《 加 》 相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今日は、チャンネルSに、デフレの正体と里山資本主義を書かれた、藻谷浩介さんをお招きしてお話を伺います。当院では、健康を考えていくうえで、まずは体の声を聴き続けましょうという根本的な事に関して、お話しさせて頂いていますけれども。
藻谷さんご自身は、社会に対して元々、私たちはどういった社会を作った方が良いのかという根本的な事に対してのお話を、この2冊の本でさせて頂いているので。結局、社会に対しても体に対しても、言いたいことは一緒なのだという事を、今回のお話しで皆さんにお伝え出来ればなと思います。今日はおそらく、非常に面白いお話しが聞けると思いますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
今日は、よろしくお願いします。
《 藻 》 よろしくお願いします。
《 加 》 あまり順序とかは考えていなかったのですけれども、一応うちのクリニックは、病気になる前の患者さんを対応させて頂いていて。というのは、研修医の時に、ずっと脳卒中の患者さんを診させて頂いていて、最近、バリバリの働き盛りの若い方が、脳卒中とか脳梗塞とかになって、運ばれてくるわけなのですね。
やはり患者さんが受けるストレスだとか、ストレスだけでは無くて家族もそうですし。それだけではなくて、金銭的なストレスもあって、手術にかかるお金とかに人体的なパワーとかも考えると、これだけ辛い思いをするのだったら、なる前にちょっと頑張れば、全然皆幸せなのになってずっと思っていて。
《 藻 》 本当にそうですよね。交通事故と同じで、起きてしまったらいざ、取り返しがつかない。交通事故は他人を巻き込むから尚の事ですが。ある種の自損事故みたいな物ですかね。もう少し注意していればあそこで、ぶっ壊れ無かったのに、ちょっといつも通りの運転を若い頃のつもりでやっていたら。ちょっと壁にぶつかってしまってみたいなのと同じで。
最近、私の周りでですね、脳が理由で突然若死にする人が結構いくつか続きまして。あるいは、入院してしまって相当大変になってしまったりとか。バリバリ活躍していた人が、脳が原因で動けなくなるという事が相次いで、周りの人も非常にがっかりしていると。あんなに元気だったのに。突然、御いびきを置かれて亡くなってしまった。
やはり、後々考えてみると、ストレスがあったんだろうなと。本人は、全然ストレスが無さそうに見えたのだけれど、という様なケースが増えているのです。50代の男性に多いような気がするのですけれど。
《 加 》 そうですね。若い方、働き盛りの方が多くて。ポイントは、死ねないのですよね。
《 藻 》 そう簡単には亡くならないのですね。
《 加 》 脳の病気というか、亡くならないというのが一つのポイントで。治療に苦しい思いをするだけでは無くて、その後に後遺症が残ってしまうと、ご本人もご家族もきついし。寝たきりになってしまうと、えらい事になってしまうので。
《 藻 》 そうですよね。表情も変わりますし、まったく今までやってきた事が出来なくなってしまう。かといって、本人の多分、他の生きている所は全く元気ですから。本当に、イライラが募るという事にもなりますよね。
《 加 》 ある分、やはりその脳卒中が怒る現代が早まっているという部分があるのと。もう一つは、脳外科の技術が進歩しているせいで、やはり助かってしまう方が多い。
《 藻 》 亡くならないけれども、助かる。だけれども、損傷している所は損傷したままという。そういう事ですよね。
《 加 》 一場、やはり脳外科医として辛いというか、恐かったのは。脳外科医は、寝たきりを作るなという風な事を、最初の研修医中に言われて。そこのせめぎ合いが、医者としては辛い部分が。
《 藻 》 やればやる程、寝たきりの人が増えてしまうという。
《 加 》 お話しの中で、手術に踏み切るのか、積極的に行くのか行かないのかという。やはりご家族としては、そういったイベントが起こった時には、出来るだけの事はやってほしいという事はおっしゃるのですが。後々の事が見えている僕らからすると、どこまでするのかというのが。
