《 加藤 》 今まで、エベレストの激しい登山のお話しを聞いてきたのですけれども。私たちのような一般の人たちが普段できるような健康法で、小西さんのもしおススメがあれば、ぜひ教えて頂きたいと思うのですけれども。
《 小西 》 それは、結構いっぱいあるのですけれどもね。まず、一番ベーシックにいくとですね。例えば、よくですね。最近、例えば、明治維新の話って良く出てきますよね。あの頃の人は違うとか。エネルギーが違うとか。生命力が違うとか。気迫が違うとか。例えば、坂本龍馬とか西郷隆盛とかって、引き合いにだされますよね。あの人たちのエネルギーというのが、その時代を変えて、世の中を変えたのだということを言いますよね。
じゃあ、いったいですね。あの人らと、分かりやすく言いますとですね。今の現代の我らと、我々とでは何が違うのかということなんですよね。肉体的には。心はちょっと別に置いておきましょうか。心にはちょっと、分かりにくいところがありますから。
《 加藤 》 肉体的にはということですかね。
《 小西 》 はい。肉体的にはということです。
《 加藤 》 もう本当に、普段の生活をしていて、化学調味料とか、防腐剤が入ってない食べ物に触れないことがないので。そういう物を毎日食べていること。無農薬を使ったりしたいけれど。
《 小西 》 それはもう健康そのものですよね。だから、健康そのものの、農薬なんてない。防腐剤も無い。
《 加藤 》 そうですね。明治の方は。
《 小西 》 明治といえばですね。一つですね、決定的に身体で違う部分があるのですよ。それはですね。明治というか、明治でも良いのですけれども。大体100年ぐらい前から、今日までと。100年ぐらい前からもう、はるか人類の始まった頃の、一つに明確な差があるんですよ。決定的な差がね、一つあるんですよ。
《 加藤 》 肉体的なですか。
《 小西 》 肉体、肉体。肉体的なことのみです。もちろん例えばその、農薬を使っていない新鮮なフレッシュな食事は、それはもう決定的に違いますよね。あるのですけれども。それ以上にですね。
《 加藤 》 自動車が使われるようになったことですかね。
《 小西 》 その通りです。その通り。その通りなんですよ。何が違うのかというと、生涯の歩行量なんですよ。歩行量が、歩く量が決定的に違うのですよ。つまり、100年ぐらい前から、例えば、車ができて自転車ができて、あるいは電車ができて。この辺りから、人間というのは当然、歩かなくなってきているわけなのですよ。だから、100年とは言わなくても、80年前、90年前ぐらいでもう、かなり差がありますよね。だから、90年位前だと例えば、うちのお袋なんかでもやはり、学校に行くのでもやはり、往復7キロとか10キロぐらい歩いていますから。
《 加藤 》 凄いですね。
《 小西 》 うちのお袋の場合はですよ。100年以上前になってくると、本当に自転車もないような時代になってくるとですね。決定的に歩く差があるのですよ。歩く量が、その人の生涯の歩く量というのがもう、全く違うのですよ。現代人は。その差があって、まずえらい差なんですよね。
だから、例えばその坂本龍馬がですね。東京江戸から京都に行くのだったら、のぞみで行きますと。残念ながら、のぞみなんてないですよね。当時だったら当然、歩いていくのか船でいくのか。これしかないわけですよ。通常は、金が無いともう歩く以外は無かったわけですよ。かごも乗れないし、かごに乗る金も無いし。馬に乗る金もなかったら、歩くしかなかったわけですよね。
だから、私は今日は、都内からここまで来たのですけれどもね。小田急線で来たのですけれども。普通であれば、歩いてきたわけですよね。ここなんですよ。ここなんですよ結局は。だから、どこに行くにも歩くしか手がないので。すごい差がでているのですよ。つまり、100年ぐらい前から、それ以前の方たちというのは。じゃあ、それによって何が違うのかということですよね。結局、人間という生き物は、歩いて健康を保ってきたわけですよ。
《 加藤 》 歩いてですか。
《 小西 》 歩いて健康を保っている動物なのですよ。生き物としては。歩くことによって、健康を保っている生き物なのですよ。これは、私の定義なのですけれどもね。だから、歩いているからこそ、健康だったのですよ。
《 加藤 》 歩いているからこそ、健康なのですね。
《 小西 》 健康なのですよ。それで結局は、私が書いてある腹力だとか。丹念な力だとか。あるいはその、心の力。精神力。あるいは、度胸というものだとか。分かりやすく言えばこれは、お腹の力になるわけですよね。それを、丹念というのか、当時は丹念と言われ、チャクラと言われるのか。この力というのは、イコール足腰の力なのですよ。つまり、昔の道というのは、舗装道路を歩いているわけではないじゃないですから。
例えば、坂本龍馬が脱藩しましたと。土佐を脱藩して、そして何をしたのかというと、四国山脈を越えて。讃岐に出て、そこから船で、例えば大阪だったりとか、わからないですけれどもね。それで、大阪から東京まで歩いてきましたとか。昔の人はもう、終始歩くしかなかったわけですよね。だから、舗装道路を永遠に歩いているわけではないわけですよ。あくまでも、その山道。あるいはそれを、革靴もない。わらじを履いて、あるいはその侍であれば、日本の刀を持って。例えば、その日の食事みたいなものを持ってですね。風呂敷とかにいれて、歩いている様なレベルなんですよね。フラットな道ではないのですよ。
だから、結局じゃあ、その人らがどれくらいの距離を歩けるのかと言うと、おそらくですね。1日40キロぐらいの距離だったら、今は2ヶ月間くらい平気で歩くと思いますよ。
《 加藤 》 毎日、毎日、色々なところを旅して。
《 小西 》 歩きます、歩きますね。じゃあ、今の現代人が、例えば東京にいる人が、40キロメートルという距離を歩いていて。何日間それを続けるのかということですよね。おそらく昔の、100年以上昔の人であれば、誰でも毎日40キロ歩けますよ。毎日、ずっと40キロメートル歩けますよ。それくらいの脚力持っていますよ。
《 加藤 》 いや、一回歩いただけでは、全然歩けなさそうですけれどもね。
《 小西 》 結局は、そこなんですよね。その差なんですよ。だから、一人前という言葉がありますよね。一人前という言葉が何かというとですね。一人前というのは、大体15間。一間大体、3.99キロで約4キロほど。この15間を、約60キログラムの物を背負うか担ぐかをして、大体それで3時間ぐらい歩けるような体力なんですよ。
《 加藤 》 60キログラムを背負って約3時間歩いているという感じですか。
《 小西 》 3時間くらいです。これが、一人前の語源なのですよ。つまりですね。じゃあ、この語源が何かと言うと、昔はその例えば、地震や津波、洪水などが常にありますよね。日本列島というのは地震が多いですから。常にそういうことはあると。あるいは、戦乱もありますと。戦国時代で村が焼けられる。焼かれたら逃げる。良くありますよね。領地が焼かれた。他の所から織田信長攻め込んできて、領地が焼かれるというのは良くありますよね。そこで、みんな逃げなければいけないと。
そういう時に、結局、自分が例えば、おふくろとかお父さんとか年老いた年寄りを背負ってですね。2、3時間ぐらい走れるような体力ということなんですよね。これが、大体約60キロ。それは、身体のみではなくて荷物も含めて、60キロぐらいのものを一人の大体人間を担いで、3時間ぐらい走れる体力を持って、一人前という言葉の定義なのですよ。まずは、ここなのですよ。
そしてこれは、おそらく昔の人は、しんどいけれども出来るはずなのですよ。毎日、毎日、40キロぐらい歩いていますから。30キロ、40キロと平気で歩けますから。だから、ここから例えば、東京都内であればですよ。例えば、品川から新宿に行くなら、そりゃ別に平気でその距離ならみんな歩きますよ。それも、舗装道路ではないのですよ。結局、現代人と100年ぐらい前の方達から、それ以前の方たちの決定的な差というのは、その一点なんですよね。決定的な差があるわけですよね。
《 加藤 》 脚力ですかね。
《 小西 》 脚力です。そこの足腰を練った上で。練っているからこそ、精神力もあるし。度胸もありますし。足腰なんて精神力ですから。胆力ですね。
《 加藤 》 足腰の強さは精神力なのですね。
《 小西 》 つまり結局は、腹を作るというのは、足腰の力なのですよ。腹というのは、足腰とは結局、合致しているということですから。足腰が鍛えるというのはそもそも、腹が出来ていないとありえないですよ。ここなんですよね。だから、これをもった上で、結局は、座禅をしました。剣術をしました。あるいは、ヨガをしました。仏教の修行をしましたというのがあるから、バンバンバンと上にいくのですよ。
