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第39代 WBC世界フライ級チャンピオン五十嵐俊幸選手インタビュー第1回

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《 加 》 こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今回は、ボクシングのフライ級元世界チャンピオン、五十嵐俊幸選手をお招きして、お話を伺います。ボクシングの選手のトレーニングは、一般の僕らからすると、凄く極限状態のトレーニングが多いので。非常に、健康を考える上でも、参考になるお話しが聞けると思います。ぜひ、お楽しみ下さい。宜しくお願い致します。

 よろしくお願いします。僕自身、ボクシングの事についてほとんど分からないのですけれど、若干ちょっと、五十嵐選手の事を紹介されて色々とお話を伺っていく中で、他のボクサーと違う点というのを感じていて、そういった部分を今日は伺わせて頂けたらと思っているのですけれど。

 そもそもボクシングと、いつ知り合ったというか。やろうかなと思ったきっかけみたいなのは何ですか。

《 五 》 そうですね、ボクシングを始めたのが、高校の部活で始めたのですけれども。僕は、秋田県の由利本荘市出身で、家から一番近い学校に入りたいという事で、西目高校という学校だったのですけれど。そこに入学して、最初は、ボクシングをする為にその学校に入った訳では無くて。特にあてもなく、とりあえず近いから、この学校に行きたいという理由だったのですよ。

《 加 》 秋田の中では、有名なのですか?ボクシングは。

《 五 》 ボクシングというのはですね、全国的に、ボクシング部を開設している学校があまり無くて。秋田県内でも当時は、西目高校を含めて5高しか無くて。やはり限りなく少ない。それでも、他の県に比べたら多いくらいの数なのですけれども。そういった事で、西目高校に入って、たまたまボクシング部があって。

 最初は、4月に入学をして、ボクシング部に入ったのが6月なのですけれど。その間は、帰宅部で特にやる事もなく、学校が終わったら家に帰って友達と遊びに行ったりという日々を過ごしていたのですけれど。それを見かねた親が、何でも良いから部活をやりなさいという事で。部活というものを意識したのですけれど。

 部活って言うとまず、野球部、サッカーがでてくるのですけれど。野球部というのはやはり、どこでもそうだと思うのですけれど、基本、頭が坊主頭。それが僕ちょっと抵抗があって。野球部は無いなという消去法から入っていって。じゃあ、今度はサッカー部はどうだろうといって、基本的に僕は運動がダメで。サッカーもやった事が無かったのですよ。でも、西目高校のサッカー部って、インターハイとかお正月の選手権とかに出るような。

《 加 》 結構、本気の所だった。

《 五 》 本気の名門だったのですよ。高校から初めて、ちょっとその枠の中ではやっていけないだろうという事で、サッカー部を配慮して。で、うちの学校はバスケット部が無かったので。

《 加 》 秋田っていうと、結構バスケットって有名ですよね。

《 五 》 能代工業が有名ですけれど、僕の高校にはバスケ部が無くてですね。それで、休み時間とかに中学校からの友達とかと、部活やれって言われたのだけど、どうしようかなって話をしていたら、たまたま1年生の時に同じクラスにボクシング部の子がいて、じゃあ、ボクシングやってみる?みたいな軽いノリで誘われて。そういえば、兄貴の友達もボクシングやっていたなというのを思い出して、ちょっとやってみようかなというノリで。本当に軽い。

《 加 》 何かチームプレーと個人プレーで違いというか、ご自身でチームプレーやってみたいなとか、個人プレーやってみたいなとかはあったのですか?

《 五 》 小学校で野球をやって、中学校でバスケットをやっていたのですよ。まぁ、団体競技。で、高校でボクシングの個人に転向したのですけれども。そのボクシングというものに、のめり込んだ理由のうちの一つが、練習をやればやった分だけ成果が出る。出やすい。

 団体競技だと、自分一人が頑張っても、なかなか成果って出ないじゃないですか。でも、個人の場合は、自分が頑張れば頑張った分の成果がすぐに出て、それを実感出来たので。それがまた、さらに上の段階へという意欲を駆り立ててくれたかなと思っています。

《 加 》  それはやっていく中で、段々段々と。最初はそんな事は考えていなかったけれどって事?

