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「究極のイメージトレーニング」第39代WBC世界フライ級王者 五十嵐俊幸選手インタビュー第3回

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《 加 》 こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今回は、ボクシングのフライ級元世界チャンピオン、五十嵐俊幸選手をお招きして、お話を伺います。

《 加 》  気持ちをこう強くする、何かトレーニングというか。ご自身の中でそういう練習法というのはあったのですか?

《 五 》  まぁでも、一番大きかったのが経験だったので、試合数もあったのですけれど。後は、一時期から取り入れる様にしたのは、イメージトレーニング。そんなに難しい物では無いですけれど、試合当日の控室で、どういうラウンドアップをして、リングに上がってお客さんがどのくらいいるのかなとか。遠くを見たりとか。で、試合が始まってからのパターンを、 2つ自分の中にイメージを作るのですよね。一番良いイメージと一番悪いイメージを2つ持っておくのですよ。

 始まってすぐに良いパンチを入れて、凄いチャンスが訪れた時にも、焦らずに仕留められるように、その場をイメージしておくのと逆のパターンもですよね。一発良いのを貰って倒されて、やばいもうKO負け寸前だという時にも、冷静に対処が出来るように、倒れたらどういう目線でどういう風にセコンドの指示が聞こえてとか。そういうのをイメージしておくだけで、当然、緊張もしないし。何か落ち着きますよね。

 デジャブってあるじゃないですか?いざそうなった時に、俺はこの映像をイメージして作ってきたから、見た事があるから大丈夫だ。こういう時はどうするのだっけとか。凄く冷静に行動出来る様になるので。ザッとでも、イメージトレーニングをする事によって、緊張感が無くなって、試合運びとかに凄く影響してくるなという。

《 加 》  今、凄く勉強になりましたけれど。何かイメージトレーニングって、スポーツの選手とかある人に相撲とかで負けたら、その人に負けたイメージを忘れに忘れて、良いイメージだけで土俵に上がったみたいな事を言っていて。イメージトレーニングってこう、良いイメージをして上がっていくという事しか僕は指示が無かったのですけれども。悪いイメージをわざと作って、そして良いイメージも作って。

《 五 》  物事ってそうじゃないですか。良い方向にしか進まないわけないじゃないですか。絶対悪い方向にしか進まないあるじゃないですか。悪い時にどうするかの方がはっきり言って重要なわけであって。

 他の物事はどうなのか分からないですけれど、ボクシングに関しては、良い方向に進んでも、そこでちょっと失敗して仕留められなくても、また次チャンスが来るかもしれないじゃないですか。ボクシングで、悪い方向として1ラウンドで倒されて、そこでバタついて仕留められてしまったら、もう次は無いですよ。大事なのは、悪い方のイメージをどれだけ具体化出来るのか。

《 加 》  それってボクサーの中では、結構、一般的な事なのですか?

《 五 》  いや、あまりやっていないと思います。

《 加 》  言ってしまって良いのですか?

《 五 》  いや、これは全然はい。逆にそれをね、皆で共感してもらえれば。良くジムの後輩が、ウォーミングアップする時に凄くガチガチに緊張している時に、凄くこの話をしますね。良いイメージと悪いイメージを二つ作れと。それで良く選手が試合終わってから、ありがとうございましたと言ってくれるの事が多々あるので。我ながら凄く良いアドバイスをしているのではないかなと思って。

《 加 》  凄いですね。やはり、何か恐い事やチャレンジがある時に、今まで僕自身は良いイメージをしか持ってはいけないのだと思っていたのですけれど。やはりその悪いのを想定して、そういう悪い状況になった時に、どういう風にこうリカバリーをしたり、上手くやっていくかというイメージがもし出来ていれば、自分を取り乱さないですね。

《 五 》  そうなのですよね。その悪い時は悪い時なりにという。スパーリングとかでも、まぁ調子が悪くて、今日のスパーリングの内容はいまいちな内容だななんて、やりながら思っている時にも、だからと言ってそれを全部ひっくり返せる様な状態に持っていこうなんてほぼ無理なのですよね。だから、悪い時は悪い時なりにやろうという心持をする様になりましたね。

