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「ごきげん」という言葉がうまれるまで。スポーツドクター辻秀一先生第3回。

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《 加 》    こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。当院では、体との向き合い方。在り方というのを、ずっとお話をさせて頂いていますが。スポーツを通して、心の在り方を発信されている、スポーツドクターの辻秀一先生をお招きしてお伝えします。どうぞ、宜しくお願い致します。

《 辻 》    辻君は、医学部の時とか、医者になってから、健康の勉強をしていないだろうと。もう病気のことはしこたま習うし、毎日病人には会うけれど、健康の事は習わないですし、栄養・休養・運動のことを知っているお医者さんはいないでしょうと言われて。確かに、そうだなと。これだなと思って。

 もう一個は、ヨーロッパのスポーツドクターは、テーマはコンディションなんですよ。いかに良いコンディションを作り出して、ピッチの上で良いパフォーマンスを出すかという事を、色々な側面から応援していると。

 怪我をしている時はピッチにいないから、病院で良いオペが出来るスポーツドクターがいれば良いのであって。実際のメインのスポーツドクターは、アメリカはライフスタイルマネージメントの健康医学が、スポーツ医学の代名詞で。整形外科のドクターは、どちらかといえばマイナーなのだと。

 ヨーロッパもそうで、コンディションサポートで、それのイリーガルがドーピングなのだけれども。今はもうドーピングも、まだいたちごっこしていますけど、コンディションサポートだと言って、その先生が慶応の体育会のこれから学生たちをいかに、そのコンディションを作ってサポートをするかという事は、まだやれていないと。

 なので、これから色々な健康医学としてのライフスタイルマネージメント。ちょうど僕は、リュウマチ内科にいる頃、ステロイドを沢山飲んでいる患者さんが多いので膠原病は。ステロイド性骨粗鬆症の研究グループにいたので、骨代謝とかいう事に関して、ずっと研究していたのですね。

 なのでその、骨代謝の発想で健康というと、骨粗鬆症だという事で。ちょうど時代背景も良くて、骨粗鬆症の運動療法とかライフスタイルマネージメントとか。クオリティオブライフのサポートという、運動の事も良くしりながら、骨代謝の事も良く知っている人があまりいなかったし、社会的に骨粗鬆症が凄く流行ってきたので。

 僕は、骨粗鬆症はもう、病気では無いと思っているのですよ、はっきり言うと。病気作りを皆がやっている様な感じがするので。歳をとれば皆、骨粗鬆症になるわけだから。急に骨粗鬆症が増えたって、見つけたから増えたわけで。あなた骨粗鬆症だから、薬を飲まないといけないと言って、病院に行くが為にこけて、骨折しているおばぁちゃんもいるわけだから。

 そういう意味で、僕はスポーツドクター、スポーツ医学をやる時に、最初の入り口は整形外科じゃなくて、ずっと内科医もやっていた事もあって。ライフスタイルマネージメント、カタカナが多いですけれども、コンディションサポートというのが、僕のスポーツ医学の入り口だったのですね。

 それを、6、7年くらい、30歳~37、38歳頃までやっている間に、結局ライフスタイルマネージメントも、コンディションサポートも、一番重要なのは、心持ちだなという事に、またそれで段々と気付く様になったわけです。

 そこで、スポーツ心理学。先程お話をしていた様に、スポーツ心理学に興味を持って、日本のスポーツ心理学会に行ったり、スポーツ心理学の勉強を様々して、本を一通り読んでみると、何かちょっと違うなと思って、アメリカの応用スポーツ心理学会に行ってみたら、これだという事で、僕のオリジナルなメソッドをそこから段々作るようになって。

 研究室も、スポーツ医学の研究室だったので、僕はスポーツ医学の心理学に興味を持ったので。ここでは色々とお世話になったけれど、ここでは僕のやりたい事は、将来ないなと思って。38歳の時に、開業したいわけでもなく、会社を作りたいわけでは無いのに、自分のやれる事は無いなと思って、また勝手に独立してやり始めて。家内や家族にはとても迷惑をかけましたけれどね。

《 加 》    道が無い状況で辞める事って凄いですよね、なかなか。本にもありましたけれど。

《 辻 》    もう辞めるというのが先というのが大きくて。

《 加 》    凄いですね。

《 辻 》    毎回のだから、スポーツ医学研究センターに行く前に、教授に辞めますと。辞表を先に出して、家内に辞めてきたと言って。えぇ、無言で辞めたの?と言われて。いや、明日、その新しいスポーツ医学研究センターの方に、雇ってくれと言いに行くつもりだと。

 教授に言ったら、え、辞めてきたのか?辻君。とか言われて、はい、辞めてきたのですけれど、お願いしますと言って。籍は無いけれど、無給だったら雇ってやるよと言われ、無給で良いですと言って。最初の一年はアルバイトで、やっていましたね。

《 加 》    そっかぁ。とりあえず覚悟を決めてしまって、すぐに道を作るという。凄いな。

《 辻 》    そうです。だから、内科医を辞めた時もそうだし。せっかく有給になって、ポジションが出来て、大学にずっと残るのかなと思った時に、また38歳の時に、辞めました。

《 加 》    やはり何か違うなという感じですか。

《 辻 》    そうですね。家族には迷惑をかけていますけれど。その分ね。

《 加 》    そこから、ご自身が会社を設立されて、色々な作業をされているのですか。

《 辻 》    そうですね。最初は、健康というかメンタルの部分で。今でこそ、皆がメンタルに興味を持って、怪しくないなという事で、企業も言うようになったし。スポーツ選手でも、メンタルトレーニングと言われるようになったし。

