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自分の心の毒の処理方法 映画プロデューサー 村岡克彦第3回

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《 加 》   物忘れの方を見ていて、人によってはやはりこう、すごくこう愛されキャラになる人と。何かこう、周りとすごい喧嘩ばっかりになってしまう方と。色々なパターンがありますよね。

《 村 》    それで、歳をとってくると、色々な中のメッキが剥がれて。その本性というか、素が覗けますよね。

《 加 》   特にやはり、すごい偉い方というか。きちんとしている方というか。真面目な方というのは、頭では私はこう生きるべきなんだ。こうでなければいけないという風に、こう誰の手も借りないで生きてくという風に、頭でこうあるべきだと思って、自分の像を作っている方であればあるほど。現実とのギャップは、いつの間にかできていて。それが、すごい周りとこう軋轢を生む感じがしたり。

 逆にこう何か、あまりこうだらだらとしていて。ふ〜んという様にやっている方。なんかいつもみんなから、バカにされていて。ダメダメ人間だと言われている様な方の方が、愛されキャラになったりとか。

 頭で考えていて、像を作ってしまっていると。そういった認知機能が落ちてきた時というのは、結構怖かったりしますよね。逆に何かこう、ダメだダメだと言われている人の方が、魂が磨かれているのかもしれないですよね。

 なんかやはり、ちょっと人生のルールを、もしかしたら変えなければいけないのかなということを、診察させて頂いて見ていて思っていまして。自転車だと、自転車レースだと。5キロの自転車レースをするのと、100キロの自転車レースをするのとでは、何か準備をしなければいけないものというのは、だいぶ違うじゃないですか。

 今、昔は人生50年と言われていて。ロシアの男性の人は、今だって平均寿命は五十歳ぐらいだったりとかするわけなんですけれど。100年生きるという。100年も生きるとなると、ちょっとなんかルールが違う。人生のルールが、もしかしたら違ってきているのかもしれない様な気がします。

《 村 》    前提が狂ってきますものね。

《 加 》   前提が狂ってきますね。昔は50歳までって。偉い人だった、この人はすごい人だったと言って。それで終わった方が、そこから50年がまた。本性が出てきて。あぁ、こうだったんだという様な。本当の本当の、自分がバレてしまうような、なんか人生になってきているので。

 やはり、何か常識的なというか。こうあるべきだというか、そういうのよりも。人間本来というのはどういうのが、本来の姿なのかなという風に、絶えず、常識を疑って生きていく方が、楽しく生きれると思う。常識を疑っているというか。

 そもそも、世の中でこう、出来が悪いというか。アウトローな人というのが、最初からなんか爪弾きにされていて、常識ではないと言われているので。そういう人達は、やはり自分の魂と向き合う時間が多いのかなと思いますね。

 やはり、長い間生きてく中で、壁が来るのですよね。どこかで何かしらの。結局は、やはり頭で考えて、こう何かをしなければいけないと思っていると、体がついていかなくなったり。何かの病気になったり。壁が来る時に、本来の自分自身という、こういう風に考えて思った方が良いのではないかなという風に、軌道修正していくというか。皆さんが気づいていくのを、僕が見ている場みたいな感じになっている感じですね。

 なので、未だかつてない、歴史上の何というか、本来の魂を磨かなければけないみたいな。こう魂を磨かなければいけない時代に、なってきているのかもしれないですよね。何か大げさな感じですけれども。常識的に何が正しいとか、お金持ちになったら幸せだとか。そういったことというよりも、なんか本当の価値というものを見ていくということを、突きつけられてるような感じがするような感じがしますし。そういう人も発信して、こう結果を出せるような時代なのかなというのがあるんですけれども。

《 村 》    何かね、色々と見透かされやすい時代になってきているのだと思うのですよね。なんかね、ネットとかで色々な人が発信をしていて。例えば、立派な事を何か言っていらっしゃる方が、その Facebook とかでいて。そのいらっしゃる方の裏側がね、ものすごく今は、見透かされやすいのですよね。なんか、みんな経験値も上がっているのですけれども。

 この人は、こんなこと言ってるけど、実は胡散臭いとか。何かこの人はうわべだなとか。そういうことがね、ものすごくわかりやすくなってきているのが、今のだいぶ SNS に慣れてこられたのでみんなが。 Facebook もやはり10円ぐらいになっていますけれども。それがね、ものすごくわかりますよね。

 この人はなんかこう言っているけれども、本当はこう思ってないんだなと。おっしゃっていることのその裏側というか。この人は良いことしか言わないな、みたいな部分があって。それで、僕は良いことも悪いことも、辛いことも悲しいことも、全部出すんですよ。

 そうしたら、怒られるんですよね。村岡さんはね、そんなこと言ってはいけませんとか。あの、後ろ向きのことを言ってはいけませんとか。その苦しいとか、何か辛いだとか。その泣き言を言ってはいけませんと言うのだけれども。良いことだけあげなさいと。特に、映画プロデューサーというのは、良いことばかりをあげとかないと。皆が信用しませんよというのですけれども。

 そんな、良い事だけあげているという、そんな平面的な。そんな薄っぺらな人間じゃないですかそんなの。そうではなくて、その人にも裏があり影があり。色々な部分が見えてこそ、初めてそこに立体的な人が。存在というのがわかってきて。その人を身近に感じることが出来るというか。この人は、こうは言ったけれど、弱いところもあるし。こうやって何か辛いこともあるしと。でも、そんな中でも、頑張っているのだという、その人間像が見えるのですけれども。

