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偉い人にいちいち振り回されない生き方 日蓮宗 成就山 妙福寺 早島英観 第3回

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《 加 》    今日は、早島英観さんを相武台脳神経外科にお招きして、お話を伺います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 素人の意見ですけれど、やはりそういう風に、今を生きるというか自覚をするというのは、九十歳にならなければ出来ないことではない。とりあえず、それはその人生経験を積めば積むほど、もちろんその経験値上がってくると思いますし。色々な考えや、例えばブッタになるような、門というかチャンスは多いと思うのですよね。

 だからって、やはり今までの経験を固定して、生きていくとそこで流れが止まってしまいますよね。今を生きていない。ということは、本当に本気で今を生きるという言が出来ていれば、年齢は関係ないですかね。

《 早 》    関係ないですね。別に90歳だろうが、80歳だろうが。今を生きやすいかというと、わからないですけれども。今、この瞬間からそれは出来ることだと思うのですね。どの年齢であっても。10代でも20代でも。30代でも出来ることだと思う。そえっをそうしようと思うかどうか、その意識の切り替えが大切だと思うし。それは、やればやる程、たぶんやりやすくなってくると思うのですよ。

 脳の癖だと思うのですけれども、心の癖かな。わからないですけれども、常に無自覚でいると、やはり意識しようと思っても、すぐに無自覚に流されてしまう。それって、やはり意識して少しでも、1秒でも5秒でもそういう風に、今は食事に集中して食べようとか。思って食べる習慣があるか無いかでは、他にも応用が効くか効かないかが、だいぶ変わると思うのですね。

《 加 》    自覚しているか、自覚していないかなというのは、僕自身の判断ですけれど。僕は健康ということで、身体を自覚するかしないかと思うのですけれども。スポーツ選手とかでも、天才的な人というのは、感覚で。ある程度のとこまでいったら、感覚になってくると思うのですが。

 その感覚になってくると、自覚をしている人って、多分そのすごく自分の後輩でも、こいつは自覚しているなと見えると思うのですよ。自覚している同士、人同志は見えると思うのですよ。

 少ししかわからないのですけれど、中国ってすごくこうインドからこう、日本よりも仏教がもしかしたら長いんですよね。そこで、空海さんが何かを勉強しに行った時に、聞いた話では、その中国の和尚さんのその後継者を、島国の田舎からきた空海に、全てを一気に渡してしまったという、大事な経典を。空海を見て、こいつは自覚をしているなというか。すごいなとパッと見てわかったと思うのですけれど。

 それって、やはり感覚の世界なので。僕自身は、宗教ってそういうものなのかなという風には僕は思っていて。そうしたらこう、年功序列では無い方が良い。上の人なら分かるはずですよね。若手でも、こうやってすごい僧侶の方が出て来て、こいつはすごいなと先輩の和尚さんが思われるというか。一気にこう何か上のことをやってみますかみたいなことを、言える様な環境でも良いのかなという思いはあって。

《 早 》    いやあの、さっきの話は全然僕は、批判されているようには聞こえなかったので。むしろ応援されているのではないのかなと思ったのですけれども。これを流してもらって、色々と問題があるかもしれないですけれども。

《 加 》    あとで、チェックして頂いて。

《 早 》    僕は、僕はというか私は、そうですね。僕らの世代がやはり分岐点になるのかなと思っていて。逆に言ったら、あんまり上の人に期待はしていないですよね。今まで期待をしていて、裏切られた数も多いですし。期待することによって、時間をロスすることも多いので。だったら行動してしまった方が速いな思いますし。

 実際に行動するツールも、沢山もうも揃うし。仲間も集められるので。別に、上を批判するわけではないですよ。自分たちの正しいと思うやり方を、正しいと思うことを、伝える先は別にお坊さんでは無いので。一般の人に伝えた時に、どう評価されるかしか、あまり興味がないので。