つまりですね。お釈迦さんなんかがその、80年の人生で。あの人なんかは結局、歩いて教えを広めたわけなのですよ。当然、車なんてないですよね。お釈迦様の時代に。自転車だってないわけですから。歩く以外にないわけですよ。最後に歩けなくなって、80歳で死にましたと。癌で死んだという。癌で亡くなったと言われていますけれどもね。だから、終始歩いているのですよ。
キリスト教もそうですよね。歩いて歩く中で、その巡礼というのを教えていくのですね。教えを広めていくわけですよ。だから、この足腰の強さがある上で、色々なことをやるから、バンバンバンバンと色々なことが開けるのであって。この足腰の強さがなくて、例えば、禅寺に行って禅をやりました。ヨガをやりました。健康をやりましたと言うのは、やらないよりはやった方が良いのですけれども。その足腰の下しかないのにやるというのは、昔の人の方が効果は出ないですよ。この話を私がですね。健康法の先生、武道の先生、ヨガの先生の前でやるとですね。皆さん、暗い顔をするのですよ。
《 加藤 》 なんでですか。
《 小西 》 なんとなく。言っていることが、あまりにももう正解そのものだから。確かに、その通りだねと。でも、やらないよりは、小西さんやった方が良いですよと。もちろん、その通りですねと。やらないよりは、ヨガでも座禅でもやった方が良いですよねと。でも、根本的な足腰が出来ていないのに。30キロ歩いて、すぐにひっくり返るような人間がやったって、そんなになかなか効果は現れにくいのですよ。これが、私の言い分なんですよ。
《 加藤 》 足腰ですね。つまり、昔の方と今の方の足腰が、全然違うということですね。
《 小西 》 全然違いますね。だから、明治の時代にヨーロッパ人がですね。横浜にきた時にはですね。人力車に乗ったのですよ。それで、人力車の車夫が1日をかけて、横浜を回ってくれたわけなのですけれどもね。70キロメートル程、回ったというわけなんですよね。一日に。だけれども、ビクともしないというわけですよね。驚いたという話がありましたけれどもね。何でこんな距離を、人を一人を人力車に乗せて、こんな車夫が走れるのかと。でも、それが普通なんですよ。
だから、東海道中膝栗毛なんて言ったって、毎日、40キロメートルぐらい歩いていますよ。平気でね。舗装道路ではないですから。大井川で川を渡ったりだとか。箱根の県を越えたりだとか。じゃあ、サラリーマンがね。例えば、東京のサラリーマンが、明日から大阪出張ですと。それで明日、私は小田原まで歩いて、次の日は静岡まで行きます。約3週間くらい、大阪まで歩いていきますというと、これは仕事にならないですよね。そんなことは非現実すぎて、誰も出来ないですよね。
毎日、毎日、そんな何時間も歩ける人は、みんなどこにもいないですから。まして、仕事をしている人。サラリーマンの方なんて特に。そんなもの非現実的なんですよ。ただし、ベースというものはやはり、歩くことなんですよ。ただし、これは長時間歩かないとやはり効かないのですよ。
今、ジョギングがブームになっていますよね。東京マラソンというのがスタートしてから、大体ジョギングがブームになってきているという。皇居を走る方も、皇居の場外を走る方も増えましたというのがあるのですけれども。あれはあれで、絶対やった方が良いのですよ。つまり、一日に30分や1時間走る。つまり、歩いているとやはり、運動量は少ないですから。ランニングというのは、やはり重要になってくるのですよね。
ただし、それすらもやはり、時間がないとなったらですよね。じゃあ、どうしたら良いのかというと、こうなるのですよね。これは、加藤先生はどう思いますか。つまり、そんな時間も無い。そんなに1時間も、皇居を2周もしている様な、そんな時間なんてどこにもありゃしないと。ほとんどの方はそうですよね。
《 加藤 》 なるほど。ちょっと本を読ませて頂いて、良いですか。
《 小西 》 ということなんですよね。結局ですね、そうやってきたら。もう高度を稼ぐしかないのですよ。
《 加藤 》 高さで負荷をつけていくということですね。
《 小西 》 高さで負荷をかけていくしかないのですよ。
《 加藤 》 なるほど。
《 小西 》 だから、高度はですね。フラットなところを走ったりするよりは、これはもう高度を稼ぐのが一番の運動量なのですよ。
《 加藤 》 少し負荷をつけて、あげていくと。こういったことですね。
《 小西 》 負荷をつけるというか、具体的に言うと、例えばその。山を登ったりすれば良いのですが、山なんてどこにも無いですから。都心なんて、どこにも無いですから。結局は、それに変わるものは、階段しかないのですよ。階段です。これは例えば、マンションの非常階段とか。あるいは、オフィスの階段とか。その運動量だけで言うならですよ。普通に、そこら辺を歩くのと。これを歩く運動を1としたら、普通の歩きを1としたら。軽くランニングをする運動というのは、大体3ぐらいなのですよね。階段の上り下りというのは、大体8ぐらいに相当しますから。結局は、時間がなければないほど、負荷をかけるというのは、階段の登りおりしかないわけなんですよね。
《 加藤 》 上り下りの時は、普通の歩く感じで良いのですか。
《 小西 》 結局は、ある程度にはぁはぁという感じですかね。これが一番、短時間で効果を出すには、これしかないですね。これしかないです。
《 加藤 》 じゃあ、駅に行っても、エスカレーターではなくて階段を使って。
《 小西 》 ただですね。それは、それで良いのですけれども。その場合の階段というのは、駅の場合でも、おおよそですが地下は深いですけれどもね。そうだとね、すぐに終わってしまうじゃないですか。それだったらば、私が推奨しているのは、例えば、マンションに住んでいる方ならば、マンションの非常階段を15分か20分、上り下り。連続で上り下りする。あるいは、オフィスに例えば、そういう階段があるんだったら、オフィスの階段をちょっと早めに会社行く代わりに、会社の階段で2、30分運動すれば良いわけですよね。もうこれしかないという感じはしますよね。時間がなければないほど。時間がある方は、ゆっくり1時間走れば良いのですけれども。1時間とかおそらく、皆さんそんなに時間は取れないのですよね。忙しいから。
《 加藤 》 お昼休みにとか、時間を作って。非常階段をこう上り下りすれば良い。
《 小西 》 あるいは、朝ですね。朝に例えば、20分会社に早めにいって。20分、階段の上り下りをするという。これの強度が一番強いです。強度が一番強いのは階段なわけです。
《 加藤 》 それで、脚を鍛えていくという。
《 小西 》 そうです。足腰と心肺機能を同時に鍛えるということですね。それで、高い所を降りたり登ったりするというのはやはり、腹筋・背筋。心拍機能が同時に鍛えられますから。それは、相乗効果があります。劇的に鍛えられるわけではないですけれども。腹筋と背筋をあきらかに使いますから。それは、フラットなところよりはやはり、そこら辺の筋力も鍛えられますよね。心肺機能と筋力が鍛えられるということなんですよね。
《 加藤 》 本当にこう、根本的に身体の強さが違うのですよね。100年前とは。
《 小西 》 全然違いますよね。全然違いますよ。だから、良く明治維新の方たちのエネルギーというのは、今の人とのエネルギーが何が違うのかというと、私がこの質問も投げかけると、ほとんどの皆さんがね。じゃあ、死に対する覚悟があると。これは確かにその通りなんですよね。武士道精神とか、そもそもありましたから。ただ、それだけではないのですよ。
それだけの距離を歩くだけの、足腰を持って腹が出来ている。足腰が出来ているということは、度胸があるということなのですよ。分かりやすく言えば。それを持った上で、剣術をやったりとか武士道の精神があるからこそ、劇的に良くなるということなのですよ。そこの根本的な足腰の力が、ボカッと抜けていて。剣術をやったからといって、強いというわけではないのですよ。そこのベーシックな足腰の力があるから、剣道をやったって、物凄く強くなるわけですよね。ここなんですよね。
《 加藤 》 なるほど。
《 小西 》 ここなんですよね。ここに関しては、ほとんどがもうだから、この話に関しては、根本的に抜けているのですよ。ここがもう抜けています。私はこれを、一番に重要視していますから。
《 加藤 》 まずは、脚力。
