こんにちは。相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成28年6月19日の日曜日です。
今日NHKの番組を見てまして、仏像を彫る円空さんという方の特集をやってました。円空さんの彫ったものというのは、微笑みがあって素朴で、僕自身もすごく好きなんですけれども、テレビを見させていただいて、岩を彫った岩の中で岩場を見てると円空像が見えてくるとありましたけど、円空さんの彫ったものというのは、何か自然に溶け込んだものがあって、気づいたらお顔があるみたいな、溶け込んだものがあったりするんですが、そこの中にベースとして入ってる考え方というのは、空という、ないっていうことがあるのかなというのを見てて感じました。
空というのは、ないということだと、言葉ではないっていうふうになるんですけども、完全に存在がないというわけじゃないと僕自身は思ってて。
じゃあ座禅でいうなら空ってどういう意味なのかなということを考えたときに、例えば夏の蝉は冬のことがわからないように、冬を知ってないと夏のことがわからないとなると、日本の夏でいう冬の存在なのかなと思って、やはり人間でいえば現象社会というか、限られた肉体の中で自分自身が生まれてきて、だけども、もともとは大きな自然から生まれて無限の直感が自分の心の中に流れてるものなんですけれども、生きてるということは有限なことで肉体の境目があるし、有限なものを実感しながら日常生活のバタバタ感を感じながら、無限の方向性に帰ってくということは、もともと無限しか知らない人間よりも、ずっと無限のことがわかっているというのが空じゃないかなと。
人間の中で限界がある自分自身の肉体、命を持った中で、感覚を持った中で、その中で無限に帰っていく作業というのが、空の本質なんじゃないかなと思って、それが無為自然という言葉に現れてくるんだと思いますし、無為自然というのは自然なものではないし、自分自身がないわけでもないし、自分という存在はあるんだけどない状態まで持っていくことができたら、すごいエネルギーがある状態の自然状態ということになる。
それは、夏しか知らない蝉じゃなくて、冬のことも知った夏の蝉。そのことがどれだけ夏が幸せかということが理解できた蝉というのは、もしかしたらすごくパワーを持った蝉になれるんじゃないかなということが、座禅の空という意味じゃないかなと。
人間生きてること自体が限界があることなので、無限ではない。その状態でいつも言ってるように直感にアクセスしていく努力をして、直感を感じる、無限の状態を感じる、自分自身を無限の状態に持っていくということが空の状態。
これは何もない状態じゃなくて、すごくパワーを持った、エネルギーを持った状態なのかなということを今日テレビを見ててすごく感じました。今日は以上です。
相武台脳神経外科
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