 立派なことばっかり言ってらっしゃる方が多いと、この人は何を考えているのか。後ろを全く見せない人というのはやはりいて。もう儲かっていますよと。こんなにやっていて儲かっていますよねと。もうすごいなんかぎっちりと指輪をして、黒いスーツのやつで

 例えば、そういった方がいらっしゃったとして。でも、本当はこの人はこれは、そう見せている。見せているけれども、本当は辛いんじゃないのかな というのを、逆に見透かされてしまう部分があったりして。辛いんだろうなみたいなことを。もうちょっと、弱い部分は弱いと見せれば良いのに。なんかそこが、どんどんどんどんと、危うい嘘に見えてしまうというのが。例えばの話であって。

  Facebook も僕が1万人近く育てていますから。そうなんですけれども、なんか良いこと、立派なことをうまく全て良くいってますよと。絶好調ですみたいな人がいっぱいいると、大丈夫かなってこの人と。

《 加 》   村岡さんは何か、ずっときつそうでしたけれども。最近、なんか急にこう、コメントが変わった気がするんですけれども。なんか、なんかすごく面白いというか。何か読んでいて面白いですよね。

《 村 》    ちょっとだけ何かね、あの気分が。季節が変わったので、それぐらいの話なのですけれども。まだ落ちる時は、落ちますから。そんな人間なんで、村岡さん今は調子が良いんだなとか。分かってもらえば良いですから。村岡さんは、今はだめだめな時期なんだなとか。村岡さんは、最近は調子が良いのだなとか。そうすると、そこに存在があるじゃないですか。なんかものすごく、近くに思えませんか。

 なんか村岡さんも、案外弱い人間なんだと。なんやかんや言っているけれども。少し弱い部分が出ているのだなと。少しゆっくり休んでくださいねみたいなことになる。そうすると、具体的な立体的な、村岡克彦という立体像がそこにみんなの前に見えてくる。

《 加 》   立体像ですか。真実味がでますよね。

《 村 》    だって、真実なんだもん。

《 加 》   真実なんですよね。

《 村 》    なんかね、それも含めて僕ですということですよね。弱い所も含めて。汚いことも辛いことも、そんなことも含めて僕ですという。それで良かったら、友達になってくださいねという感じ。

《 加 》   距離感ですよね。

《 村 》    距離感ですね。

《 加 》   僕も心が弱い方なんですよね。心が弱いといいますか。心が弱い方というか、一日で朝から病院には、80人くらいの方が来られるのですけれども。健康的な方は、基本的には来ないので。やはり悩みがあって来られるんですけれど。そこで、診察が終わった時に、僕自身も結構心がきつくなってしまうことがあるのですね。

 そこで、そのきついコメントを見ると、すごい僕もきつくなってしまうので。一時的に、村岡さんのコメントを見れない様にしていたのですよ。やはりそれは距離感で、この前少しお会いしてから、楽しくてまたコメントは見える様にしてあるんもですけれども。やはり、お付き合いをしていく中で、距離感が必要なのかなと思いますよね。

《 村 》    そうですね。

《 加 》   あとは、僕自身が発信をしていく時に、気を付けていることは、僕は映画とかではないので。自分自身を知ってほしいというよりも、クリニックのメッセージを伝えていきたいというのがあるのですけれども。ある程度、良いことも悪いことも、できるだけ言おうとしたりしますし。YouTube とかで、僕に彼女ができないとかを書かれるのですけれども。すごく観ていてくださったりするのですけれども。

 ただ、少しなんかこう、なるべくこう前向きに行きたいなと。辛い時でも、前向きに行きたいなというのが、自分の中にあって。それを僕自身は、落ちる時は落ちていますけれども。あまりそっちの方にフォーカスを置くと、どんどんどんどんと泥まみれに入ってしまうような、心の構造があるような気がしていて。

 無理に前向きになる必要はないけれども。なるべく、人の心の負の連鎖を広げるようなコメントは、僕自身は少ししないようにしている。自分がまた見て、自分が負にになっていくので。きつくなってしまうので。村岡さんは、負の気持ちも書いて、結構心が軽くなりますか。

《 村 》    だからあのね、 Facebook でかこれが書けないなということがあって。そして、ここまでしか書けないなとかっていうのがあるのですが。

《 加 》   やはり、そういう基準があるのですね。

《 村 》    それを超えたぶんは、 Twitter の方で毒を吐くという。

《 加 》    Twitter もされているんもですね。

《 村 》    そういった使い分けがあります。  Twitter の方が、ドロドロしていますよ。

《 加 》    ドロドロしているのですか。やはり、何というのですかね。そういった部分では、少し病んでいるのかもしれないですよね。本当にこう、心が健康的な人は、そういうのも観ても、観れる余裕があるのですよね。

《 村 》    何かしらでやはり出さないと、鬱屈したものが溜ってしまうのも良くないからもう。 Twitter でもう毒を吐く。そうすることによって、少しは抑えられているものがあるというか。 蓄積をしていくと、どんどん良くない。蓄積を少しずつね、出していかないと。

 かといって、Facebook では、ここにはここまでしか出せないとなると。別で、そういったゴミ捨て場を設けたり。
《 加 》    村岡さんとかって、もう全部本音でやられていて。本音で作品を作られているのに、なぜ心の葛藤が起きるのですか。

《 村 》    もう野垂れ死んでいて。もう飲み屋のバーで。野垂れ死ぬ。もしくは、階段から落ちて死ぬとかね。

相武台脳神経外科
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