 当時は、なんか全然分からなかったから、やはり怪しいと思われている時もありましたし。だけれどまぁ、いつも少なからず誰かが興味を持ってくれていて、そこが何か支えになっていたというのはありますよね。だけれどまぁ、色々な事でお金の事も含めて、苦労はもちろんしてきましたけれど。

《 加 》    やはり、独立される時の、一番最初の本がスラムダンク勝利学という本だったじゃないですか。この本を読ませて頂いてから、今先生が出されている禅能思考まで、若干ちょっとニュアンスが違うなという感じがあるのですけれども。何か、変わった点とかってありますか?

《 辻 》    このスラムダンク勝利学の僕の最初の時は、僕の心情的に言うと、いわゆるスポーツ心理学を学んで。心の存在と価値を兎に角、どんな方法でも良いから伝えたいという。僕の中の理想とかはほとんど無くて、ただその心の存在とかを皆に感じてもらいたいという一心で、その漫画を使って、僕の思っている事や思いみたいな事を、ガッと書いた感じですね。

 背景にある理論は、その当時は、モントリオールオリンピックの射撃の金メダリストの、ラニー・バッシャムさんという人の、メンタルマネージメント論、セルフイメージの話が中心で。その頃は、今で言うと、揺らぎの話なのですよね。

 ラニー・バッシャムさんは、学者では無いのだけれど、その射撃の選手として、モンテリオールオリンピックの2年前の選手権とか、ラニー・バッシャムさんが絶対世界一だと言われていたのに、負けたらしいのですよ。だから、技術があるのになぜ、負けるのかというと。

 結局なんかその、体の微妙な揺らぎで、その体の微妙な揺らぎは、元々持っている物はいはゆるあるのだけれども。それを通り越して、心の状態の揺らぎが起っていると、その真ん中に的に当たらないみたいなのですよね。もう世界のレベルって、ほとんど真ん中のここにいかないと、ダメなレベルなんです。ディズニーランドのこういうレベルではないので。

 なので、わずかなその心の揺らぎが体の揺らぎになり、的の揺らぎになるらしくて。それで、じゃあその、心の揺らぎみたいな物を、どうやって表現した方が良いのかというのを、ラニー・バッシャムさんは、セルフイメージという風に、自分が持っている心のエネルギーみたいな物を、そういう心で表現して、大きくなったり小さくなったりしている。それが、心の揺らぎを表現しているのだという様な事を言われて。あぁ、なるほどなという風に思って。

 僕はその、ラニー・バッシャムさんの、メンタルマネージメント論。セルフイメージの話を中心に、当時はやっていたのですね。でも、段々段々とやっているうちに、その人間の心って揺らぎもあるのだけれど、もう一個、囚われというのが大きいなと。

 むしろこの囚われの状態という事が、揺らぎの大きな原因にもなっているので。この囚われという言葉をもう少し盛り込まないと、本当の意味での何か質の高い人生って作れないなと思って、囚われか~みたいな感じで、色々と思うようになっていって。

 そうしたら、たまたま心理学の本を読んでいる時に、固定概念をセルフコンセプトという風に表現している事を、書いてある本を読んで。この固定概念が=セルフ・コンセプト。これが囚われだと思って、揺らぎのセルフイメージに加えて、今度は囚われのセルフ・コンセプトというのを、僕の理論に入れる様にしたのですね。

 セルフイメージが大きく安定し、セルフ・コンセプトが質が高く柔軟だという風な、何かもうカタカナが多いし、わけがわからないな。何かこうこの両方を表現出来る方法が無いかなと。だから、僕は師匠なんてほとんどいないのですよ。全部、独学だから。

 そこで思いついたのが、フローという、チクセントミハイという、アメリカのシカゴ大学の行動科学の先生が言っている理論を、色々と読んでみると、僕のこの揺らぎと囚われみたいな物を包括した、何か無我夢中な感じとおしゃっていて。あぁ、これだなと思っていて、フローが一番、この揺らがず囚われず何かヒットしているなと。

 ただし、チクセントミハイ先生は、学者なのでどちらかというとかなり、ゾーンに近い領域の無我夢中な事を言っているのだけれども。僕は確かに揺らがず、ゾーンというのはそうだけれど、ちょっと究極すぎるなと思って。

 もっと、日常や仕事や人生に活かせるフローな状態、揺らがず囚われずな状態って、何か良いのが無いかなと。またいつも考えているのですよ。何か良いネタを。ご機嫌が何かこう一番、ヒットしているなと。それで、機嫌が悪い時って、絶対に揺らいで囚われているし、機嫌が良いという事を言った時に、一番分かりやすいなと思って。

《 加 》    そうですよね。

《 辻 》    何かこう、セルフイメージとかセルフ・コンセプトとか、フローと言われても、ゾーンと言われてもなと思って。ご機嫌でいこうと。最近は、フローとも言われていますけれど、ご機嫌というのがもう、一番皆に分かりやすく。日本をご機嫌にする事を、スポーツ心理学を使って何かが出来れば良いなというのが、僕の想いですかね。

 スポーツはまさにそれが出来ないと、負けるのですよ。で、昔は、原始時代は死んでいたのです。

相武台脳神経外科
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