スタッフと院長のやりとり備忘録 仏教の精神

スタッフと院長のやりとり備忘録 - 苦行は自己満足、今をいきるとは、自然体を極めること –

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<スタッフと院長のやりとり備忘録>


♪ポッドキャスト 診察室 延長戦 -相武台脳神経外科- 今この瞬間を生きる方法 早島英観さん 第4回
スタッフ:
「チャンネルS・今この瞬間を生きる方法 早島英観さん第4回」の感想③です。

ブッタは何でも食べていた。その理由は托鉢にあり、お布施は前日の夕飯の残り物だったりもした。全て拒まずありがたく頂く。お布施をした人々も功徳を積む修行であったとありました。

感謝の気持ちを忘れず、功徳を積むことが特別なことではなく、自然体でできる人を目指したいと思いました。

それにしても、100日間の荒行の話は、想像するだけで胸が苦しくなりました。荒行というだけに、本当に厳しいものなのですね。

回答:
おぼろげの記憶ですが、釈迦は荒行している最中に、近くで女の子が、心地よい楽器を弾いており、声をかけていただいたミルクがとても動物臭く、とても体に染み入るように美味しく、そのときに、苦行は無意味と 理解して、その後、一緒に苦行していた仲間は釈迦に幻滅し、一人になってしまい、一人になったもののなぜか充足感でみたされ、その後、菩提樹の下で悟ったとどこかで読んできがします。

目的が「今この瞬間を生きる」ことであるならば、苦行は、あまりその目的には意味をなさないのかもしれません。

辛いことをしていて、頑張っているいるという達成感、自己満足感は得られるかもしれません。ただ、それは、今を生きることには足かせとなります。

youtubeでみることができるのですが、オウム真理教なども 教団内で辛い修行していたようですが、結局、自己満足が充満するだけで自己満足は、自分の世界観の外に人間に非常な敵意をしめし、結局、悲劇的な結末となってしまうとおもいます。

100日の荒行も僕からみると、生きるための生産活動をせずに、ひたすら自分の好きなお経を集中して100日読み続ける見守ってくれる人間がいる、こんな金持ちの道楽のような修行はある意味幸せすぎるし、こんなのを 荒行と誇らしげにしている時点で今の坊さんの堕落ぶりを本当に感じます。

まあ、僕には関係ないですが、、 僕自身は 関わっていただけるスタッフのみなさんと「今を生きる」ことの実践を深堀り淡々を実践していきたいです。いつも本当にありがとうございます。今日の診察後の話ではないですが、いまこそ 最高の修行ですね。

相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘

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