《 小西 》 これになんで私は気付いたのかというと、ネパールの人たちと一緒に、ずっといたからなんですよね。結局、ネパールの山というのは、交通手段は何もないですから、彼らは自転車を生まれてから、一度も見たことが無いのですよ。自転車を走れるような山道が無いですから。ネパールの山道なんてそうですよね。車でさえも見たことがないと。山奥に住んでいると本当に、国内線の飛行機しか見たことがないと。こんなレベルですよ。だからね、その人らが彼らが、何で強いのかというと、それはもう歩いているからですよ。歩いているだけだと。山を歩いていると、あんなに強くなるわけですよ。
《 加藤 》 単純にもう。
《 小西 》 強くなりますね。やはりそれはもう強いですよね。加藤先生もネパールに行かれたことがあるから、分かるとは思うのですけれども。例えば、20歳ぐらいの女性で、体重が40キロぐらいで。緊急時には、60キログラム程担ぎますからね。それで、歩きますからね。めちゃくちゃ強いですよ。日本の例えば、20歳ぐらいの女性で、体重が40キロぐらいの女性で、60キログラム担いで歩ける女性とかって、そんなにいないですよね。じゃあ、なんでその差がでるのか。たった一つですね。子どもの時から、ずっと山を歩きまくっているから。これは、趣味で歩いているのではなくて、他に手段が無いからですよね。
《 加藤 》 生活をするためにですよね。
《 小西 》 しょうがない。手段が歩くしか、移動するのに手段がないから。歩かざる負えないから、そんなに強くなっていったのですよね。
《 加藤 》 なるほど。じゃあ、脚力を強く。
《 小西 》 だから、足腰が弱くなると、当然、精神力も弱くなりますよ。精神力は連動していますからね。絶対に、連動していますからね。だから、私から言わせてもらうと、まず身体が弱くて肉体が弱くて、心だけ強い気が強いなんて、まずは使い物にならないですよ。まずは、心も強い。気力もある。尚且つ、身体も強弱体質だったのですが、何とか鍛えています。それで、身体もそこそこ強くなってきました。だから、運も強くなりました。これは、全部連動していますよと。分かりやすく言えば、精神力は弱くて肉体も弱くて、運だけ強いという様な人間は、何にも出来ないですよ。はっきりと言って。
《 加藤 》 精神力と身体と。
《 小西 》 運とかは、全部連動していますからね。気力と運は全部連動していますから。精神力が強くて、身体も強くなってきているから、運と気力も強くなるのであって。心も弱いし身体も弱いけれども、運と気力は強いですなんて。そんな人間はいないです。絶対にいないです。
《 加藤 》 その生命エネルギーという流れが良くなってきて。
《 小西 》 もちろんです。もちろんそうです。だから、気力というのはどんどんきますと。運もどんどん強くなりますと。全部が連動しているわけなのですよ。全部が、連動しています。
《 加藤 》 あとなにか、先ほどちらっと話を伺ったのですが、あとは一日一食という。食事に関して、一食という風にされているということなのですが。食に関して、何か気を付けられていることってありますか。
《 小西 》 これはですね。私が20代前半に、インドの山奥でずっとヨガの修行をやっていたのですけれども。ヨガの教えというものは、まず1日24時間を、3サイクルに分けているのですよ。ヨガの教えというのが。そして、この3サイクルというのは、8時間かえる3なのですけれどもね。これは何かというと、まずはその午前4時。朝の午前4時から昼の12時までの8時間は、排泄のサイクル。身体の排泄のサイクルということですね。
《 加藤 》 8時間は排泄のサイクル。
《 小西 》 8時間ですね。この午前4時から昼の12時までの8時間。この8時間は、排泄のサイクル。そして、昼の12時から午後8時間は、吸収のサイクル。取り入れるサイクル。そして、午後8時から午前4時までは、急用のサイクル。これが、ヨガが教える3サイクルになりますよと。
だから、ヨガの道場ではまず、朝食はないのですよ。ミルクティーを飲みます。ミルクティーと水を飲みます。そして、昼夜だけ食べるのですよ。要するに午前中は、兎に角、身体から出すようにするのが、やはりヨガの教えというのがありますよね。それは、どういうことなのかというと、身体の中に溜まっている毒素など。これは、大便。小便。あるいはその汗。こういうものを、ひたすら出す。あるいは、鼻汁だとか。ひたすら、そういうのを出す。排泄のサイクル、身体がそうなっているというのが、ヨガの考え方ということですね。東洋の考え方と言っても良いですけれどもね。
《 加藤 》 一食というのは、何時頃に食べられるのですかね。
《 小西 》 それでですね。私も20代前半に、ヨガの修行にずっと行っていて。1日に2食、食べるのですよね。昼と夜と。そうしたらですね、それを段々と続けていくうちに、昼もあまりお腹が減らなくなってきたのですよ。それで、もう夜だけになったのですよ。今はですね。ちょっと遅いのは、あまり良くはないのですけれども。大体その、夜の7時から10時頃までの間に、今は食事をするというような感じになっていますね。これは、一日一食なのですけれども。
それをやるようになって、はっきりとわかったのが、いくつかあるのですけれどもね。まず、この地球上で、一日に三食の食事をしている人はどれだけいますかと疑問に思うと、。一部の人類であると。一部の人類は、一日に三食。それともう一つは、人類が買っているペット。あるいは、人類が作った動物園。この動物たちが、三食与えられているというわけなのですよ。まず、これがですね。じゃあ、何で三食なのかということになってくるのですけれども。朝から晩まで、走りまくっているのがベースですよね。でも例えば、今の日本人にかぎって、そんなに運動はしていないですよね。何で三食も取る必要があるのか。
じゃあ、例えば、野生の動物。私がそのヒマラヤで野生の動物なんかを見ていて思ったのが、痩せる動物で三食食べている動物っているのかなと。いないですよね。例えば、パンダなんかは例外的に、一日10時間も竹を食べていますけれども。これは例外なのですけれども。私が本に書いている、例えば、百獣の王と言われているライオン。ライオンというものが、いつ食事が出来るのかというと、これはもう獲物が取れた時のみしか、食事ができないのですよ。大体これは、三日四日に一回なのですよ。という風に、私は聞いたんのですけれどもね。
そして、それ以外の時は結局は、腹が減ったらシマウマなり、そういう獲物を倒しに行くわけですよね。これが野生動物ですよね。獲物が取れた時のみしか食べれない。これが、野生の生き物ですよね。そこで、人間はいったいどういった生き物なのかというと、どうなるのかというと、人間だって動物ですよね。動物の一種ですよね。もちろん。じゃあ、なんで人間の場合は、三食も食べる必要があるのかというとですね。
私が思うにですけれどもね。食料品メーカーの思惑が非常にあるのではないかと。分かりやすく言えば、食料品メーカーにとったら、一日一食だけだったらそりゃ困りますよね。売り上げがまずは、たまったものではないですよね。だから、朝飯は食べたほうが良いとか。あるいはその、一時はでていたキャッチフレーズで、東大合格者の現役合格者の家は、みんな朝食を食べているとか。こういうことを言うわけですよね。一説には、エジソンが電球を発明したことによって、これで食料品メーカーはとても喜んだと。夜にいっぱい飯を食べてもらえるようになったからと。遅くまで食べれる様になったという話もありますよね。
結局、普通に生きている野生の動物を見ていて、三食も食べている動物っていないですから。人間のみがこういうことをやっているわけなのですよね。これは私は、極めて不自然だとまずは思いますね。
《 加藤 》 ちょっとそうですね。見方をそういった見方で考えると、かなり不自然ですよね。三食も食べているというのは。
《 小西 》 不自然ですよね。あきらかに不自然なのですよ。
《 加藤 》 普通の生き物だと、そんなに三食も。
《 小西 》 あきらかに不自然なのですよ。どう思います。三食も食べることが出来ている生き物が他にいるのかというと、いないですよねそんな動物は。
《 加藤 》 確かに。今は、一緒に生活をしている人が、みんな三食を食べているので。世界中が三食を食べているような雰囲気になっていますけれども。
《 小西 》 現実的にいうと、三食を食べている人類というのは、そんなにいっぱいはいないです。
《 加藤 》 いないのですね。
《 小西 》 いないですね。いないです。ましてやそんな、アフリカなんかは。西アフリカなんかは、餓死している子ども達がいるくらいですから、三食なんて食べている人類なんていうのは人類自体が、この70億人以上いる人類の中でも、結構限られているはずですよ。少なくてもそんなに、50億人以上は食べているとは思えないですね。半分以下じゃないですかね。三食を食べているのは。