《 加 》  ボクサーって結構、試合が出来る回数が限られているじゃないですか?年間で。その日がご自身の一番良い時にくるかどうかって、来るようにはされていると思うのですけれど。分からないですよね。だからその、そういう面ではやはり、悪いなりに良い方向に行こうという事で。

《 五 》  まぁ、そうですね。やはり、ベストに持っていきたいけれど、必ずそういう風になるとは限らないわけじゃないですか。体のバイオリズムとか色々あるわけで、気持ちがそっちに持っていっても体がそうでは無いという事も多々あると思うので。そういう意味ではやはり、その時に、僕の座右の銘じゃないですけれど、出来る事を出来る期間に、出来る限り。という言葉があるのですけれど。出来な事をやろうとしたって、無理なのですよ。出来る事を出来る限りやるしかないのですよね。

《 加 》  出来る事を出来る期間に、出来る限り。ありがとうございます。

《 五 》  どう考えたって、自分のキャパを超える事って出来ないじゃないですか。その時その時で。

《 加 》  出来ないものは出来ないですものね。

《 五 》  出来ないです。だから、出来る事をやって、それで、また次頑張りますで良いのではないのかという。

《 加 》  凄いですね。一戦一戦真剣勝負をされていく中で、そういった凄い座右の銘とかを勉強されていって。最初、清水選手に一回負けてしまって、その時って、ご自身の中で負けられた後って、あ、自分ってこんなものかなとか。もっと全然行けるのにとか、どういう気持ちだったのですか?負けられた後って。

《 五 》  負けた事に関しては、凄く率直に悔しかったのですけれど。辞めようとも思わなかったし、まだまだ行けるなという。当時は、世界チャンピオンを目指していたので。負けたけれど、まだ年齢も若かったし。俺はまだ行けるという、特にへこむといのは無い。まだまだこれからだぞという、気持ちは前を向いていましたね。

《 加 》  それってやはり、どんどんどんどん自分がこう上手くなるという実感がある。上手くというか強くなる実感がある中で組まれている。

《 五 》  いや、でも気持ちはそうはあったのですけれど。やはり当時の事を振り返ると、やはり練習の中でちょっと上手くいかない時期だったのですよそこが。そのもやもやした時期があって、もっと上に行けると思っているのだけれど。最近何か上手くいかないなと思っている時期で、そこから、あれが2008年の年末で、それから数か月後に再起戦をしたのですけれど。試合には勝ったのですがやはりスランプというか、いまいちパッとしない内容で。

 これじゃいかんという事で、ジムの会長にお願いをして、1ヵ月くらいラスベガスに合宿に行って、そこで向こうの選手とかとスパーリングをする中で、一つ壁を超えたというかコツを掴んで。で、帰ってきて、冬くらいに再起2戦目やった時に、周りからの評価が一変しましたね。五十嵐変わったなと言われる様になりました。

《 加 》  壁にぶつかった時って、そこでもがくだけでは無くて、やはり違う所に入り口を求められて。

《 五 》  やはりそうなのですよね、はい。真っすぐ中央突破だけでは出来ない。何かきっかけが欲しいですよね。

《 加 》  アプローチを色々と変えられて。その中で、やはりアメリカで一回合宿してみようかと。凄いですね。で、やはり全然違う世界の人たちと触れ合う中で。アメリカの選手って、フライ級の選手とかって多いのですか?結構、大きいですよね。

《 五 》  いや、少ないですね。向こうはやはり重量級がメインなので、僕はフライ級くらいをやっているのですけれど。51~52キロくらいのをやっているのですけれど。あまりいないのですよね、やはり。特にラスベガスなんて、本当に重量級、ウェルター級以上の選手がいっぱいいるので。軽量級の選手とスパーリングをしたくても、あまりいないので。途中から、サンフランシスコの方から呼んでもらったりして。やはり、1ヵ月間アメリカでボクシングだけの生活だったのですよ。やはりあれは良かったなと思います。

