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座禅で目をあける驚きの理由

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こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。
今日は平成27年11月11日の水曜日です。
以前に座禅を行っていくなかで危険性というか副作用というお話しをさせていただきましたけども、僕自身が座禅を始めた頃、青森の病院に勤めていたときに弘前の方に禅林街っていう座禅ばっかりさせてくれるお寺があるんですが、そこに週末6時ごろ座禅会というのがあって、そこで皆で座禅を無料で一緒にさせてくれるんですけども、そこに行って教えていただいた時に、座禅の仕方をいろいろ教えていただいたんですが、一つ僕自身がよくわからなかったのが、座りながら完全に目を閉じるのではなくて、半眼といって半分目を開けてちょっと床というか下の方を見ながら座禅するということを教えていただきました。
自分自身に集中して、体の中に集中して、内に入っていくのは目を全部瞑ればいいじゃん、とその時は思ったのですが、今になってはなぜ半分目を開けるのかというのは自分の理解ですけども、何かわかるような感じはします。
なんでかと言いますと、以前座禅をするときに例えば段々段々自分のなかに内に入ってくると、無限の状態というか、自然のリズムを感じるなかで自分の意識というのは広がっていって無限の状態を感じる、無の状態になっていくということをお話しさせていただきましたけども、無の状態に完全になってしまうと、自分自身の感覚というのは無くなってしまいます。
自分が生きてるということがわからなくなってしまう、自分自身がわからなくなって迷走状態(迷う、走る状態)になってしまうのですごく危険ですよ、というお話しをさせていただきました。
そのなかで宇宙飛行士さんが命綱をつけて宇宙遊泳をするように、何か宇宙船みたいなところに紐をつけて無限のところに漂っていくというようなイメージがいいのかな、というふうな感じがするんですけども、段々段々、半眼といって半分目を開けて無の世界、無限の状態を感じるようになるにつれて、同時に自分は無を感じてるんだけども自分自身の体も感じる、自分の体っていうのは皮膚があって外界と敷居されている、限界がある制限された体なんですが、自分の体を明確に感じるようになるっていう、そのパラドックス的な、逆説的な感覚に段々段々なってきます。
ベースとして非常に大きいな、無の状態、無限の状態を感じながら自分自身を感じることができるというのが一番気持ちよくて、自分が生きてるなという感じが座っててあるんですけども、そういう状態が座禅で目指している状態かなというのが僕自身は感じます。
自分自身は生きていて有限で限界がある存在です。限界があるから生きてるということになるんですが、すべて無限を感じて、無に完全になりきってしまうと、自分自身が感じられなくなって自分が何者かわからなくなってしまうので、無の状態を感じながら自分自身を感じるっていうパラドックス的なそういった感覚になるっていうことが深い意味でのメディケーションとか座禅の目標なんじゃないかなというのは最近感じていまして、そのなかで宇宙遊泳の命綱にあたるのが半眼、目を開けておくことじゃないかなと思います。
半眼で目を開けておいて、ある程度世界を意識していながら、自分の深い意識のなかでは無を感じるということ、この二つを感じられることが段々段々なってくると、非常に気持ちいい座り方になってくると僕自身は最近感じていますので、やはりメディケーション、座禅の、(西洋のメディケーションが半眼でするのかどうか僕は教えてもらったことがないのでわからないのですが)、半眼で座るっていうことが、前回お話しさせていただいた座禅の副作用の一つを予防するっていう一つの手段として僕自身は半眼を使わせていただいております。
今日は座禅でなんで半分目を開けて座るのかな、というのを自分のなかでの理解をお話しさせていただきました。
今日は以上です。

相武台脳神経外科
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