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無農薬、無肥料で育てた作物の生命力が強いという盲点。河名秀郎さんインタビュー第1回

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《 加 》   こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今までチャンネルSで僕達は、体について何かのメッセージが発信できればという事で、様々な方にインタビューという形で、皆さんに映像をご提供させて頂いたのですけれども。健康を考える上で食というのは、僕自身凄く大切な物と考えていまして、これからも食に対してはかなりフォーカスしていきたいと思っております。

 その中で、30年前から食や野菜、農業に対して、本質的な農業とは何かというのを提案され続けてこられた、ナチュラルハーモニーという会社の社長さんの、河名秀郎さんという方に、今回はインタビューをさせて頂きます。非常に興味深いお話を頂けると思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

宜しくお願いします。

《 河 》   宜しくお願いします。

《 加 》   河名さんは、今まで野菜の栽培の大修理といいますか、皆で広めて来られたのが30年前くらいからですよね。広めてこられたのですけれども、まず、育っていかない中で、食に対して興味を持ったきっかけとかって何かあるのですか?

《 河 》   実は僕が16歳の時に、4つ上の姉が骨肉腫で亡くなったのですよ。その時の闘病生活というのですか、それがやはり相当厳しい物があって。横目で見ていて、こんなにまでの苦しみを味わなければいけない人生っていかがなものなのかと。

 家庭では、姉を救うのだという事であらゆる治療に手を出したり、もちろん科学治療も含め東洋医療も含め、様々な事にチャレンジしたのですけれど。残念ながら救う事は出来なかったと。で、その姿を見て、もし自分がそういう立場だったら、どうなのだろうと。まぁ、16歳ながら考えるようになりましてね。

 もし、自分の選択やチョイスで生き方が変わるならば、変えられるものなら変えたいし。その時、痛切に思ったのが、死ぬ時にこういう苦しい死に方は嫌だと。で、出来れば、大往生したい。なので、16、7歳の僕の頭の中で、いつしか死の事を考える様になっていて。で、大往生プランというのを自分の中で、練りだしていた頃なのですよね。

 ただ、そういうやみくもなね、プランですから。それをどうしたらそう出来るのかなんて事を、自分の中で色々とまさぐりながら。気が付いてみたら食という所に行きあたって。で、ようは、食事が体を作るみたいなコンセプトというのに、凄く共鳴が出来て。じゃ、いったい僕は今、どんな食事を摂っているのかという事で、実態を調べ出していったのですね。

《 加 》   現実に、その時に食べられていた食事みたいな。

《 河 》   そうしたら、最初は加工品みたいな所から始まったのですけれど。食品添加物という物が入っていて。例えば、オレンジジュースでも、オレンジを一個も使っていなくて出来ているジュース。ようは科学的に出来ている物。

《 加 》   匂いだけというか。

《 河 》   色と香りと味というものが、合成で作られている世界とか。あまりそこに興味が無かった過去ですから、ちょっとびっくりして。

《 加 》   それが、高校生の時ですか?

《 河 》   高校終わり頃かな。

《 加 》   凄いですね。

《 河 》   自分の中で、食べている物がかなり科学的なものであるという事がわかってきたし。そしてその原料と、加工食品となる原料と食材を探してみた時に、見てみた時に、その農薬の実態も分かったし。こんなに薬を使わないと、彼らは生きていけないのかという事を知った時に、人間と野菜の関係がダブって見えてしまったのですよ。

《 加 》   人間も化学物質を使わなければいけないし。

《 河 》   それでやはり、薬を飲み。農薬に代わるような様々な服用をし、何とか生きているみたいな。

《 加 》   野菜も色々と農薬され肥料をされ、育っているみたいな。

《 河 》   そだから本当にその、人間と野菜というのはそもそも、全然違うポジションだと思うけれど、命の仕組みというのが何か似てるんじゃないかなと思うようになって。さらにこう追求していくと、例えば、30回農薬を使わなければ出来ないキャベツが一方であり。一方では、1回も使わなくても出来ているキャベツもあったのですよ。

《 加 》   当時ですか?

《 河 》   そうですね。それが例えば今言う、有機野菜のジャンルだったり自然栽培のジャンルだと思うのですけれども、この違いは何という。なぜ彼らは、薬を一滴も使わないで、虫や病原菌に犯される事無く、最後まで命を遂げられたのか。いわゆる、病気にならなかった結果ですよね。

 一方で、種子の状態から消毒され、もう本当にその様というのは、種を撒いても発芽さえ出来ないという現実を知ったのですよ。薬を使わなければ。という事はこれ、命のボリュームから考えると、かなり希薄な弱弱しい世界だなと。

 それを、人間が色々と知恵でそれを救っていく姿。それは、本来の命というものはどんどんどんどん小さくなっていき、人間がサポートした分、何とか生き長らえているその実態に、なんか偽物の健康というのかな。そういったものを垣間見て。これは、食材を今は提供するお仕事をさせて貰っていますけれど。それを食べるという、売るという以前に、この仕組み。自然界にもきっと、私たちがまだまだ知りえていない世界があって、そこから学べる事は沢山あるだろうという風に考えるにいたったわけなのですよ。