《 五 》 最初は、単純に面白いなという風にやっていたのですけれど。

《 加 》  消去法で。

《 五 》 はい。入部して5日目くらいで、同級生の子とスパーリングさせられたのですよ。そうしたら、初めてなのでやはり、勝手が分からないから凄いボコボコにされて。

《 加 》  何をやって良いのか分からないですよね。5日目ですよね?

《 五 》 どうすれば、どうやってって。普通は、スパーリングするまで2、3ヵ月くらいは基本練習をやるのですけれど。どういう訳か、5日目くらいでやらされちゃって。

《 加 》  凄いなぁ。

《 五 》 当然の如く、同級生に凄くボコボコにされた訳ですね。で。悔しくて色々と考えながらその日の練習をやって。次の日に、もう一度同じやつをやらせてくれって言って。

《 加 》  次の日ですか?凄いですね。

《 五 》 次の日です。それで、ちょっと一晩考えて自分なりに思った事を次の日に実践してみたら、それだけで、昨日ボコボコにされた相手を、次の日はボコボコにやり返した。それだけその、手応えというか、成果を感じられたというのが、凄い面白かったというのが。

《 加 》  一日で?

《 五 》 一日で一つの壁を超えましたね。

《 加 》  凄いですね。どういう所から変えられたのですか?

《 五 》 もう15年程前の話になってしまうので、ちょっとこまかい事はわからないのですけれど。やはり初めてやった時にどうしても、打たれるという事が怖かったのですけれど。一回打たれてみて、打たれるとどういう痛みがあってどういう衝撃があるというのを、自分の頭の中に、インプットというかそういう印象がある事に分かれば、次の日には、怖さという恐怖心が無かったので。やられる前にやってやろうくらいの勢いで、気持ちの切り替え位でしたね、はっきり言うとたぶん。それだけで、昨日やられた相手を一瞬でできたという。

《 加 》  凄いですね。やはり分からない時って、恐いというのがありますよね。

《 五 》 そうですよね、やはりボクシングに限らず何でもそうだと思うのですけれど、初めてやる事に対して、人間が100パーセントの力を出すというのは、凄く難しい事だと思うので。

《 加 》  全てでそうですよね。

《 五 》 出せる奴もいるのだろうけれど、それはやはり相当大変な事だと思います。

 《 加 》 いや、というか一日でそれだけ上達してきたというだけでも、凄いですけれどね。

《 五 》 やはり負けず嫌いだったので。

《 加 》 基本は、やはり負けず嫌いな所があった?

《 五 》 負けず嫌いだったので。ましてや、同級生だったので。同級生に負けたくないなという。

《 加 》 ちなみに、何か体重差とかってあったのですか?

《 五 》 それは一応、同じくらいの体重の子とやっていたので。体重差は無かったのですけれど、その子は4月から初めていて、2ヵ月くらいキャリアがある訳じゃないですか。僕は5日目なので、それは、最初にやられて当然っちゃ当然なのですけれどね。

《 加 》 最初の段階で、2ヵ月と5日間目って大きいですよね。

《 五 》 普通はやらせないですよね。

《 加 》 危険ですよね。

《 五 》 危ないというのもあるのですけれど、でも、当時のその監督は今でも付き合いがあるのですけれど。良く昔の話を聞いていると、あの時の僕は、やらせても大丈夫なレベルまで五日目ですでにいっていたからやらせたのだとは言うのですけれど。まぁ、あまり宜しくはないなという。

《 加 》 会った瞬間に見えちゃったんじゃないですか。才能というかコーチには。

《 五 》 先生はそうは言いますけれどね。今でも、西目高校のボクシング部の監督をやっている、佐々木学先生なのですけれど。

《 加 》 その先生の下で5日目、段々ちょっと手応えを感じられて、やっていかれたという事で。やり始めてからこう、何かまた壁だなとかやりたくないなとか思われた事はあるのですか?