私がですね。そのまず一つは、食事をするとですね。メリットとデメリットという言い方をするとあれなんですけれどもね。メリットというのは、満腹になって気分が良いと。これは快感なわけなのですけれどもね。デメリットとしてですね。能力は落ちるのですよね。当たり前のことなのですが。食事をすると。一時的に能力が落ちるのですよね。だから、やる気が失せてくる。闘争心もなくなってくる。やる気も失せてくるものなのですよね。ご飯を食べると。
だから、野生のライオンは食事するともう、シマウマが捕れなくなりますよね。満腹になると。絶対に捕れないのですよ。腹が減っているから、捕れるのですよ。つまり、戦えるということ。生き物としての戦える能力が落ちるということ。そういったことなんですよね。食事をするということは。まずはこれが一点あるということです。
それともう一つは、これは私がはっきりと、この三食は何が問題があるのかと分かったことは、習慣化になるということなのですよ。つまり、本当に身体が欲して食事を取っているのか。習慣化して腹が減るのかということが、ぐちゃぐちゃに曖昧になっているのが、現代の日本人なんですよ。これがミソなのですよ。
《 加藤 》 確かに。
《 小西 》 つまりですね、これはどうやって何でわかったのかというと、これは私が一日一食というものを、何年も続けてきてわかったことなのですけれども。例えば、こういった感じで私もね。例えば、どこかの社長さんにね。小西さん、ちょっと昼飯でも食いながら打ち合わせをしませんかと。良くある話ではあるのですけれども。ランチをしながら、ミーティングをしませんかと。そういう時はもちろん、お仕事ですからそこは断るわけではないですよ。
そういう時に、例えば行って、お昼をご馳走になりながら、これはもう何でも良いのですよ。例えば、昼の12時頃や13時頃に、お昼ご飯を食べました。それで、その社長さんと話をしましたと。それで、家に帰りまして、お別れをしましたと。これが例えば、月曜日にそういう昼飯に行ったとしますよね。翌日、火曜日もですね。たまたま続いたと。別の会社の社長さんから、小西さんちょっと昼飯でも食いながら話しませんかと。夜は私も忙しいんだと言われて。じゃあ、昼飯をご一緒させて頂きますと。火曜日と月曜日に昼ご飯をご馳走になって、次の日にまた別の方から、昼にまた食事をし、 昼飯を食べながら、色々な仕事の話になりましたと。良くある話ですよね。
これをですね、2日間。つまりは、月曜日から火曜日と2日間続けたらですね。水曜日はどうなるのか。どうなったのかというとですね。1日一食の私が、水曜日の昼の12時頃や13時頃に、腹が減るんですよ。つまり、二日間同じ時間に飯を食べたことによって、習慣が出来つつあるということなのですよ。
《 加藤 》 なるほど。
《 小西 》 ここが問題なのですよ。
《 加藤 》 なんかくるかなって、胃がちょっと構えるのですね。その時間帯に。
《 小西 》 だから、もうその時間になると、胃袋が覚えてしまうのですよ。それで、当然のごとくですね。生き物というのは、防衛本能があり、人間も当然、防衛本能がありますから。ひたすら身体に溜め込もうとするのですよね。防衛本能がありますから。身体は防衛しよう。防衛しようと。ため込もうため込もうとしますから。常にそういうことをやろうとするのですよ。
だから、私から言わせてもらうと、晩御飯を普通に食べて、夜に普通に寝ているのだったら。夜に走っているのだったら話は別ですよ。ランニングしているとね。夜中十、それは別ですけれども。夜に寝ているのであれば、朝起きた時に腹が減っているというのは嘘ですよそれは。おかしいですよ。これはね、身体がバカになっています。こういったことを話すと、怒られるかもしれないですけれども。
《 加藤 》 そうですよね。動いていないのですよね。
《 小西 》 それなのに、なんで腹が減るのだと。
《 加藤 》 エネルギーは使っていないですよね。
《 小西 》 それで、朝ごはんを食べるとするじゃないですか。そこから、午前中に50キロのランニングをしたというならば別ですよ。それは腹が減りますよ。でも、例えば、電車に乗って会社に行きましたよね。仕事をしました。営業ルートを歩いていきました。2、30キロメートル歩いたわけではないですよね。それで、お昼の12時になったら、腹が減るというのは、これはもうおかしいですよね。絶対におかしいです。これは、習慣なのですよ。
私がこの一日一食ということをやって、色々な実験を繰り返したことでわかったことは、ほとんどが習慣になっているのですよね。本当に身体が欲していて、身体が欲している食事なのか。習慣で腹が減っているのか、どっちなのかがわからなくなってきているのですよ。これは私は、身体がおそらく鈍感になってきていると、私は思いますけれどもね。あるいは、馬鹿になってきていると言うと、聞こえが悪いですけれども。身体が鈍感になってきていると、私は言いますね。
《 加藤 》 感覚が鈍っているのですね。そうですよね。
《 小西 》 感覚は鈍っていますね。あきらかに。本当に空腹なのか。真の空腹なのか。それとも、習慣としての空腹なのか、これはわからなくなってしまうのですよ。
《 加藤 》 それは怖いですよね。なんかもう、それをずっと続けていって。糖尿病とかコレステロールが高くなったりして。
《 小西 》 そうです。そうです。つまりはそういうことなんですよ。
《 加藤 》 増えていっちゃいますよね。
《 小西 》 だから、ほとんどはその、加藤さんというご専門のお医者さんに対して言うのもあれなのですけれどもね。結局ね、食べ過ぎなんですよ。全てが食べ過ぎなんですよ。全てが食べすぎでしかないのですよ。はっきり言うと。そして、運動量が比例していない状態ですよね、だいだい。はっきりと言って。だから、その昔の人のようにね。朝から晩まで歩いているとか。農作業をもう朝から晩までしている。肉体労働をしているのは別ですけれども。その150年前の人力車夫みたいに、人を人力車に乗せて、80キロも走っている人なんていうのは別ですよ。それはもう明確な運動量なのですけれども。そんなに運動をしていないですよね、みんな。
《 加藤 》 その150年前の、60キロを乗せていた人力車の方が、そんなに良い物を食べているとも思えないですよね。
《 小西 》 大体そういう方は食べていないですよ。おそらく。おそらく、そんなに食べていないですね。
《 加藤 》 それで、やはり人間の能力として、そういうエネルギーを出すことができるのですかね。
《 小西 》 そうですね。出来ていましたね。
《 加藤 》 出来るのですね。
《 小西 》 それで、私がですね。そういう断食をしながらトレーニングをしたりとか。一日一食を何時までに食べるとかをやって、はっきりと分かったのですが、結局、身体というのは、ちょっとしたことですぐに黄色信号を発信しているのですよ。つまり、ちょっと時間が経つとお腹が痛い、お腹が痛いと言って、かならず訴えてくるのですよ。これは、黄色信号をだすわけですね。
そして、黄色信号を出した時に、食べ物を与えようとするじゃないですか。与えるじゃないですか。そしたらですね、身体は必ずもうそれを覚えて、ちょっとお腹が減ると、すぐに黄色信号を出すのですよ。腹が減りました。腹が減りましたと、黄色信号をだすわけですよ。それで、ここで、その黄色信号を無視したらどうなるのか。ということなのですよ。無壊死をしたらですね、身体はそれだけ訴えてもご飯をくれないと分かるとですね。頑張る力をだしてくれるのですよ。分かりやすく言えば、それが、身体をやはり強くするという、まずポイントなのですよ。
だから、腕立て伏せを5回しかできない人が、3回目の楽なところで辞めたら、なかなかそれはもう5回以上はできないですよこういうのは。当たり前ですけれども。5回まで頑張るから、次は6回まで出来る可能性があるわけですよ。食事も全くそうなのですよ。だから、身体がギブアップをしても、許してもらえないと分かると、非常に頑張るのですよ。非常に長い年月をかけて、結局、身体はそれの内臓も鳴らし、神経も細胞も血液も全部それで鳴らしていると、1日中動いてもびくともしなくなりますよ。
《 加藤 》 本当に、地球上の人間という一つの生物として、冷静に考えて三食必要なのかという視点で考えると、必要がなさそうだというのは、理解できますよね。