《 藻 》 これは回復しないよねという。
《 加 》 現実的にきちんと、お話しさせて頂けないかなという所はありますね。
《 藻 》 そうですね。世の中全体的に、あまりにも人が亡くなっていくという事を身近に見ないでですね。本当は、沢山の方が亡くなっているのだが、病院の中で亡くなっているので。結局、医療関係者、介護関係者と坊さんしか、死人と向き合っていない為に、皆さんは人が亡くなっていくという事を、自分がどう死ぬかという事を、リアルに考えられなくなっていますね。
それが、物事に良く影響している。なんやかんや言って、とても人工的、アーティフィシャルに物事がなってしまっているという事をね。つくづく思いますね。その、もうちょっとナチュラルに、自然に触れ合いながら自分も生き物なのですよという事を取り戻しながらね、生きなければダメだと。昔から思ってたのですけれど。そういう物の考え方の、一つ象徴的に学びだしたのが、この「里山資本主義」ですね。
これは凄く、嬉しく楽しそうな表情が描かれていて、ジブリの近藤さんが素晴らしい絵を描いて下さったのですけれども。これは良く見ると、若いお母さんと頑張っている旦那の、若い娘なのだけれども、はつらつな。良く最近、娘とお母さんの年齢差があまり見えないというケースが良くありますけれども。まさに、日本の今、こういう感じの家族が少しずつ増えているのですよね。そういう、楽しく少し自然に触れ合いながら過ごす時間を持つ。毎日、こうやっているとかは知らないけれど。たまに田舎でやっているのかもしれない。そういうイメージを、見事に表現してくれました。
本の中身は理屈っぽいお話しですけれども、もう少し関連論では無くて、生き物として現実に生きていくにはどうしたら良いかという、いくらでも道はあるよという事をね、考え直す。それが、里山資本主義ですね。
《 加 》 地に足を着けてやるという事ですね。
《 藻 》 ええ。ただ、生き物と言いましてもね、我々は野生動物ではありませんので。いきなり飼われていた犬をですよ、その辺に縄を切って、さぁ生きていけと言って。犬だとですね、震災で行方不明になってもちゃんと、4年生き延びていたりするのですよね。じゃあもう、野生が蘇ってネズミを取って生き延びるのですよね。人間は、それは生けませんよね。システムから切り離されて山の中で4年間生きていくって。それはよほどな人で無ければ無理でして。
だから、我々は、犬で言えば飼い犬なのですね。社会の飼い犬なのだけれども。犬というのはその、縄を外してドッグランドでも、山でも駆けまわさせると自然に戻っていく行動を取る。どんなにマンションの中で綱を付けられて、良くして飼われている犬でも、ドックランドに連れていくと、仲間と集まるとキャッキャッと走り回ってですね。その時には、産まれ持った野生が戻っているわけですね。
同じ様に、毎日、24時間ずっとマンションの中で洋服を着て育っている犬では無くてね。ドックランを駆けまわる時間は必要ですよね。人によっては、マンションにいるのは辞めて、一年中ドックランに居ても良いのですけれど。
都会で生活している我々でも、人生の中のひと時ですね。人生の中の一部でも、ナチュラルな生き物としての自分を取り戻す様な、時間やお金の使い方を考えた方が良いよ。それが、里山資本主義なんですね。
《 加 》 何を目的に生きていくのかというのが、分からなくなってきているというか。資本主義で皆が幸せの目的で、新たな主義を作ったのかもしれないですけれど。いつの間にか、お金を儲けるのが目的になってしまっていて。何か手段と目的が逆転、逆転というか混同してしまっている状態になってしまって。何をやりたいのかなという事が。
《 藻 》 この話の根底的なテーマというのはまさにですね、何の為に生きているのか。そのお金を稼ぐ事が、人生の目的だと言い切る日本人があまりいないのですが。ニュースを観ているとと、日本国の存在目的は経済成長ですみたいな。そんな事を、上から下まで真顔で言っているわけですよね。