《 五 》 単純に言えば疲れがあったり、気持ちが乗らないで。あぁ、今日の練習は嫌だなと思う事は、それは誰しもがある事だと思うのですけれど。もう15年、16年目になるのですけれど、本気でもうボクシングをやりたくない、辞めたいなと思った事は一度も無いですね。

 やはりやっていて楽しいし、高校で3年間、大学で4年間、プロで8年、9年目になるのですけれど。プロになってから、それが生活の糧になっているので、やらなければいけない仕事として捉えているから。そういう意味では、今は単純にやりたく無くなったから辞めるというのもダメだし。そんな事も、当然思わないですね。逆にボクシングのおかげで、今ここまで来ているというので、この競技に関しては凄く感謝しているし、出会えた事にも感謝していますね。

《 加 》 最初の段階で結構、どんどん楽しくはなっていたのですね。やっていく段階で。

《 五 》 最初は本当に、楽しかっただけですね。学校の部活というので始めていたので。学校にいて、学校が終わったら練習をしての繰り返しでやっていたのですけれど。何月になったら大会があってという、目の前の目標を一つずつクリアしていったのですけれど。ボクシングを始めた時は最初、高校でボクシングを初めてその先、今は世界チャンピオンという地位までは来たのですけれども。最初は、そこまでは通じる道だとは思っていなくて。

《 加 》 そうですよね。普通は。

《 五 》 高校で部活を初めて、その先に何があるというのは、やはり当時は想像出来なくて。とりあえず、何月に県大会があってとかそのレベルだったので。

《 加 》 僕の中で、ボクシングの事をほとんどしらないのですけれど、例えばその、漫画の「はじめの一歩」だとか。他の映画とかを観ていてですね。やはり最初の動機が、強くなりたいとか。はじめの一歩だったら、いじめられ見返してやりたいとか。喧嘩をずっとしていて、強くなりたいとか。そういう流れで来ている人がいるのですけれども。そういう何かこう、反動的な物を五十嵐選手から全然感じなくて。結構、本当にこうボクシングをスポーツとして、楽しんでいるのだなぁという感じが、一ファンとして単純に感じるのですけれども。そこら辺なのですかね?

《 五 》 そうですね。僕はやはり、始めた理由というのは成り行きという部分もあるし、何だろうな。僕、喧嘩って事をしたことが無いので、良くボクシングをやっているから喧嘩とか、相当昔やっていたでしょうとか言われるのですけれど。いや、僕喧嘩をした事が無いのですよと。僕、グローブ付けて人を殴ってはいますけれど、素手で人を殴った事は無いので。

 

 周りにはやはり沢山いるのですよね。昔からボクシングをやりたくて、高校ではボクシング部に入ったとか。中学校までは空手をやっていてとか。どこどこの中学校で、喧嘩が強くて有名だったというのはやはり、後輩とかで入ってくる奴はいるのですけれども。でも、そういうのが入ってきてもやはり、ボクシングと喧嘩、ボクシングと空手は違う。やはり、皆そういう壁に当たって脱落していくのがほとんどでした。単純に好きでボクシングをやっている自分と、同じ様にやっている人間が残っていたという感じでしたね。

《 加 》 そうなのですか。残っている人はやはり、楽しさを感じて。楽しさを実感して、それでずっとやっている人が多いという事でしょうか。

《 五 》 多分そうだと思います。僕の時も同級生が、最初は9人いたのですけれど。最終的に卒業の時には、僕を含めて3人しかいなかったので。

《 加 》 楽しさの深みを感じて?