《 小西 》 なので、私は別にここ20年間くらいは1日に1食ですけれども。別にこんな、やせ細っているわけではないですしね。その代わりに、1日一食な代わりに、夜は好きなものを思いっきり食べますよ。好きなものを全部食べますよ。何でも食べますよ。その代わりなんですが。ただ、私の場合は、 玄米がベースですけれどもね。家ではですけれども。だいたいは。
だから、要はその土台を作ってしまえば、何を食べたって変わらないのですよ。だから、例えば、玄米みたいなのをベースにということであれば。例えば、その年のうちにですね。10ヶ月くらい玄米を食べていれば、あとはもう別にマックを食べていたって、関係ないのですよね。そんなもん。それが、逆転をすると問題を起こすということですよ。
《 加藤 》 逆転というと、怖いですよね。
《 小西 》 やるものではないですよ。怖いですよ。だから、月のうち半分くらいマックを食べていると、これはやはりもうまずいですよね。ただ、月のうちにそういった玄米とか、ベーシックなものを食べているということであれば、残りの時間というのは別に、どんなポテトフライだろうが、そんなのは影響しないですよ。私は、そういう風に考えていますよ。
《 加藤 》 根本が強いからですね。
《 小西 》 そうです。そうです。そうです。
《 加藤 》 ちょっとやはり、普段の生活よりちょっと離れて、大きい視点で見るということも、必要ですね。今まで常識と思っていることが、やはり都会の中での常識であって。人間としてのこう、動物としての常識がどうかということを立ち返って見ると、そんなに健康って難しい問題ではないような気がして。シンプル。本当にシンプルで、単純な話ですよね。
《 小西 》 非常にシンプルですね。だから、ああいったネパール人の様な、ネパールの山奥にいる様な人らとずっと一緒にいると、どこでこんな三食がっつりと食べる必要があるのかとなりますよね。
《 加藤 》 そうですよね。あきらかに。
《 小西 》 いらないのですよね。そんなものは。無駄なんですよね、無駄。じゃあ、なぜ食べるのか。快感なのですよ。食べることが快感なのですよ。食べることでストレスを解消していて、欲求不満を解消しているという。これが現実です。
《 加藤 》 そうですよね。はい。美味しいですもんね。午前中、仕事で嫌なことがあったので、ランチに行ってね。
《 小西 》 美味しい物を食べると、元気がでますよね。そんなものは、確かにその通りなのですけれども。それは、そんなのは無駄で。身体はぶくぶくと太りますよ。
《 加藤 》 別のちょっと、ストレス解消法を考えたほうが良いかもしれないですよね。出来るように。
《 小西 》 そうです。そうです。もう一つ言うとですね、運動をした方が食欲が抑えられて、そんなに腹が減らなくなってきます。分かりやすく言うと。だから、運動をして汗をかいているほうが、腹は減りにくいのですよ。
《 加藤 》 じゃあもう、ずっとデスクワークばかりやっていると、逆に腹が減ってくる。
《 小西 》 減りますよ。あれは腹が減ります。腹は減りますよ。あと、もう一つ言うと、私は結局、運動というのは朝を推奨しているのですけれども。ただ、朝の運動というのは、確かにデメリットがありますから。例えば、脳血栓、脳梗塞を起こしやすい人が、いきなり朝の運動をすると当然その、やはり発症率は高くなってしまいますから。これは、極めて気を付けた方が良いと思うのですけれども。
私はですね、だいたい冬でもコートというのを、全く着たことがないのですよ。全くないです。これはもちろん、私が寒さに鍛えられているということもあるのですけれども。朝にですね、必ず大汗をかくまで運動をしているからなのですよ。これをやるとですね、日中寒くても、そんなにこたえない様になるのですよね。運動をしないとですね、結構、寒さってこたえるものなのですよね。冬の寒さというのは。
《 加藤 》 寒いのですね。
《 小西 》 寒いです。
《 加藤 》 朝がもう温かくなっていると、そうですね。ちょっと昼間、寒くなっても、コートがなくても大丈夫なのですね。
《 小西 》 結構、朝に汗をかくくらい運動をしていると、耐えられるものなのですよ。これは事実です。
《 加藤 》 なるほど。わかりました。まずは、足を鍛えるということ。食事に関しての考え方と。朝に汗をかく。
《 小西 》 そういうことですね。あと、私が一番重要視しているのがですね。やはりですね。この地球上の生き物で、全て恩恵を被っているものがあって。何だと思いますか。これは、ご存じあると思いますけれども。
《 加藤 》 地球上の生き物で、恩恵を被っているもの。
《 小西 》 恩恵を被っているもの。
《 加藤 》 恩恵を被っている。
《 小西 》 あるものから大変な恩恵を被っているのですよ。
《 加藤 》 太陽ですか。
《 小西 》 そうです。太陽です。太陽でしかないですよ。この太陽はものすごい力があるわけですね。太陽には、大変な力が実はあるのですよ。だから、日本の例えば、神道というのは太陽がベースですよね。神道なんて言うものは。日本の国自体が、火いづる国だと。これは、太陽というものをベースにしているのですけれども。ただ、イスラム教なんかでも、一日に5回。仏像とかそんなものは何もありませんけれども。太陽に向かって、一日5回拝むというのがイスラム教であり、太陽というのが全てであると。例えば、インカのめざめなんかも、太陽というのはすごい神様と唱えていますよね。
そして、この日の光というのは、すごい力があるのですよ。私の知り合いの外科医がですね。新潟に今は住んで移住をしていて、新潟のある関川村というところで医者をやっているのですけれどもね。彼が、日本海側に移住をしてわかったのが、やはり冬の日本海側。特に東北の日本海側ですよね。だいたい、その11月から3月までの自殺率がものすごく多いということなのですよ。これというのは、日照時間に明確に関係があるわけですよ。はっきりともう、日照時間に問題があるわけなのですよ。だから、冬の不幸に自殺が多いのも理由があるのですよ。
そして、この日の光というものがですね。どれぐらいの力があるのかと言うとですね。私も結局、これは日の光を浴びてはっきりとわかったのですけれども。太陽というのはもう、無限の力があるわけなんですよね。だから、夜はああだこうだと考えていたものが、日の光を見ると不思議に元気が出てくるということが起きるわけですよ。これを、ただ見るだけではもったいないのですよ。これは結局、体内に取り込もうということ、これが私の提唱をしている、第一の健康方法なのですよ。
《 加藤 》 体内に取り込む。
《 小西 》 体内に取り込むのです。これはですね、別に私が独自に作り上げたものではなくて、昔の新党。新党とかなんかではあるのですけれども。この太陽の力を、自分の体内に取り込んでいく。イメージングによって呼吸法によって取り込むというわけですね。太陽をもう自分の中に取り込んでしまう。
《 加藤 》 取り込んでしまうのですね。
《 小西 》 そうです。これは具体的には、これは鼻から呼吸によって取り込む。あるいは、口から取り込む。それで、その呼吸法をする中で、太陽とも取り込んだあと、身体の中に寝ている時に溜まった邪気とか。邪気とかあるいはカスを、口から吐き出す。そして、太陽を口から取り入れるというの、これを繰り返すだけです。
《 加藤 》 それは、朝ですかね。
《 小西 》 朝ですね。これは、ものすごく効きます。結局、例えば、皇居にもですね。日拝の間というのがあって。日拝の間というのは、一日二日の日という漢字と、拝むという漢字ですよね。これは、基本的に太陽を拝むということなのですね。それぐらい太陽というのは、実はエネルギーがあってですね。皆さん、やはり太陽というのは、良くわかりませんと言われるのですが、日の光というのは、日の光を浴びるだけで人間は元気になるのですよね。
《 加藤 》 すごいですね。
《 小西 》 そして、これをただ眺めるだけではなくて、太陽を身体に取り込んでしまうと。そして、その日一日戦えるエネルギーチャージングするというのが、太陽を飲み込むための呼吸なのですよ。これは、特殊なものではないですよ。呼吸法というのは、極めてベーシックなものですよね。吐ききって、自然に任せて吸うと呼吸になりますから。ヨガであれば前座。これが、ベーシックになりますから。これが、ものすごく効くのですよ。
《 加藤 》 わかりました。それはもう、曇っている日でも良いのでしょうか。
《 小西 》 それはですね、曇っていてもですね。曇っていると、実際には効果というのは下がりますよ。ただ、太陽は雲の上に間違いなくありますから。雨が降っていてもですよ。そして、その場所がわかっているのだったら、それを少しでも取り込んでいけば良いのではということですね。