《 加 》  向こうの人たちの考え方とか、ボクシングに対する姿勢とか。

《 五 》  そうですね。英語なんて全然話せないのですけれど。簡単な単語とジェスチャーで、街中での普段の生活も出来るし。トレーナーもアメリカ人なので、英語で話してくるので、言葉で何を話しているかはわからないけれど。シチュエーション的に、あれをこうしろと言っているのは自然と分かりました。言葉では無くて、たぶんここでボディーを打って左を返して回れとか。大体分かるのですよね。それは凄く面白かったですよね。あ、言葉じゃ無いのだなという。

《 加 》  そこもそうですね、それだけキャリアが長いと段々と分かってくる事もあるのでしょうね。じゃ、そこから日本に戻られて、試合を重ねられて、そこから世界チャンピオンへの階段を上がられていくのですけれど。その中では、順調にもう世界チャンピオンまで行けたという感じですか?

《 五 》  ザッと振り返ると確かに、日本チャンピオンになって日本タイトル防衛をして、世界タイトル挑戦者決定戦も勝って。で、世界タイトル初挑戦で獲得という、順風満帆な流れなのですけれど、やはりその中でも色々と大変な事というのはあって。特に、初防衛から行くと、初防衛戦の相手も、相手を誹謗中傷するわけでは無いのですけれど、正直ちょっとボクサーとしては、クリーンな闘い方では無い選手だったので。

《 加 》  初防衛って日本?世界の方の初防衛ですか?

《 五 》  日本タイトルの方ですね。お互いにカットが酷くなって、8ラウンドくらいの負傷判定で、ポイントが結構競っていてギリギリの防衛線で。正直、あの試合では、防衛はしたのですけれど正直、得るものが無かった一戦かなと自分の中で位置づけているのですけれど。

 その次に、日本タイトルを返上して、WBC世界タイトル挑戦者決定戦というものに望んで。当時、世界1位のメキシコ人選手と試合をして。勝って、世界ランキング1位という所まで上がったのですけれど。そこからまた、世界挑戦者決定戦をやったのが11月だったのですけれど、すんなり出来るものかなと思ったら、色々とやはりボクシングってビジネスが絡んでいるものがあるので、なかなか試合をするにもやはり、段取りが必要なもので。

 11月に挑戦者決定戦をやって挑戦券を手にしたのは良いのですけれど、いざ世界戦が出来たのは、次の年の7月だったので。その間凄い、ブランクというか。8ヵ月ですかね、一選手としての試合感覚が8ヵ月空くというのは、凄く長い期間だったので。その間の練習もそうだったし。その間で凄い、体重が増えてしまって。

 その当時から、今流行ってるコアトレ?フィジカルトレーニングというのですか。あれをやり始めた事によって、体重が凄く増えてしまって。日本チャンピオンになった時に確か、58キロくらいだった体重が、7月の世界戦の時に、64~65キロくらいまで増えてしまって。

《 加 》  それは、脂肪じゃなくて筋肉ですよね?

《 五 》  単純に筋肉がついて、やはり脂肪ものって増えたというのもあるのですけれど。本当に、周りの人から、お前フライ級かと言われるくらいでかくなってしまって。その7月の試合に向けて、減量を14キロくらいやったのですけれど、あれは壮絶でしたね。

《 加 》  それは、何か月で14キロ減ですか?

《 五 》  たぶん、2ヵ月くらいかけたんじゃないですかね。本当に、これはちょっと落ちるかわからないぞというくらい増えてしまったので。本当に2ヵ月くらいかけて落としたのですが、それももうギリギリで、減量をクリアしたのですけれど。本当にだから、ガーッと大きくなっていた体がギュッとなってしまって。たぶんウエストなんて本当に60前半なんじゃないかっていう。

《 加 》  それで、力って出るのですか?

《 五 》  正直、ボクシングって前日に計量するじゃないですか。それまでは本当にもう、スッカスカで。本当に押したら倒れるんじゃないかというくらい、ふらふらになってしまいますね。

《 加 》  ふらふらの中でも練習をして?

《 五 》  はい、やります。危なかったです、ギリギリだったので。で、当然、脱水症状にもなっているし。だた、前日に計量をして、試合が次の日の夜なので、その間で食事は取れるので。そこで、食事を取って、体力を回復させるのですけれど。

《 加 》  回復するのですか?

