こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。
今日は平成28年8月28日の日曜日です。
以前のビデオの中で、題名で、自分の理想の人格を追い求めると病気になっちゃうというような題名でお話させていただいたことがあったんですが。まあそれは本来の自分ではなくて、何か自分の理想とするような人格を打ち立ててそれに型を当てはめようとすると、自分自身に矛盾が生じて、葛藤が生じて、体が痛んでくる、病気なるというお話をさせていただいたんですが。
一つちょっと感想をいただいて、その方は「一人で生きているわけではないので周りに合わせることは社会生活では大事になります。電車の中で歌いたくなったら歌うとかマナーとしては良くないですよね。欲求をそのまま出すことはできません。自分を抑え込むのではなくて、認めて実になるということはなかなか難しいことですね」というような感想をいただいたんですが。
まああの、僕自身がすごくお伝えさせていただきたいのは、欲望のままに生きるということが本当の自分のままで生きるということではないってことです。で、本当の自分自身というのは、すごい自覚してると気持ちいいもので、あーこういうもんなんだというような、こういう流れがあるんだというのを、おそらく僕自身も完全に感じられてるわけじゃないんですが、一応そういうふうな方向性でいいとは思うんですが、まあそういう感じ、完全ではないですけどもやはり自分の流れというのは感じてるんですが。
どういうことかというと、欲望というのは本当の自分ではない。本当の自分を自覚して、本当の自分自身を自覚して周りに合わせるということはすごく簡単なことだと思うのですが。周りに合わせるだけで生きてるというのは、本来の自分を忘れてしまうということに現実としてなっているのかなと思います。周りに合わせるのは全然いいのですが、その前提として本当の自分を自覚した上で周りに合わせるということができているかどうかということが、全然話が変わってくるので。
なので、まあこの感想に関してはいろいろこう誤解があるのですが、まず欲望というのは本来の自分自身を反映してるとは限らない
ということと、本来の自分自身を自覚した状態で周りに合わせるというのはすごく簡単なことですよというのは僕は感じます。心地いいですよというのを感じます。だけども本来の自分自身を忘れてしまって周りに合わせるというのは、知らない間に心身ともに葛藤が生じて病気につながっていきますよというふうなことを感じますので、今日ちょっと、例えば本来の自分自身さえもし感じることができれば、そういうことは無理になるのは難しいですよねというのはありますけども、簡単なことだと僕自身は思いましたので今日シェアさせていただきます。
今日は以上です。
相武台脳神経外科
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