《 加藤 》 ちょっとやってみます。朝一番に。
《 小西 》 これをやっているとですね。結局、その朝にですね。朝に起きてですね、例えば、会社に行くというのに対してですね。私は例えば、JRの品川近くに住んでいるのですけれどもね。あんまり行かないのですけれどもね。例えば、リアルの品川だったら、高輪口と港南口というのがあってですね。第一通路みたいなのがあってですね。たまに朝に行くとですね。例えば、月曜日の朝、朝の8時過ぎぐらいで、雨が降っている時というのはですね。皆さんの背中が暗いのですよ。肩が落ちていると。でも、仕事に行かなければいけない。楽しくないよと、そういう方が多いのですよね。特に、天気が悪い時というのは。こんなので、良い仕事が出来るわけないですよ。出来るわけないです。
だから、朝からもう太陽というものは、どんな理由があれもう体内に取り込んで、やはりもうこの世の中で、やはりその邪気のあるところもあるし、間のあるところもあるわけですよ。それに、その1日の邪気とか、立ち向かえる自分を構築してしまうと。これなんですよ。
《 加藤 》 そうですね。本当に、隙を作らない。朝からですね。
《 小西 》 そうです。それはもう、太陽の一つ良いところがあるのですよ。太陽はただなのですよ。
《 加藤 》 タダですよね。そうですよね。
《 小西 》 これがでかいのですよ。太陽は、万人に平等ということなのですよ。だから、じゃあそれ言うと、朝から新聞配達をしている人は元気なのですかと。太陽を浴びているじゃないですかと。それはね、違うのですよ。なぜ、違うのか。対応の効果をわかっていて、太陽を浴びたのと。太陽のその効果は分からないで浴びていても、入るわけはないのですよ。
《 加藤 》 意識が全然違いますよね。そうですよね。
《 小西 》 意識をするから、太陽の恩恵を被ることが出来るわけなのですよ。意識が無い人間なんて、太陽を100万回浴びても関係ないのですよ。分かりやすく言うとね。
《 加藤 》 気持ちが開いていないと入ってこないですものね。
《 小西 》 そうです。そうです。そうです。だから、昔からその新党ではやはり太陽を飲み込む呼吸というのがあったわけですよ。これは、ものすごく効きますよ。すごく効きます。結局ですね、もっと言ったら加藤先生、これは、脳外科の先生としてね。これはあんた嘘だろうと言うかもしれないですけれどもね。結局、そのイメージングでその太陽の光を取り込みました。じゃあ初めに、内臓を回しましょうと。内臓をぐるぐると回していきましょうと。カスを吐き出しましょうと。じゃあ次は、この頭をぐるぐると回しましょうと。これをやるだけでですね、私はもう脳血栓のもうちょっとした予防になるのではないかなと思うのですよね。それを、ぐるぐると回すだけでもいいですよ。イメージというものが。
《 加藤 》 クリニックのメッセージとして、身体の力を抜くということを言っているのですけれども。その本当の目的というのは、その身体の本来の力を抜いて、本来のエネルギーを感じましょうということなのですよね。それで、身体の本来のエネルギーというのは何かというと、自然のエネルギーと自然と調和しましょうということを、方向的に言いたいのですね。だから、その太陽というのは、自然の一つであって、すごくエネルギーが強いもので。それと、毎日、毎日、調和をする。トレーニングをするということは、西洋医学で言うと、すごく自律神経を整えられる。自律神経が整えられると、血圧も下がってくるし。その脳梗塞の予防という風には、もちろんなってくると思います。身体のバランスというのが整ってくるというのは、すごく納得ができますよね。
《 小西 》 私がですね。やっている例えば、朝のそういう健康方法というのはですね。ガンジーさんというのがやはりモデルなんですよ、マハトマ・ガンジーが。ガンジーさんというのはですね、ヨガの行者でもあったのですけれどもね。何をやっていたのかというと、まずは朝起きて、呼吸をやりますと。それは、寝ているところから、まずは身体を起こしていくと。その後に何をやるのかというと、全身運動をやるわけですよね。例えば、ジョギングだったり、あるいは早歩きだったりとか。年配の人だと、早歩きですよね。その後に、お湯から初めて水を浴びます。だから、交感神経・副交感神経・交感神経とですね、交互にですね。湯・水・湯とやっていって、そのお湯から水を浴びたあとは、瞑想でもやりましょうと。という様にね、交感神経と副交感神経を交互に鍛えていくという形をですね。こういった健康法をやっているわけなのですよね。
《 加藤 》 極めるまでも、まずはちょっと第一歩をやってみると言うだけでも。ほとんどそういうことを、僕も含めてしていない方が都会ではほとんどだと思いますので。足と食事と太陽とか。そういった全体を取り込むということは、ご自身のできる範囲でもしやって頂けたらなと思いますね。
《 小西 》 あとですね。私が一つの結論として出していることですね。病気ですね。先天性の病気は別ですよ。先天性の白血病とか、こういうのは別ですよ。ただ、後天性の病気。例えば、私がなってしまった様なガンだとか。後天性の病気。それと例えば、事故やトラブル、アクシデント。これは特に山に限らず、人生の事故・トラブル・アクシデント。それと、人生建設の成功・失敗。人生建設の成功・失敗。これはですね、私は99パーセント。その人の心の所産だと確信しています。心です。
《 加藤 》 心ですか。今までは身体のお話しで、次は心ですね。
《 小西 》 結局は、その人の心というものが、病気を作ったりとか。その人の思いというものが、トラブルや事故というのを呼んできたりとか。そういうことがあったりとか。その人の思いというものが、その人の人生を成功させた。あるいは、人生を失敗させ。私はやはりこれが勝算では無いかなと見ていますね。これは肉体。だから、これは私の一つの言い分としてですが。私が発見したものではないですよ。まずこれは、健康法の一つとしてですね。まずは、顔というものが当然でてきますよね。顔。つまり、顔に色々なものがでてくるということです。顔ですね。
だから例えばですね。女性がですね、好きな男性に振られましたと。ちょっと気の毒な話ですけれども。夜にいっぱい泣いて、さめざめと泣きました。こういう方がですね。夜に寝る前に泣いたと。悲しみの失望の中で泣いてしまったと。そういった人が朝起きて、どんな顔になっているのかというとですね。例えば、まゆ毛がちょっと抜けたりとかですね。薄くなったりとか。良くある話なんですよね。まず、これが一つあるということ。
例えば、あとは内臓系の病気ですよね。内臓を痛めて、入院する前の人という人というのはですね。一つはですね、その黒目ですね。薄くなることが多いのですよね。黒目が、ちょっと薄くなってくると。そんで、その人は内臓が本復して退院するのに、3ヶ月から半年間くらい入院をしていて、退院する頃には、黒目が段々段々とまた戻ってきますね。こういうのがあるのですよね。まずは、顔に予兆が現れるのですよね。そういうのがありますよね。
《 加藤 》 顔に出ますね。
《 小西 》 私はそう思いますね。だから、これは結局、例えば。例えばですね、ある有名な役者さんや俳優さんが、何らかの事件を起こして。覚せい剤とか薬か何かを使って。若手の有名な俳優さんが、逮捕されましたと、警察で。警察の誘致所に1ヵ月くらいいたと。そんで、その方は30歳くらいの歳で、誘致所に入る前は、この髪の毛は真っ黒だったのが、誘致所で仮保釈で出てきたと。そうすると、テレビカメラがわーっときて撮ったら、どうやら髪の毛の色に白が混じっていましたと。なぜ、髪の毛が白くなったのか。その人の、絶望というものが髪の毛の色を、失わせたわけですよね。一言で言うと、そういうことなんですよ。
つまりその方は、その薬が何か薬物によって、警察に逮捕されたと。そして、おそらく留置所の中で、その中で色々なことを考えますよね。それは、絶望というものを考えているわけなんですよ。この先、私の人生はどうなるのでしょう。おそらくもう、芸能活動はできないでしょう。俳優生命やおそらく芸能活動も、おそらく断ち切られたでしょう。復帰はできないでしょう。どうやっても飯を食っていけない。色々なことを考えたその絶望感というものが、その年が若い30歳くらいの方にも関わらず、髪の毛を白くしたと。良くある話なんですよ。良くある話なのです。
《 加藤 》 僕も含めて、心を本当にちゃんとマネージメント出来るというか、良い方向に向けている方というのは、あまり出逢ったことがないのですけれども。なんかこうアドバイスというか。