《 五 》  そこが、僕の強さの秘密で。普通の人は、たぶん5キロ位減量して、試合当日に2、3キロ戻っているのですよ。僕はその時、14キロ減量して、試合当日は7キロちょっと戻っていたので。

《 加 》  7キロですか?

《 五 》  7キロ戻っていたのですけれど。ただ戻っても、体力になっていなければ意味が無いわけじゃないですか。普通の人はたぶん、ならないのですよほとんどが。体が重くなってしまって動けない、逆に動けない。

《 加 》  7動けないですよね。そんなに急に7キロも食べて。

《 五 》  でも、僕はそれで動けていたのですよね。

《 加 》  7キロって、7キロ以上食べたって事ですよね。1日で。

《 五 》  まぁ、そうですね。7キロ以上、水とか総重量を含めたら、たぶん10キロくらいは飲み食いしているので。自然代謝でやはり3キロくらい落ちてしまっているので、それでその、ギリギリまで落として、計量を終えて一晩で体力を戻せるというのが僕の強さだったのですよね。

《 加 》  それは漫画の世界ですね。凄いですね。

《 五 》  良く持って生まれた才能ってあるじゃないですか。僕は運動神経は無かったのですけれど、体の強さがあったのですよね。内臓とか胃袋とか代謝が良いって事は、代謝が良いから減量も出来るし。減量をしても内臓が強いから、その直後に食事もドカッと。14キロ減量をして計量が終わって、すぐにステーキとか食べられるのですよ。普通の人は、もういいと。

《 加 》  脂っこいものいいという感じですよね。

《 五 》  その時、計量が終わってすぐに、うどん食べてステーキ食べてというのが出来てしまう体だった。それが僕の強さだったのですよね。確かに、パンチ力もそんなにないし、身体能力も高くは無いのですけれど。キツイ減量をして、でも、一晩飯食って寝たら、次の日は元通りという。

《 加 》  それだけキツイ減量をされている中で、ボクシングのそのジムの中で、安全性で気を付けられている事ってあるのですか?

《 五 》  理想を言えばやはり、水分を取って。この今の暑い時期だったり、練習している時もそうなのですけれど水分を取って、塩分とかスポーツドリンクとかを飲みながらやるのが理想なのですけれど。14キロの減量をするってなると、正直すべてが度外視されますね。水を飲まない。飲めないというか飲まない。食事も取れない。だから、ちょっと非人道的というか。

 自分でそこまでになってしまったからというか、自分で気があるからやっているけれど、これ他の人には強要できないなという。仮に自分が指導者になって、お前その階級でやれよと言って。いやでも僕、60何キロあります。それはちょっと辞めといた方が良いなってなります。本人がやると言っても、いや~って言う。そのくらいのきつさでしたね。

《 加 》  何か、ここくらいまで言ったら危険だよというのはあるのですか?自分の中で。とりあえず、経験というか。

《 五 》  僕はなった事が無いのですけれど、良くよそのジムでは、練習中に貧血というか脱水か何かで倒れてしまって、試合もキャンセルしたという選手はたまに聞きますね。僕もその一歩手前まで行ったことはある。

《 加 》  その一歩手前のさじ加減が難しいですよね。

《 五 》  本当に、練習の時に立ち眩みがして、前が真っ白になってしまって壁に寄りかかってよいうのは、多々ありますね。

《 加 》  それで、1日で7キロ増えてエネルギーが満タンでできるって凄いですよね。

《 五 》  こればかりはもう、体の強さが僕の武器だったなと思っていますね。

《 加 》  それでもう、その8ヵ月やって、一番キツイ減量の時に、最初の世界チャレンジだったのですか?

《 五 》  そうですね。やはり、ブランクが空いた事によって減量もきつくなったというのもあったし。その後、初防衛と2回目の防衛とフライ級でやったのですけれど。やはりその時の減量も、同じ様にきつかったですね。やはり10キロ~12キロくらいやったのかな確か。

《 加 》  やはり世界チャンピオンというのは、結構強かったのですか?強かったというか、今までとは違う相手というか。

《 五 》  自分の中ではカウンターを、後から打っているつもりなのだけれど。ビデオで見ると、僕の方が先に打っているのですよね。

相武台脳神経外科
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