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根源的な部分では介護は義務ではなく欲求。

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こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成29年1月20日の金曜日です。
昨日、介護をずっと続けたあとでの兄弟間の相続争いというのが、時折耳にすることがあるのでお話させていただきましたけれども、ちょっとわかりにくかったかもしれないんですが、今日もう1回整理してみたいと思います。
物事の捉え方というのは、目先のことで捉える捉え方と、しっかり時間的にも長いスパンで捉える、物事を深く捉える捉え方と、見方が全然違ってくる。目先のことで捉えれば、自分に対しての利益なり見返りというのは、目先のことであるし、深い部分だったり長期的な視野で見ることができれば、そういった長期的な見返りを得ること、深い見返りが得ることができるんだという話をさせていただいて、介護していくということは、どういうことかというと、親の世話をしていくということになってくるんだと思うんですが、人間のそもそもの根源的な欲求として、自分がいただいた恩は返していきたいという欲求があるのだと思います。性質上。
状況的には、親に親孝行したいというのは、親孝行しなけれればいけないというふうに言う人もいますけど、根本的には人間の中に、親孝行したいという根源的な欲求が深いところではあって、それがもしできなければ、それに対しての罪悪感なり、なんらかの欲求が満たされない気持ちが残ってしまうというところが、あるのかもしれないですけれども、そういった深いところで見れば、目先のことでは何年も親の介護をして、心身ともに疲弊して資金的にも底をついて大変な状況になったかもしれないですけれども、その方が仰るには、やっぱりやりきったという気持ちはあるわけで、魂の部分というか気持ちの部分では、すごい満足してる、満たされてるところはあるんだと思います。
まずその状況があって、兄弟の人というのは、もしその介護に手伝ったり協力してない状況であれば、他の兄弟の人はしなくてずるいやつだという状況ではなくて、根源的な人間の見方からすると、親の介護できなかったっていう見方の方がいいのかな、状況からして。
魂の部分では、満たされない気持ちに満たされてる。満たされない気持ちに苛まれてる状況で、そういう状況でこれだけ親にいっぱい世話してやったんだから、資金面とか財産面とか見返りがあって当然だろうという態度で、周りの兄弟に向かっていくと、介護した人は目先の満たされないことで話して、介護しなかった人は根源的な部分での満たされない気持ちで受けてしまう。
そうすることで起こってくるのは、やっぱり相続争いだったりいがみ合いだったり喧嘩になってきますので、まずは介護していた方が自分はとても介護をさせていただいて、気持ち的には本当に心身ともに疲れ果ててはいるけども、満ち足りているという状況を認識していただいて、他の兄弟はできなかったけど深い部分では本当は親の介護をしたくて、親孝行したかったにも関わらず、状況的にはなかなか許されずにでなかったので、他の兄弟には深い部分では申し訳ないことをしたな、みたいな気持ちで向き合っていくと、表面的なことですぐ解決がないかもしれないんですけど、やっぱり状況は大分変わってくるんじゃないかなというふうに、僕自身は思いましたので、これだけ自分自身は介護してるのに、なんで周りの兄弟は理不尽なことを自分自身にいっぱい投げかけてくるんだ、わけわからない、常識的じゃない、弁護士さんに相談しても、こんなことは常識的じゃない、理解できないということを仰ってたので、理解しようとするには、目先のことじゃなくて根源的な人間の欲求というか、そういうことに目を向けて見ると、周りのご兄弟の動きというのは、ちょっとは見えてくるものがあるのかなと思いましたので、一応それを今日はシェアさせていただきました。これからこういったいざこざというか、理解しえないこと、介護の周辺で起こってくるとは思うんですけれども、今回の現象に関して僕はそれを感じて、皆さんの何かのヒントにしていただければなと思います。今日は以上です。

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