《 小西 》 あのですね。顔にまずは予兆がはっきりと現れるものなのですよ。分かりやすく言うと。私もですね、顔の予兆の勉強というのは、何年もやってきたのですが。まずはやはり、加藤先生はお医者さんですからね。当然まずは、患者さんのお顔を診ますよね。最近のお医者さんは、良くずっとパソコンを見っぱなしで、患者さんの顔も見ない人がいますが、それがそもそも私は大問題だと思います。まずは、目で診ますよね。顔というものを診る。果たしてその人が、病人の顔をしているのかどうか。それはまず、色艶。血色、まずはこういったところをまずは診ますよね。果たして、病人なのかどうか。
まず、ガンならガン特有の肌の質になりますよね。これはもう私なら、自分がガンだったので、ガンの患者さんも診たらわかりますけれども。こういったものをですね。じゃあ、結局それはどこからきているのかというと。それはやはり、その人の脳がやはりでているわけですよ。それで、脳というかもっと言うならば、心の持ち方。先程、お話をした、心の所産ということなのですけれども。これは心というものを、例えばそれは、感情であり思考。喜怒哀楽。思い。こういったものが、心と総称して言っているのですが。大体これは脳から、心というのは発生していると。私はこれを、心というのは脳の子どもみたいなものだと言っているのですけれどもね。
まず、これはですね。じゃあ、顔というものは何を表すのかというと、顔はまず私は、脳の看板と思っているわけですね。じゃあ、肉体というのは何なのか。肉体というのは、大脳の影だと。これは、だるま大使の言葉であると言われているのですよ。私の言葉ではないですよ。肉体というのは、大脳の影なのだと。つまり、脳というものがその人の身体というものに、非常に影響をしていると。
例えば、心と身体。心身というものは、心と身体というのは二つですよね。でも、私はこれは、心と心身というのは、二つで一つという風に私はみているわけなのですよね。間違いなくそれは、身体が心に影響を受けないわけはないと、私は思いますね。これは、間違いが無いと思います。ただし、先天性の病気の方は別ですよということです。これは、はっきりとそう申し上げますけれどもね。
《 加藤 》 その心をマネジメントしていく上で、僕自身はその診察室で、患者さんとお話しをさせて頂いているのは、やはりその鬱症状というか。気持ちが落ち込んでしまっている方というのは、そういった状態が辛いと。自分の中で、気持ちを盛り上げていこう。盛り上げていこうとしているわけですね。ただ、心というのはずっと僕の中では、基本的には、直接的にすぐにコントロールは出来ないという。すぐに持ち下がっているものを、持ち上げることは出来ないと、僕自身はまずは捉えていて。そこでこう、無理にやろうやろうとするので、鬱の方は何で出来ないのだろうと、自己嫌悪に陥って、落ちて行ってしまうわけで。
まずは戦略として、そこはもうダメだからダメと考えてみましょうとお話をする。それでダメなら、じゃあ、戦略として次はどういった手を打てば良いのか。冷静に考えてみて、今おっしゃって頂いたように、心身の一つなので。心と身体がくっついている。そして、身体というのは、手を動かしますよね。足を動かせますよねと、ある程度、コントロールが出来るので。心が固くなっているという時は、身体も固くなっていますから。毎日少しずつでも、身体を柔らかくしていきましょうということで、アプローチをする。それで、身体からのアプローチというのを。
《 小西 》 まったくおっしゃっていた通りですね。それはですね、まったくおっしゃっていた通りですね。もう有効な、やはりアプローチだと思うのですよ。ただですね。私もですね、そのインドの山奥で、例えばその同じ様に修行をしている時にですね。インドだと未だに、苦行者がいるわけですよね。どういう苦行をやっているのかというとですね。例えば、彼らは起きてから、もう寝るまで右手を挙げっぱなしだとか。朝起きてから寝るまで、左足を挙げっぱなしだとか。朝起きてから寝るまで、頭の上にハチみたいなのを乗せて、そこに火を燃やしているとか。こういった苦行者が、お釈迦様の時代から未だに、永遠とおるわけですよね。この連中にですね。こんなのは並大抵の人たちではないですよ。永遠とやっている、何十何とやっている連中ですからね。だからもう、朝起きてから寝るまで、右手を挙げっぱなしの人たちなんて、右手がもう枯れ枝みたいになっているわけですよね。この連中と色々と話をしてですね、もう30、40年近く前のことですけれども。一体、何が一番難しいのかと。そういった話をしたわけですけれども。そうしたら、やはりですね。答えは共通しているのですよね。やはり、感情のコントロールなのですよね。ここなんですよ。
《 加藤 》 そこまでの方でもですか。
《 小西 》 そうです。だから、そういったことに耐えることは出来るのですよ。そういった耐える忍耐力はあるのだけれども、やはり感情をコントロールする。心のコントロール。守っている心のコントロールなのですよ。これが、一番難しいということなのですよ。だから、例えば、名前をだして恐縮なのですけれどもね。浅田真央さんとか。浅田真央さんとかがね、練習だとトリプルアクセルが6回も7回も、8回も成功すると。本番いなったら、なぜガクンとなるのか。なぜなのか。なぜ、同じ肉体の持ち主が。別に、コンディションも一緒でしょうと。先程まで、バンバンと跳んでいたでしょうと。なぜ、本番ではこけるのかと。なぜ、ガクンとなるのかと。これはですね。やはり本来あるべき心というものが、上に上がりだしているということなのですよ。
《 加藤 》 上にあがりだす。
《 小西 》 上に上がりだしているということです。ということは、じゃあ、心ということをいかに落ち着けるように考えることになってくるのですけれども。これは私は、健康の要だとまずはみているのですけれども。先程、お話をした階段を登りおりするという呼吸方法。これはまず、これももちろん、訓練方法からのアプローチなのですけれども。
《 加藤 》 一つの身体からのアプローチですね。
《 小西 》 心のじゃあ、トレーニングというものはですね。心が脳で派生するとしますね。脳で派生していると。これは果たして、このまま置いておいて良いのかどうかとうのがまず、ここになってくるわけですよね。ここなのですよねまずは。これは、答えとしては、ダメなのですよ。なぜ、ダメなのかということなのですよね。なぜ、これが良くないのか。結局ですね。じゃあ、これを仮に今、感情という風にします。感情も心の一つですから。感情が例えば、良かったら良いですよ。ものすごく気分が良いのなら良いのですけれども。例えば、嫌なこと。ものすごくむかつくことがありましたと。非常に、怒ることがあったと。例えば、ものすごく何らかのことで怒っている時に、仕事を落ち着いて出来ますかと。出来にくいですよねこれは。当たり前ですけれどもね。怒っている時は怒っているので。そんな、気持ちよく仕事なんて出来ないですよね。やはりこの怒りの感情というのに、振り回されますよね。
あるいは、例えば、大切な方が亡くなった。悲しみのどん底。こういった時に、きちんと仕事が出来るのかというと、出来ないですよね。それで、東洋の健康法。ヨガなんかも含めて、修行法や武道というのが全てですね。ここにある心というのを、どこが一番安定するのでしょうということを、追求するわけですよね。加藤先生、ここに発生した心はどこに置くのが、安定すると思いますか。加藤さんならわかりますよ。
《 加藤 》 ここら辺にですかね。
《 小西 》 分かりやすく言えば、僕が俗に良く言う東洋の言葉では、臍下丹田というへその下という、丹田という場所に持っていきましょうと。下に持っていきましょうと。へその下に持っていきましょうと。これが、座禅もヨガも東洋学も全部、ここに眼目を置いているわけなのですよ。これが、第一眼目なのですよ。つまり、ここで発生した心をここに持ってくる。じゃあ、落ち着くという言葉がありますよね。落ち着く。落ち着くというのは何でしょうか。落ち着くという言葉はですね。ここに発生した言葉を、落としてついた場所が、ここですよという場所なのですよ。
《 加藤 》 お~。なるほどです。
《 小西 》 これはね、私が発見したことなんですけれども。
《 加藤 》 なるほど。落ち着く。
《 小西 》 じゃあ、逆上というのは何ですか。逆上というのは、ここに発生したことが、逆に上に噴出してしまうと。
《 加藤 》 でてしまうということですね。