日本国の存在目的は、お金を儲ける事です。いや、それは違うよなと。日本国は何かをしたいので、その為にお金が必要だから、お金を改めて儲けましょうという話のはずなのですが。
《 加 》 理念が無いのですね。
《 藻 》 経済成長をする事が目的であるというか。経済成長するという事はつまり、金を稼ぐという事なのだけれど。で、日本社会が稼いだお金を何に使うのですかね。、という様な事は、首相から末端まで、誰も語っていない。語っていない上に、なぜかそれが非常に大切な事であると。語られるのは、お金が無いと生きていけないぞ。死ぬぞ。つまり、手段が無いと、手段であるはずのお金儲けをやらないと死ぬので、手段の為に人生投じなさいと。
《 加 》 お金儲けのマシーンになている感じですね。
《 藻 》 マシーンになりなさい。じゃ、なってお金稼いだとしてじゃ、どういう社会にして。どういう人生をあなたは生きるのですか。一言で言うと、経済成長にしする、競争力のある人間になりなさい。目標は手段になる事ですみたいな。わかりますよね。
目標は、手段になりきる事ですと。手段になりきると、その後じゃ、誰かがその後に良い目に合うのでしょうか。そんな事を言っている暇があったら、何も考えずにもっと稼げみたいなね。この謎の社会観が、物凄く萬栄しているのですね。これは別に、今始まった事では全く無いです。大昔からそうなのです。
医者の世界で言うと、人を活かしましょう。人命を助けましょう。何の為に。この人を生かす事は、何の為に良いのですか。この人命を生かすのはOK。この人は死ねみたいな事は言えないだろうと。命は皆同等、だから皆生かす。そうなのだけれど。完全に意識がない人を、物凄くお金をかけて、ずっと生かし続ける事にもなる。それで良いのか。
完全に意識が無い赤ちゃんが、いつ亡くなるかもしれないけれど。そこで、生命維持装置を切れるのか。ところが、完全に意識のない、存分に生きた100歳の人が意識なくて、生命維持装置に繋がっていると。それを切れるのか。人の命は同じだろう。同じなのだけれど、切るとナチスみたいだけれど。じゃ、切らないとどうなるのだと。
そういう問題が問われた時に、そもそも何の為に生きているのですかという問いを避けて、手段の話ばかりしてきた。もうそんな理屈はどうでも良いから、とりあえず目の前の人を生かす事に没頭しなさい。はい、分かりましたと。そんな理屈はどうでも良いから、とりあえず経済成長しなさい。はい、分かりましたと。そんな理屈はどうでも良いから、とりあえず今日のこの教授ノートを仕上げなさい。はい、分かりましたと。
皆が、物凄く目の前の各論の事をやるのに一生懸命になる様に、社会に追い込まれていて。じゃ、最終的に何の為にやっているのかと言ったら、分からないのですよね。
《 加 》 それって昔からなのですか、日本人は。
《 藻 》 昔からです。僕はこれは、始まって以来、ずっとそうだと思っています。それで、そういう事に対する根源的な問いかけが、あまり無い社会なのですここは。
《 加 》 日本語には良く、私はとか主語は無いと言われていますよね。日本語の言葉を話せる事自体が、やはりその思考回路が公の思考回路になっているというか。
《 藻 》 そうですよ。例えば、あなたがなぜそんな事をするの。いや、生きているからですとね。生きているからさ、生きているから。誰が生きているの?主語が無いのですね。実は、生きているからという言葉を言うのは、良い事なのだけれど。実は、自分が生きているからなのか子どもが生きているからなのか。社会が生きているからか、市場が生きているからなのか。あまり区別をしないで使っています。生きとし生けるものというと、何とも日本人はすぐに分かるのですね。全員の事なのですね。
逆に、オールリビングクリーチャーというと、西洋だと神様がそれ以外にいるのだけれども。日本では、自分たち全員の事ですね。もうWeですね、英語で言うとね。生きとし生けるものはWeで。かつ、Youは居ないと。それは兎も角、そういう非常に良い環境なので、あまり突き詰めずに進んできた。要するに、基本的には凄く良いじゃんと。恵まれた社会なので。