《 五 》 楽しんでやっていたのかは分からないですけれども。でも、やはりそれなりに彼ら同級生二人も、高校で全国3位とか。入賞までいっているので。ちゃんと成績を残して。

《 加 》 そうなのですね。同級生の皆さん、凄く成績をそれぞれ残されているのですね。

《 五 》 そうですね、はい。やはりあれだけやったので。あれだけやって、僕が高校3年生の時に、インターハイ優勝したのですよ。そうしたら他の二人も、あいつが優勝して負けられないみたいな感じで、練習を凄く頑張っていましたね。

《 加 》 ある分、なかなかやはりこう楽しいなと思えても、現実的には楽しくないなと思ってしまう。やっていく中で、思える部分もあると思うのですけれども。それをある程度凄く、客観的にお話を聞かせて頂いた中で、ガイドして下さったのは佐々木先生ではないのかなと思うのですけれども。佐々木先生の指導方法って、何か特徴的な所ってあったのですか?

《 五 》 佐々木先生はそうですね、昔は、僕が高校に入ってボクシングを始める前までは、ほんとうに昔の鬼軍曹と言われるような、凄くスパルタな指導方針だったと思うのですけれど。僕が入ったくらいの頃から凄く、優しいと言ったらちょっと違うのかもしれないのですけれど。その選手の気持ちとかを考えてくれる指導法というのですかね。

 やはり、ボクシングが好きで練習を一生懸命にやっていたけれど、時には今日は気持ちが、モチベーションが上がらないなっていう日も、やはりあるじゃないですか。そういう日はメニューを変えて、皆でちょっレクレーション的にサッカーをやったりだとか。サッカーで、ボクシングの練習からは離れているけれど、体力は維持するみたいな。そういう練習方針で、練習時間とかも特に、何時から何時までやるという、拘束されている様な感じは無くて。自分達、選手は人数は少なかったですけれど、本当に伸び伸びとやらせて貰ったなという。

 あと、怒らないですね。例えば、小学校、中学校、高校の部活の先生って良く、野球とかサッカーとか凄く監督が激怒しているイメージがあるのですけれど。うちの佐々木先生は、怒った所を見た事が無かったですね。

《 加 》 その五十嵐選手が入る前は、鬼軍曹と呼ばれていたのですか?

《 五 》 そう呼ばれていたので、厳しいスパルタだったらしいのですけれど、僕の時は全然違くて。そうやっても選手が伸びないというのを、悟ったのか分からないですけれど。

《 加 》 模索されている中で、そういう指導法に行きつかれた。

《 五 》 自分もだから、たまに実家に帰って、高校生を指導したりする立場になってきて。今度、現役選手を終えて指導者になるかと思うのですけれど。その時に、指導するにあたって、怒るという感情は必要なのかと思うのですよね。

 色々な人と話をしていて、怒って選手を怒鳴りつけて、ああだこうだって言わなきゃ分からないという論もあるとは思うのですけれど。そもそも、じゃあなぜ怒るのだろう。言っても出来ないから怒るのでは無くて、それを教える事が出来ないから怒ってごまかしているというか。

《 加 》 そうですよね。

《 五 》 そういう風な、そういう感情的になって教えるから、選手がイメージできないというか言われている事を。もっと同じ目線で、これはこうだよという具体的な例を上げて教えてあげる事によって、イメージが出来て体得が出来るのではないかなと思います。

 僕の小学校と中学校の、野球部とバスケットボール部の監督は、凄いやはり良く怒っている様な先生だったので。自分が今、指導者になりうる立場になって思うと、あの先生達は一流の指導者では無かったのかなっていう結論に行きついてしまう。別にその先生が嫌いでは無いのですけれど、昔お世話になったので感謝しているのですけれど。自分がその立場に立った時に、なぜそうするのだろうと考えたら、一流では無かったのだなという結論に行きついてしまうのですよね。残念ながら。

 身体能力を測るテストみたいなのをやった時に、信じられないくらい低い数字がでて。良くボクシングをやっているねと言われて。ボクシングを始める時に、親にもやはりお前がボクシングを出来るわけは無いだろうと。 

相武台脳神経外科
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