 この仏教界の何というのですかね。力関係とかはまったく気にしないで、例えばネット配信だったりとか。それぞれのメディアや、テレビに出ている人もいるし、ブログで発信している人もいるけれども。自分の信じたものを、より通じ合える人たちと切磋琢磨しながら、社会にとってどういう意味があるのかというのを、発信していければ良いと思っていますので。

 変える気もないですけれど。自然に新陳代謝でこれで我々が上に行ったら、変わってくるとは思うのですけれど。今、変える気もそんなにないですし。何かのパワーがかかっても、そんなに気にしないかなという感じはしますかね。

《 加 》    僕自身が、すごく勉強した訳ではないのですけれども、その垣間見させて頂く中で、仏教に思うのは。仏教ってすごく寛容な教えなのかなと思って。さっきおっしゃっていたように、やはり一人ひとり、自分が成長していく道しるべにしているだけであって、参考書みたいな感じで。その枠って、むしろ本質的な所で仏教ってあまりない様な気がして。

《 早 》    良くそこをおっしゃっていただいた。でも、その通りだと思いますよ。良いですかね、僕の意見を。仏教って、他の宗教と本当に違うのが、何と言うのですかね。カチっとした枠が無いのですよ。アメーバみたいなもので。

《 加 》    そうですよね。

《 早 》    あのコアな部分はあるのですよ。コアな部分って何かというと、今言っていた、今を生きるという価値観と、仏教用語で言うと、諸行無常ですよね。自分の心は常に揺れ動いてるというのを、自覚するというのが、すごく大切な価値観で。地に足をつけて生きるというものに値する、例えば、思想とか生活習慣だったら、ある種何でもやって良いのですよね。

 インドで発祥した仏教なんですけれど、インドのそのままの形を中国に入れた時に、やはり反発が起こるのですね。なんでかと言うと、その当時の中国って、道教とか儒教とかの勢力の方が強いというか、信じている人が多くて。それを中国に入れた時に、やはりなんか外来の宗教なんかいらねえよ、みたいになるんですけれど。

 そこで、仏教はそのままの形を維持しないで、もう道教とかの言葉とかに置き換えながら、仏教の思想をこう入れていくのですね。あの、閣議仏教というのですけれども。中国に入るために。例えば、空という思想を、道教の言葉で言って、無とか。そういう言葉に置き換えたりとか。

 あとは、ルールも色々と、インドではお酒を飲んではダメですけれど。中国では、例えばお酒を飲みながら、その例えば、老師と道徳教の講義を聞くとかという習慣がある中で、お酒はダメですと言うと、そもそもが門前払いになってしまうので。そこではお酒は、中国ではオッケーになったりとか。

 着るものもそうですよね。インドで着ていた衣しかだめだったら、中国のお坊さんは寒くて死んでしまうので。すごくそこは柔軟に対応していって。ルールも変えるし、教えの外角も変えていくのですよね。

 その中の、コアな部分だけは、絶対に変えないように、周りを変えて。そこの文化とか風習とか、その時代に合わせて変えながら、こう入っていくのが、仏教なのですよ。それは、中国でもそうですし。

 アメリカに入った時は、アメリカの形があるし。日本に入った時には、もちろん日本の神道とか。元々あった風習を上手く取り入れながらというか、大切にしながら、今までの文化を壊すのではなくて、その上に、仏教の価値を乗っけて提供して、どうですかという風に提供するのが、仏教なので。もう寛容の塊みたいなものなんですよね、本当は。

《 加 》    その軸となるのは、さっきちらっとおっしゃっていたのですけれども、地に足を着けるということですよね。結果として、地に足をつけていたらオッケー。

《 早 》    あの、地に足を着けるというのは、過去とか未来に引っ張られないで、今というこの瞬間に、しっかりと何というのですかね。足を着けて、こう立って生きるというところが、地に足を着けるということですね。