ただ、いざ極限状態になってくると、何の為にやっているのかという事が、全く見えなくなってくるのですね。かつね、目的が明らかに見えない事でも、手段として美しいと皆で褒めるのですよ。戦艦大和とか良い例なのですけれども。明らかに目的的に間違っていましたよね。
《 加 》 美しいのは美しいですけれど。
《 藻 》 良く分からないけれど、涙を誘うのは事実なのだけれど。そこで死んだ人は別に泣いてほしくてではなく、供養されると思わないのだけれども。意味が無いですから。意味が無い事で死んでしまっているのだから。だけど、とりあえず何かその美しい姿をね、目的は兎も角、手段として、まっとうするその姿が美しいと言って皆涙してしまう、そういう社会ですね。
昔から、目的を考えないのですよ。皆思うと思うのですけれど、戦艦大和で死んだ人がですよ。たまたま、特攻攻撃をしないで生き残っていて、4千人から何人かが戦後生き残っていたとしますね。それは、戦後復興で大きな助けになったと思いますよ。選りすぐりの隊員が乗っているわけだから、優れた人達ですよね。やれと言えば一生懸命にやる人達ですよね。だから、復興しろと言ったら、大いに助かった。後から、死んでしまった意味は何があるのですかという。別に何のプラスも無いです、実は。
そういう風な事を日本人は考えずに、手段に没頭するわけです。それで、お受験エリートの人は特にそうです。何か良く分からないけれど、良い学校に行ってきなさいとママに言われて行きましたみたいな人が良い成績を取って。医者にも沢山なってから、悩む人も多いのでは無いのですか?
《 加 》 そうですね。
《 藻 》 全然、医者になるつもりは無かったのだけれど、医学部に成績が良いから行きなさいと言われて行ってしまって。後で悩む人は多いでしょう。
《 加 》 そうですね。そういう方もいるみたいですね。
《 藻 》 たまたま、手先が器用だったらまだしも。手先があまり器用では無いけれど、勉強が出来る人が医者になった時には。
《 加 》 僕自身も、父親と祖父を見ていて。あまり才能が無くても、医者って毎日努力をしていれば、世の中に認められる仕事かなと思っていますので。結構、消極的な側面で医者を選んだのですけれども。
《 藻 》 見ていてね、考えてやるのは良いのですけれどもね。抽象的にやはり、良く分からないまま、なんかかっこ良いぞとか言ってね、テレビドラマを見てなってしまうとね。実際は大変ですよね。だから逆に言うと、見て知っている人がなるようになるのですけれども。
同じ様な問題で、受験をしている人が良い学校に行って、良い会社に入る。医者で無ければ、例えばその、法学部に行きましたと。その後、何をするのですかと聞くと、役人になりますとか、代表はサラリーマンや弁護士になる。皆ね何かその、なったらかっこ良い、周りがOKと言う手段としてなるのですけれども。
例えば、弁護士になって何がしたいのですかと。いや、生きていく為ですと。いや、生きていく為だったら、弁護士にならなくても、山の中で田畑耕していても食えているのですよ、人は食えているのですよね。そこに、何の価値の違いがあるのと。
という事を真面目に考えると、今の日本で行われてきた、特に戦後のこのお受験社会で作られた、こういう人達は正しいと。いや、こういう人は間違っているという体形時代が、フィクションで良いと思うのですね。
この里山資本主義という本では、あなたが何をしようと勝手だし、弁護士でも医者でも、官僚でも良いのですけれど、やるのはそうとして、本来は生き物なので。食い物と水とエネルギーくらいは、ある程度、自分で調達出来る道をそれなりに持っておいて。何かあった時に備えるくらいの事をしておいた方が、安心して生きられるでしょうという事を、書いてあるのですね。それに対してね、いわゆる批判というのがあるのですよ。
賛成も反対派も、数字に基づかずに空想に基づいて生きる様にしている。
相武台脳神経外科
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