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空海と最澄、圧倒的な勉強法の違いがあった。

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こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成29年6月9日の金曜日です。
昨日からお話しさせていただいてるんですけれども、人工知能とかパソコンのインターネットの検索機能とかの発達で、人間の脳の存在価値というか相手に何ができるだろうということと、人間の脳をアップデートする機能をアップしていくためには、どうしたらいいんだろうということが、少しずつ見直されてきています。それは何かというと、コンピュータとの違い。自分たちにできることは何だろうかということを無意識に考えているんだと思うんですけれども、発達の段階で人間の脳をアップデートしていく中で、今まで思ってたことと、パソコンと比較する中で、人間の脳をアップデートしていくには、もっとこういう方法がいいんじゃないかなっていうふうに思われてることが最近あるので、それをシェアさせていただきたいんですが、昨日僕の今までの経験、中学、高校、あるいは医学部入ってからの経験の中で、知識を詰め込んで脳をアップデートしていったっていうことの方が多いという話をさせていただきました。
それはどういうことかというと、知識を詰め込むということは、勉強というのは積み重ねであって、積み重ねていけばいくほど、どんどん脳の機能がアップしていく。これはどういうことがベースになってるかというと、行動心理学といって行動することで認識が変わっていく。どんどん行動する、物を暗記していくとか、知識を頭の中に入れていくとか、数学の公式を覚えていくということで、世の中に対しての認識、この公式は今も使えるんじゃないかなというのがわかってきたり、こういうときにこの漢字使えるんじゃないかなってわかってきたり、どんどん知識を多くすることで認識自体が変わっていくということをベースにした勉強方法。
これは詰め込み型、積み上げ型の勉強方法を今まで僕はやってきました。これは普通に考えれば、こういう勉強方法がいいんじゃないかなと思うんですけれども、実際脳とコンピューターが違うというところは、僕自身考えることと最近よく言われてることは、知識が頭に入ってくる、今までの自分の中の知識がある、その2つが実は人間の脳の中で化学反応を起こして、いろんな2つの情報が、すごく大きな情報に変わるということがあります。これが人間の心でいう気づきということになるんですけれども、認知ということになるんですが、これはパソコンでは、コンピュータ上はそこまでの能力はないと思います。
というのは、コンピュータというのは基本的には、目的が知識を覚えることであったり、何か目的が人間に設定されている次元での目的ですから。人間というのは、もともと生きる目的というのは抽象度が深いレベルであって、それに対して知識というのが入ってくるのを対応させながら認識していくので、2つの情報が入ってきたときに、こういうことだったのかっていうことを自分の生きる方向性と思い出しながらやっていくと、劇的に世の中の見える世界が変わってくることがあります。これが、パソコンとの大きな違いだと僕自身は思うんですが、これをベースにしてる考え方が認識することで行動が変わっていくということ、認知心理学をベースにした考え方だと思います。
特に勉強の中で、気づきというのを大事にする。わかる、気づき、こういうことだったのかっていうことをベースにするっていうこと。僕自身、今医学部の学校の中で、ニュースで留年が多いとかいろいろインターネットで出てますけれども、単純に医学生が頭悪くなったというよりも、本当に気づきの勉強は何かということを求め出したんじゃないかなという気はします。
僕が入ってた頃の医学部、今の医学部の教育がどうなってるかわからないですが、特に基礎医学といって患者さんと会わずに、患者さんに対して治していくことの学問を臨床医学と言うんですけれども、基礎医学というのは、患者さんと直接会わずに体の中の解剖の名前とか、体の中での生理機能の科学的な考え方とかっていうのを、ある意味机上とか動物実験とか机の上とかで考えていって積み上げていく学問ですけれども、それ好きな人は好きですけど、ただ患者さんを治そうと思ってきた医学生に対して、それは結構患者さんの悩みとかけ離れていたり、現実的な話とかけ離れていって、すごく専門的過ぎたり、その情報がどういうふうに患者さんと関わっていくのかっていうのを、まるっきり見当もつかないまま高度なことを、最初医学部の勉強を始めるときに始めてしまうので、これは医学用語というのを積み上げていけば、どんどん医者として良くなるという。