《 小西 》 怒髪天をつく。怒りのあまり、髪の毛が逆立っている。心が上に吹き出してしまっていると。これが、逆上ということなのですよね。
《 加藤 》 日本語って凄いですよね。
《 小西 》 まさしく。極めて高度なものがありますよ。日本語というのは。そして、例えば、サムライや武士道で、切腹というのがありますけれども。腹を切りますと。あれは一体何ですかということなのですよね。死にたいのだったら、こんな大腸を突き刺したって、なかなか死ねないじゃないですか。なぜ、あんなところを突き刺す必要があるのか。死にたいのだったら、ちょっとね。厳しい言い方をしたら、脇差みたいな短刀を持っているのであったら、首の頸動脈を切った方が一番速いわけですよね。これをばんっと切ったら、一番速く手短に出血したりもしないですし。なんでこんな大腸を刺す必要があるのかと。
これはですね。結局、その武士という人種は、サムライという階級は、終始ここに発生した心というものは、ここに持つ。ここに降ろす訓練が出来ていました。常住坐臥。寝ても覚めても、心をここに置く訓練を養っていますと。そういった訓練をしたものを、サムライという風に定義していますと。これが、彼らの言い分なのですよ。だから、武士の心というのは、一般の方の心というのがここにありますと。脳に発生をしていて。武士の心というのは、ここにありますと。これが、彼らの言い分なのですよ。この彼らのある心は、ここにありますと。それで、武士の心を絶つのをもって、武士の死という風に定義をしましょうというものが、切腹というイベントであり、儀式なのです。切腹というのは、そういったものなのですよ。
《 加藤 》 心を断ち切るということですね。
《 小西 》 武士の心はここにしかありません。我々一般人と違うのが、特殊な訓練をしていること。だから、武士なのだと。それはどういった訓練をしているのか。それは、ここに発生した心を、終始ここに持っているという訓練をしている。その武士の心はここでしかない。それを、断ち切るのが武士の死であるというのが、彼らの言い分であり、イベントなのですよ。これが、切腹という意味なのですよ。
そして、浅田真央さんのさっきお話ししたことというのは、練習の時は落ち着いていますから、心がここにあるのですよ。ただし、フィギアというのはですね。こんな数ミリのようなエッジ。この一枚刃なわけですよね。それで、空中でジャンプをして、3回転くらい回って、片足で着地をしているのですよね。両足でどんっと着地をすることはないですから。瞬時に体重をかえてジャンプをするというのは、極めて高度でバランスがいるものだったらですね。その本番の時には、当然のごとく、金メダルへのプレッシャー。日本国民からの期待。ライバルの人たちに対するプレッシャー。こういうものがですね。その彼女の、あるいは、そういったアスリートの心を、こおkに納まっていなければいけない心が、1センチ上がるだけでですね。重心が1センチあがるだけでですね。失敗するということなのですよね。
《 加藤 》 そこまで、そうですね。究極の世界になってくると。
《 小西 》 練習では成功をします。なぜなら、心がここにあるからね。
《 加藤 》 なるほど。
《 小西 》 成功する。十分に力を発揮できる。しかし、本番では、そのプレッシャーというものが、ストレスというものが、ここにある心をちょっと上に上げてくると。
《 加藤 》 隙がでてしまうのですね。
《 小西 》 そこが、やはりああいった極度にバランスを要するスポーツでは、失敗をするということなのですよ。ここなのですよ。
《 加藤 》 僕らみたいな一般の人間が、こういった心を下に持ってくるようなトレーニングというのはどんなのですかね。
《 小西 》 これはですね。もう加藤先生、これを端的に言うとですね。結局は、瞑想なのですよね。分かりやすく言うと。つまり、不動心なんていうのが良くありますよね。不動心というのは、ここにある心のことを不動心といったのですけれども。そんなものはないのですよ。つまりですね。終始、上に上がってこようとするのですよ。これを下げても。
《 加藤 》 だんだんだんだんと上がってきてしまうのですね。
《 小西 》 元々は、ここに発生していますから。元にあったところに戻ろうとするのですよね。これを、上がっては下げ。上がっては下げってやっていると。この耐えるスピードの速さだと思うのですよ。分かりやすくいえば。だから、ここに発生している色々な感情。心の一つの感情というものを、いかにそこから脱却をしてここに下ろして。脳を速やかに正常に動かすのかということなのですよ。つまり、脳がなぜ正常なのかというと、そこには、もう色々なわけのわからない理由や感情は無いということなのですよ。怒りとか憎しみだとか、その悲しみだとかいうのは、そんなもともとここから動かないですし
。こういうところにある、ネガティブな感情をいかに、楽々ここに下ろすことが出来るのかということ。
《 加藤 》 冷静に。
《 小西 》 そうです。この訓練が必要になってきますからね。それでこれは、24時間出来ます。この訓練は。つまりですね。それは、どういったことなのかというとですね。やはり、意識の問題なのですよ。
《 加藤 》 はい。
《 小西 》 例えば、街を歩いている。あるいは、仕事の時に、腹が立つことって良くありますよね。その時に、腹が立ったと思った時は、心がここに上がってしまっているのですよ。それを、すぐに下げるという訓練ですね。そんなもんは、毎日、毎日できますよ。しょっちゅう出来ますよ。
《 加藤 》 どういう風にですか。
《 小西 》 例えばですね。もう上がっていると思ったら、下げれば良いのですよ。
《 加藤 》 意識をすれば良いのですね。
《 小西 》 それはもう、呼吸法を使っても良いのですよ。呼吸法を使うことによって、それを下げるということをイメージしても良いですし。つまり、頭を空っぽにして立つことなのですよ。頭の中に何もないと、正常に動くと。そういったことなのですよ。ただし、ここに色々なものがあると、それはやはりなかなか素直に動きにくいですよ。当然のことで、動きにくいですよ。
だから、昔からその日本で言う、無念というのはそうだとか。無心というのは、ここに心が無いということですから。脳に心が無いのが、無心なのですよ。その心がどこにあるのか。ここなのですよ。納める場所はここだよということなのですよね。だから、座禅とかはみんな全部、ここに手を組んで置くのですよね。あれは、この中に心が入っているということなのですよ。ここに心を納めるというのが座禅の、ここに手を組むということの意味なのですよ。ここでこう組んでいますよね、皆さん。ここに心を入れているということなのですよ。ここに発生した心を、ここに持ってくるという傾向をやっているわけなのですよね。
《 加藤 》 そういった心のトレーニングからすると、もしかしたら、その明治維新の方たちよりも、現代のほうが、そういったトレーニングをしやすい環境にあるのかもしれないですよね。
《 小西 》 あのですね。ただ、時代という厳しさから言うとですね。それは江戸時代から比べて今の方が、はるかに厳しいですよ。絶対に厳しいです。だから、江戸時代は、お坊さんというと、一目皆さん置いていますけれども。今の現代人の方が、はるかに厳しいです。はっきりと言って、厳しいです。厳しくなければ、そんなに毎年、毎年、3万人以上が自殺をしないですよ。
《 加藤 》 今の現代の方が、厳しいのですね。
《 小西 》 圧倒的に厳しいです。
《 加藤 》 そういった意味では、トレーニングしがいがありますよね。
《 小西 》 今こそしなければいけないのですよ。
《 加藤 》 心のトレーニングですね。わかりました。
《 小西 》 そんなにね、のんびりとした。のどかな時代なら、する必要がないのですよ。
《 加藤 》 いいですね。逆に。
《 小西 》 今の厳しい時代。時代はやはり厳しいのですよ。現代は。だから、今こそやはりそういったトレーニングを、訓練をした方が良い。絶対にその方が人生楽しいですし、楽ですよ。
《 加藤 》 ありがとうございました。一応、今日はですね。前半で、山のお話しを伺いまして。厳しいお話しを伺いまして。後半戦では、健康法について。身体からのアプローチ。心からのアプローチをですね。すごく貴重なお話しの数々を聞いて、僕自身がすごく勉強をさせて頂きました。
《 小西 》 いえいえいえ。
《 加藤 》 本当に、どうもありがとうございました。
《 小西 》 こちらこそ、ありがとうございました。
相武台脳神経外科
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