出来るはずなのに。認知症を作ってしまっている、社会の問題だと思うのですよね。

 だから、そういう意味では、あざ笑うというか、嫁姑からするとね。研究者のやつを見て、あぁなるほどと思ったのですけれども。昔、江戸時代の頃は、嫁と姑は一緒に暮らしていたじゃないかと思うのですけれども。調べてみると、一緒に生活している時間というのは、3年から5年なんですよね。だから、そんなに一緒にいがみ合っている時間というのは、長くはないのですよね。だから多分、一緒でもいけていたのですよね。

 昔から、一つの家には女性は2人いてはいけないということは、昔から言われているように。きっと、それは昔からの経験的にそうだったと思うのですよね。お互いに排除してしまうというかね。その役割を取り合いになっていることが、ものすごいストレスだったということの、一つの進化だと思っていまして。

《 加 》      そこら辺はもう、定型化されていたのですね。3年5年で世代交代をするというのは。

《 江 》        そうらしいですね。私もこれを見て、あっと思ったので。昔はだってね、大家族でやっていけてたじゃんと思っていたのですけれども。大家族の瞬間というのは、結構短いのですというね。それが、ぐるぐる回りながらやっていたということらしい。

 それが、どこまで本当なのかは分かりませんけれども。その送ってもらった論文を見て、逆に腑に落ちまして。あ、そういうことかと。3年くらいなら頑張れるわなと。これが、20年一緒にいろとかね。そうなると、うまくいっている人は良いのだけれど。上手くいっていないと、良く会社でもね、合わない上司と20年一緒にいたらどっちかがおかしくなると。大体、部下がおかしくなるのですけれども。そういうことは、別に普通のことなのではないのかなと。

 だからそうすると、社会の仕組みや家庭の仕組みを変えることで、そういう不必要なストレスを、どう減らしていくのかと。そうなると、別に認知症にならなくても良いし。癌にならなくても良いし。どちらもやはり今のこの環境が、自分には合っていませんよというシグナルでしかないかなというのが、まさに全く同感ですね。

《 加 》      そもそも、そこを変えるというモチベーションがないといけないのですけれども。モチベーションが、国民一人ひとりがそれほど持っていないですよね。今だと国民皆保険、すごい美味しいですから。

《 江 》        美味しいですし、変える方法が分からない。

《 加 》      そうですね。その軸を思い出していく為に、身体がメッセージを発してくれていると思うのですよ。普段の生活の時から、頭痛があったりめまいがあったり、身体が伝えてくれていると思うのですよ。そこは、 MRIを撮って、問題がないですよ。とりあえず、問題は無いですね。良かったといって、帰る人がほとんどですけれども。でも、頭痛があるわけですから。何かに向き合っていかなきゃいけないですよという風なことを、目に向けて頂きたいのですが。

《 江 》        そうですね。とても同感ですね。

《 加 》      そこの痛みを避けて、偕楽を得るということになってくると。僕自身はもう開業当初から、ホームページの一番上に、その政策提言というのを書いているのですけれども。20歳から60歳までの、その国民保険や健康保険というのを、8割負担という様に書いているのですけれども。基本的に、それだけでもかなり社会が動くのではないのかなという気はするのですけれども。

《 江 》       20歳から60歳までの。

《 加 》      20歳から60歳までの、働く人にとっての医療機関です。もちろんその、生まれつきの方とかは除外しますけれども。全般としての、腹痛・頭痛など、何にしても8割負担となると、ちょっとなんか考えると思いますけれどね。

《 江 》       そうですね。何て言うのですかね。そのペナルティの方というか、自分の病気と向き合う。例えばむしろ、10割負担にしてしまえば、出来るだけ健康を維持しようと思いますし。元々その世代の人って、元々その病気にならないので。あまりそれが効くかどうかは分かりませんけれども。やはりなにがしか、病気になっても良いだろうと思っている人は、健康に気を使わないのだったらその通りですし。

《 加 》     社会に守られているので。生きることの危機感というのを、サバイバルしているのだというか。もっと生きることの緊張感を、ちょっと僕は持った方が良いと考えていまして。

《 江 》       そうですよね。野心も人のお金を使って治そうと思うんだと。やることがあるだろ、先にと。だけど、不可抗力なのだと。一緒になると、この議論というのはやはり危険なのは、実はわかっているけれども、その生活が苦しくてできなくて。食べるものだったら、今の海外でもそうであるように、やはり年配者中心に太ってきてしまうから、お前はメタボだから痩せろと言われましても、もうタンパク質が取れないんですけれども、という人もいたりするので。

 だから厚労省的には、苦しいから一番ミニマムになってきてしまうので。だけれども、どこかでやはりおっしゃるように線を引くというかね。これはさすがに違うだろうみたいなね。どうしても、こういう議論をすると、ごく少数の例外を持ってきて、この人達がかわいそうだからといって、皆を止めてしまったりだとかね。それはそれで、駄目だろうというね。

《 加 》     今、美味しいですからね。浮浪者側も。相当やはり危機感を持たないと。

《 江 》       そうですよね。ただ、ようやくここに来てですね。あと数年後には、だめなるだろうと。そうしたら、さぁ、どうしようかなと。ただ、どちらかというとやはり、この本には書きましたけれども。いや、もう少し頑張ればと。僕が担当しないほうが良いみたいな人が、出てきてしまうわけですから。それは、ダメでしょうというね。