例えば行動心理学的な考え方による勉強方法なんですけれども、いきなり富士山を登りたいと思ったのに、富士の樹海に迷い込むということになりかねないので、何のために勉強しているのかってわからなくなります。
結局、患者さんを治すという根本的な基礎的なところからかけ離れてしまったスタンスの医者というのが生まれる可能性があるんですが、やっぱりいくら基礎医学といっても、やっぱり気づきを大事にして現場での患者さんに対して、こういう学問はこういうふうな形で繋がっていくんだというふうなことを、気づいていくということをベースにした教育であれば、もう少し医学教育というのは変わるんじゃないかなと思いますし、そういった危機感というのを、やっぱり医学教育の現場の方々というのは多分持ってるんじゃないかなと僕自身は思います。
それは医学教育じゃなくても、高校の受験勉強だったり中学、高校の勉強でもある程度そうだと思うんですが、日本の教育の中で僕自身は、もう少し認知心理学的な要素というのを取り入れる。気づきをベースにした要素というのを取り入れていくと、すごく劇的に変わってくるんじゃないかなというふうなことを考えます。
気づくということはどういうことかというと、日本語の昔の例えでいえば、一を聞いて十を知るという諺もありました。これは、気づくことができたら十という知識というのは、教わる前にパーっと繋がってわかっていくということの諺だと思うんですが、一を聞いて十を知る。具体的な例をあげてるんですが、僕自身今回ウェイクサーフィンといって、ボートの引き波に乗ってサーフィンするというのを最近始めたんですけど、それを始めたつてでタイのすごく上手な方に教えてもらいました。
タイのウェイクボードの世界でもトップクラスの方について教えてもらったんですが、その方に言わせると日本人はいっぱい努力するけど感じないと。いっぱい練習はするけど感じないと。練習することにフォーカスするんじゃなくて、練習してるときに感じることにフォーカスしなさいと。感覚を捉えることにフォーカスしなさいということを言われました。これこそ認知心理学的な学び方を、その世界のトップの選手は僕に伝えてくれたんじゃないかなというふうに感じます。
また過去でいえば、昔日本の仏教徒で偉い方で空海と最澄という方がいらっしゃったんですが、最澄という方はすごくエリートで、積み上げ型の仏教を勉強されてきて、すごく知識豊富でした。空海はアウトローな形で、そんなにエリートじゃなかったにも関わらず、中国に行くところに紛れ込んで中国に行ったら、いきなり中国の一番偉いお坊さんに見込まれて、何百人って弟子がいるんだと思うんですけれども、その弟子を差し置いてその中国のお寺の過去伝わる一番大事な経典やら秘伝にしていることやらを、空海にそのお師匠さんは渡してしまったと。どこの馬の骨ともわからない空海に渡してしまったと。
これはどういうことかというと、やっぱり空海はそれを勉強して一を聞いて十を知るというか、感じることにフォーカスして行ったので、勉強のスピードがすごく早かったと。あるレベルで感じてるレベルの方同士というのは、見た目全然そういったのではなくても、あの人わかってるなというのは、本当にわかってる人同士だったら通じ合うものがあるので、それは身分とか外見とか国とか関わらず、この人わかってるなというのがわかってしまったら、わかってる人にこの大事な経典を全てあげようということになるので、そういった顕著な例というのが、空海と最澄の対照的な勉強方法の違いだったり能力の違いだったんじゃないかなということをすごく感じましたので。
今まで僕自身は、行動心理学的な要素で勉強してきた、積み上げ型で勉強してきたんですが、認知心理学的な要素で勉強していくということの要素というのがこれから必要ですし、これからいろんな人にいろんな情報をお伝えしていったり教えていく中で、そういうことの教育法というのも考えていきたいなと思いましたので、今日シェアさせていただきました。今日は以上です。

相武台脳神経外科
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