《 加 》   凄いですね。

《 河 》   ただその、やはり大大ヒントになったのは、自然栽培という世界があった事。この自然栽培の世界というのは、そもそも根底から農学とは逆の発想で。有機農業というのはどちらかというと、農学上の延長上に存在していたので。同じカテゴリーの中にある様に見えたのですけれども、次第にこれがまったく違うのだなと。概念が。

 やはり、有機栽培の世界というのは、有機肥料というのをやはり使いますよね。その肥料を使って農産物を育てるという価値観が、これが基本形だと思うのですよ。なので、言い換えれば、化学肥料を使わない代わりに、自然の肥料を使いますという形なのです。

  ところが、この自然栽培の世界というのは、対化学とか有機とか自然の肥料とかいう、そういう全てを使うべきではないと。で、その人間が供給した肥料になるものが、実は自然界においてはとても異物になる物で。その異物なものが、確かに成長には役に立つのですが、自然界のバランスは崩してしまうと。その崩れを調節する為に、虫や病原菌が存在する節があるというのです。

《 加 》   全然違う発想ですね。

《 河 》   まったく違うのですよね。

《 加 》   元々、そっちの生命力を活性化させる方に行けば、もっと凄いものが作れるという。

《 河 》   そうですよね。一言で言えば。

《 加 》   全然、使おうとも思わないというか。

《 河 》   使ったら損だという。

《 加 》   なぜそんなのがあるのといった感じですね。そこを見ている方にとっては。

《 河 》   そうですね。

《 加 》   それは、人類で農業が始まった以来、気付いてこなかったのですか?

《 河 》   たぶん、初めての概念だったと思うのですが。ただ、歴史は結構古くて、昭和の10年くらいに発表されているのですね。だから、僕が最初に出会った時の本も、昭和20年代くらいの古い書物だったのですけれども。その本に出会った時に、まったく常識というか自分が習ってきた事と逆だったので、凄くショックでもあり本当か?と、当然思ったのですけれども。

 その論文の中に、薬を使わなくても本来生き物は、すくすく生きる事が出来るのだと。大自然のその自然界のね、木や草を見れば、それが物語っているのだと。誰がそこに肥料を与え、誰がそこに薬を撒いたのか。誰も撒いた事が無いじゃないかと。でも、毎年、駆逐されずに種は落ち、循環しながら植物の進化を進めてきた道が現にあるじゃないかと。そこから、なざ見習わないのかといった価値観で。

 それと同時にね、その論文は人体の事にも及んでいて、そのルールは人にも当てはまるのだと。だから人も、自然に順応していれば病気というものは起きないのだと。だから、ようは病気という事自体、あとは症状そのものが、自然との調和のずれがあるが故に発生し、その歪み、ズレを元に戻す為に存在するという考え方だったので。

 本当に驚いたと同時に、これがもし本当だったら、自分が描く大往生プランに到達できるかもと思ったのです。そう密かに思って、そこで、チャレンジしようと決意したの。それはやはり、姉の事の経験値が、そうはなりたくないという動機ですよね。

《 加 》   それを決意されたのが、高校生?

《 河 》   高校はもう卒業して、大学に入る頃でしたね。それが大体18歳くらいでしょう。で、僕は今年56歳なので、38年間のチャレンジを続けて。とりあえずやってみないと、分からないから。

《 加 》   今でこそ、オーガニックとか自然な食べ物とかいうのを、ちょっと言っている方もいらっしゃるのですけれど。40年近く前の日本って、高度経済成長期でもう本当に人間が全てをコントロール出来るとか。何でもかんでも機械だとか、そういう本当の自然とか生き方とかにあまり目が向いていない時代に、とてもこの異質な決意を持たれて、相当きつかったのでは?

《 河 》   いやいや、別に。ただ、自分の生き方をそうするだけだから。別に誰に強要するわけでもなく。

《 加 》   お仕事を始められる中で、こういってもやはり売れないとか。そこでも曲げないという考え方という。凄いきつかったですよね。

《 河 》   それはそうですね。ただ、チャレンジですから。

《 加 》   でもそこまで、凄いものだというのを、自然栽培のものを実際に見にいかれて食べられて、これだという様なものはあったのですか。

《 河 》   ありました。で、もちろん、机上の論理として頭に入ったわけですけれども。それをある意味、生活に落としていくという事は、18歳くらいから日常の中で取り組んでいったのですよね。で、その時の、一番越え難しかった壁というのが、栄養という概念を無くすという事だったのですよ。

 植物が育っていく上で必要な物は栄養分では無くて、違う仕組みなのだという事は解かれていて。

《 加 》   人間の栄養学とそこは被りますね。

《 河 》   そうですね。

相武台脳神経外科
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