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自分の目標がどこまでも浅はかという限界をふまえる。

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 こんにちは。相武台脳神経科の加藤貴弘です。今日は平成29年9月12日火曜日です。

 昨日は、一つの映画を紹介させて頂いて、「ラサへの歩き方」っていう映画を、診察延長線の中で紹介させていただきました。その中の僕のコメントとして、今まで目標を立てて、それに突進してくるような生き方をずっとしていたと。そういうのが、とても浅はかだったっていうのを、気付かされる映画だったっていう風に書きましたけれども。

 それはどういう意味かって言うと、例えば、目標を立ててその目標達成をするために頑張る。人生ある時期、そういうことをやるっていうことは大事ですし、必要だと思いますけれども。一生それをやっていると、浅はかなのかなっていう風に僕が感じたかって言うと、目標っていうのは結局は、自分の頭の中でなんだかの理論的に考えて、こうするのがいいんじゃないかなっていうことを考えて、それで目標を立てているわけなんですが。

 例えば、年収がいくらとか年収が将来的にいくらになるように頑張るだとかっていうのを、お店の人とか自営業をしている人は考えたりするのは、やっぱりこの数字だったりなんだかの持論だったりするわけなんですが。それは、今住んでいるこの地球全体の法則っていうか、大自然的な法則からすると、そんなに意味をなさないものの可能性が結局はあるって言うことです。

 やっぱり頭で考えた物っていうのは、どこまでもある意味浅はかっていうことは抜けきれない。それはどういうところに僕自身は感じるかって言うと、自分の専門分野である医学においても、医学は何年にも渡ってとても高度に発達してきましたけれども。高度に発達してきたにも関わらず、未だに身体の事ってほとんどと言っていいくらい、わかっていない部分っていうのはやっぱりあるわけで。一つひとつの病気の、危機的状況を回避する技というか手段というのはすごく発達してきていますけれども。本当の体の中身の事っていうのは、なかなかブラックボックスであるというところがやはりあって。

 結局これだけ頭で考えても、やっぱり身体に対して浅はかだなっていう風に思えてしまうっていうところが、日曜診療をしていると多々あるので。やっぱり頭で考えていくっていうことは、限界がどうしてもある。けれども、やっぱりそういう進歩をしていく必要はあると思うんですけれども。生き方としては、自分はどう生きるかっていうことを考えた時に、頭で考えてこういう風に生きるっていう風に考えていくっていうよりも、そうしていくと結局浅はかな生き方になってしまうので。

 どうしていけばいいのかなっていうのを考える時に、前に哲学者の若松英輔さんの、文学講座老師の読むという勉強会に出させていただいたんですけれども。その老師の第2章の中の言葉から、若松英輔さんなりの言葉で訳して頂いたのが、全体的に老師の言いたい事っていうのは、自分自身が何かをしようとするのではなくて、自分が何かをさせられている働きに気づいていくというか。受け身的なところで、どこまで行っても大自然の法則っていうのは、なかなか分からない部分はあるわけで。なので、やっぱり普段の生活をしている中で、どこかの段階で、目を閉じて自分がどういう動きをさせられてるかとか、まずは生かされているっていうところを感じるところから、生きていくということが始まるのかなと思っています。

 そこからスタートすると、いろんな物事が見えてくるのは、やっぱり診察室でも、人間の身体とほとんどの自動操縦で動かされているってご存じですかって聞くと、え?っていう風に聞かれる方がいるんですけれども、やっぱりお話ししたらご理解いただけるんですけれど、心臓も自分で動かしているわけではないし、髪の毛も自分で伸ばしているわけではないし、身体の中で凄い色々な機能が、本当に無限の機能が働いて動いてくれているので。今、心臓が止まっちゃったら、5分以上生きられないので。自分自身は生きているっていうよりは、生かされているって事をまず聞いて理解していくと、自分達はっていうのがわかってくるので。そうすると、自分のあり方というか生き方というのが見えてくるのかなというのが、この映画からも感じましたし、そういった目標を立てて達成していくっていうのを、永遠に繰り返すというのが凄く浅はかな生き方であるなと昨日感じましたので、今日はシェアさせて頂きました。今日は、以上です。

相武台脳神経外科
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