《 加 》    結果として、それが出来ていればオッケー。

《 早 》   そうですね。

《 加 》    その為には、形は何でも良いということですよね。

《 早 》   そうですね。

《 加 》    それって、僕はすごく重要だと思うのですけれども。科学ってどういう風に、僕の中ではどう判断しているのかと言うと。例えば、その身体のその何か生体反応って、調べれば調べるほど、最終的にはわからないとこっていって。ブラックボックスっていうのがあるのですけれども。

 薬でいえば、例えば、Aという薬があって。その風邪が、その薬を風邪を引いている人に、Aという薬を100人に飲ませたら、95人が治ったと言ったら、そのAという薬は効果があるだろというのは、ある化学なんですけれども。

 結果で見ているのですよね。それで、理由を後付けしていくというか。あの調べていく。結果を大切にするというのは、本当に科学的な思考かなと思っていて。例えばこう、そこに立ち返らないと怖いかなというのがあって。

 例えばでわからないですけれども、オウム真理教とか。僕が嫌な感じを受けるような宗教で、視野が狭くなってる人 って。結果として、じゃあ今起きてるんですかという風に、問いてほしいのですよね。

 例えば、今を生きているわけではなくて。何か、教祖さんの気持ちを生きているのかという感じで。いいなりになって、奴隷になって。自分自身を生きているわけではなく、教祖様が良いと言ったら、良いという。それって、渾身的ではないのですかと。じゃあ、それはもう、どうなりなんかその、アサハラさんが何か難しいことを言っても、それは仏教ではないですよね。

《 早 》   それは、そうですね。

《 加 》    結果として、やはり結果を見るということが重要なんで。僕自身は、やはり結果を大事にしていきたいなと思いますし。やはりそれが、今少し垣間見た中ではこう、仏教が大切にしているものなのかなというのは感じました。

《 早 》   そうですね、やはり。結果というか、それを信じている人がどういった、何というのですかね。生き様になるのかというのが、凄く大切だと思うのですよね。例えば、同じような日蓮宗で言えばお題目。お題目を唱えても、唱えてすごい共感性があって。色々な人と仲良くできて、人にすごく優しく接することができる人と。同じように唱えているのに、唱えないやつはダメだよ、地獄に落ちるのではないのかというのとでは、真逆じゃないですか。

 結果が真逆ということは、やはりそのどういう風に、今をしっかりと生きていて、自分のためになっているのか。それ共、もう何か盲目的に信じているのかの、大きな違いだと思うのですよ。やはり結果で判断するのも大勢ですし、その駄目になっている結果をやはり自分で気付くということも多分、大切だと思うのですよ。

 やはり自覚的に生きていないと、なんかどんどん視野が狭くなって。でも、少し違うかなと思っても、疑問を挟むことすら許されないみたいなことを、上というかその偉い人に言われて。どんどんこう狭くなっていって。それで、自分が信じている道以外は、もうみんな地獄に落ちるのではないかと考えてしまうと、決して幸せにはならないと思いますね。

《 加 》    地獄自体がこう、今を生きていないのですよね。地獄行きという。

《 早 》   そうですね。むしろ、その人は今地獄に落ちているのではないかと思いますけれど。そうですね、やはり結果を大切にする。しかも、自分でその結果をきちんと顧みることができるというのが。

《 加 》    現代風に言うと、なんかチェックポイントがあれば良いですよね。それがいくつかあれば、良いですよね。今を生きられているのかどうか。今を生きているということに、疑問を抱く人っているのですかね。なんか、今を生きましょうと。今、自分自身の今この瞬間を、真剣に生きていきましょう。いや、俺はそんなことは無いよ。俺は過去のご先祖様の為に生きるんだ。大事な娘のために生きるんだとか。今を生きるという価値観を、疑問を抱く人に対して、どう接するのですか。

《 早 》   そうですね。今を生きているつもりだけ、生きていないという人は多分たくさんいると思うのですね。一つ気付いたことは、話を繋げるわけではないのですけれども。今に集中すると、少し楽になるのですよ。読む時に、本当にもう読もうと思って。

相武台脳神経外科
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