スタッフと院長のやりとり備忘録 体との向き合い方 相武台脳神経外科の取り組み

スタッフと院長のやりとり備忘録 - 体の声を聞こうとしてもなにも感じません –

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<スタッフと院長のやりとり備忘録>

スタッフ:
一番の大罪は騙されること。

自然と調和できている状態に行く前にその感覚を掴みたいですが未だに体の声を聞くのが下手くそで感覚を感じ取れません。

前にも先生からお話頂きましたがどこか大自然のあるところに行き感じてみたいと思います。

回答
上手とか下手とかではなく、感じていることを少しずつ感じていると認識してあげる。単純に向き合ってあげる。ゆびもみするときに左手が右手の指を握っていることは感じる。

感じている自分をみとめてあげる。少し動かすと皮膚がうごく、筋肉がうごく、骨がうごく、それを感じている自分を認識してあげる。

毎日していくと、すこしずつとおくの骨が動いているのを感じる、感覚の深みがでてくる、気持ちよさを感じ取ろうとすると感じ取れないと感じます。

体の声をきくということは、まずは「あって当然とおもっていて存在をわすれていた存在を再度認識してあげる」 体の多くの部分の存在をわすれてしまっているのでそれと向き合うということが、体と向き合うということであって、気持ちよさをもとめると存在を見失ってしまいます。

存在して当然とおもってわすれていたものを存在していると認識するということは、それだけでふかい幸福感につつまれます。

ただ存在を意識するということが、体の声を聞き続けるとうことだとおもいます。

友達、家族もいて当然とおもっていたら、なにかの折に急にいなくなって、それでまたもどってきてくれたら存在がどれだけ自分の宝だったか認識できます。

その意識を通常わすれている体にむけるだけの行為で、なにも高尚でも超能力でもなんでもないですが、いまを生きるうえで、まず前提となる行為なのかもしれません。

当たり前過ぎて当然のことなのに、多くの人がわすれているので、その当たり前のことをいうと、とても高尚なことのように聞こえます。 いつもありがとうございます。

相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘

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