 だけれども、担当してしまうと、自分だけではなくて、先輩も否定してしまうみたいになるので。だから、私らのような人は立場が結構大事であって。無いからと言われても、いや、沈みますよと。そんなことはわかっているけれども、言えないしなみたいな。

《 加 》     もう沈まないと、痛い思いをしないと、次のステップに行けないのですかね。

《 江 》       いや、だからそういう人も多くて。いや、一回沈めたら良いじゃんという人もいるのですけれども。沈めると何が起こるのかというと、さっきの病気が良くわからないとかね。まずは、ここから死んでしまうわけですよ。そして、この人たちじゃないだろうと。だから、今だったらまだ君も、もう少し運動をするだけで、これは生きられるよと。

 この図のグラデーションの中で、どの辺に行きますかと。今だとまだ、結構幅があるのですよと。ただ、あと4、5年歳を取ったら、もう無いのですけれどもこれは。もう半分沈めるしかないから、あとこの中で、三分の一だけ残れますけれどもどうしようかと。そういうような議論が始まるわけですよね。もう無条件に、病棟数を三割カットするとなると。もうそこにいないと、生きていけない人というのは、もう死ぬしかないということが始まってしまいますよと。

《 加 》     その中でも、里山資本主義とか、そのお金に頼らない生き方とか。そういうのもあるのかもしれないですけれども。ちょっと怖いですよね。で、最初の議論に戻るのですけれども、やはり個人では分別があるのに。集団になっていた時に、良い方向に向くにはどうすれば良いのかなという。

《 江 》       対応はこれは簡単でして。というよりもむしろ、集団になると楽になるからです。別に本人だと、自分が決めなければいけないから、決めるだけの話であって。

《 加 》     身体ではもう、サバイバルをするという意識が無くなってしまっているという。

《 江 》       そうそう。それと、誰かが何かを何とかしてくれるのではないのかなというのと。自分は関係ないだろうと思ってしまう人。一人しかいないと、自分がいないと死んでしまうから。それだけのことです。だから、ロシア人は個人で付き合うと世界一良いけれども、集団だとおかしいというのは、実は多かれ少なかれ皆そうですよね。

 だから、我々のような組織も役所もそうですし、会社もそうです。個人的にはきちんと合理的に議論しているけれども。私と京都議定書がそうですよ。だから、聞けばこれはおかしいですよね、江崎さんと言うのですけれども。例えば、そんなことを総理に言えないという、官房長官がいて。官房長官にそんなこと言えないと言う大臣がいて。大臣にそんなこと言えないという局長がいて。局長にそんなことは言えないという課長がいて。課長に言えない係長がいて、というだけなんですよね。

《 加 》     でもこれって、本を読ませて頂くと、明らかにドイツとイギリスにハメられているだけのような気がするのですけれども。

《 江 》       だから、その説明をすると、おかしいよねと言うのですけれども。

《 加 》     その政治家の人は、ハメられているだけということは、わかっていないのでしょうか。

《 江 》       いや、わかったとしても、ハメられてしまったことは悔しいよねと。だけれども、今ここでサミット止められないよねという話になってしまうのですよ。だから、14兆円ぐらいだったら、良いんじゃないのというのですが。いや、待て待て待て。14兆円だぞというところが。

 だけれども、今自分が、サミットを潰した悪名高きね。その曲調が大事になるのだったら、14兆円くらいだったら、いいよ、しょうがないよとなってしまうということですよね。

《 加 》     江崎さんのお話にあるように、でも、人間というのは集団になって。平和になってくと、何かこう。

《 江 》       平和じゃなくてもそうですよ。何か危機的な状況であっても、その中で、自分がその最もリスクを負わなくていいところに、自分を持って行くので。

《 加 》     じゃあ、人類というのは破滅する方向へ行くのですかね。エントロピーの法則からすると。

《 江 》       いや、破滅するというか、フレミングがそうであるように。一定数になると、誰かがキーッと走り出してしまって、みんなが死んでしまうじゃないですか。そうそう。そういうバランスがあるのですよ。これは、歴史学者に任せれば良いと思うのですけれども。やはり定期的に戦争が起きるというのは、そういうことなんですよね。

 だから今、危ないなと思っているのは、トランプ氏がおバカなのではなくて。トランプ氏が出てくるような環境になってきたという。例えば、ブラジルでもそうであるように。だから、ある程度のその不満が溜まってくると、どこかでガスを抜かなければいけなくて。

 冷静に考えると、本当だったら、そういう人を選んでは駄目だろうと思うのですけれども。選ばれるしね。トランプ氏だからではなくて、トランプ氏を見たやつが選ばれてくるのですよ。そのことがむしろ問題であって。だから大体、失敗をしていって。あぁ、やはりだめだよねと言って、また戻るという。この繰り返しですよね。

《 加 》     その中で、日本がそういったものに対して、他の国にこう、見本を示していくという風なことが書かれていたのですけれども。やはり、それは集団の買取がもしここでできれば、日本になると思うのですよね。

《 江 》       もちろん。

 お母さん、それはおかしいですよと。患者さんだけれども、それは間違っていますよと言えるかどうか。そこが一番のポイントかなと思いますよね。

《 加 》     そうですね。

相武台脳神経外科
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