こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成29年1月30日の月曜日です。
昨日信じるという言葉が、間違って使われてるんじゃないかと僕自身は感じて、そのことに関して少しお話しさせていただいたんですが、その延長線上に信仰するとか、宗教を信じるとか、そういうことを言う人がいるんですが、多分宗教というのは、人間の生き方の本質的なところなので、それを信じているということは、例えばそこまで宗教で人間の本質的なところを信じることができない人に対しても、排除の気持ちというのは起きないのかなと。
そもそも人間の本来の生き方というわけではあるので、宗教を信じてない人に対しても、排除の気持ちというのは起きないと僕自身は思ってて、例えば宗教を信じている人の中で、戦争を起こしてしまったり、あるいは宗教を信じている人と話していると、すごく気持ち的に寂しい気持ちになってしまってるというのは、その人自身はおそらく人間の本質的な生き方を深いところで信じているのではなくて、その宗教上の文言だとか、本質的なところから反映された影のところの教典だとか、文言、しきたり、そういったところの価値観を正しいのだというふうに信じてしまって、結局本質的なところまで気持ちがいってない、目がいってないので、本質的なところの影である価値観を全然文化として信じてない他の宗教の人とか、宗教そのものを信じてない人に対して、悪人扱いしてしまうというのは、そもそもその人自身が宗教を信じられてない現れなのかなというふうに僕自身は感じてて。
やっぱり宗教を信じてる人は、それを信じてない人に対してもいい影響を与えていくし、排除するような気持ちにならないし、違った価値観の人とも、そういうものの見方があるかもしれないというふうな、想像的な会話が可能になるというふうに僕自身は思ってるので、逆に排除するとかそういった宗教を信じてない人に対して、想像的な価値観が違う人に対して想像的な会話ができない場合は、その人自身が宗教を信じてるとはいっても、宗教の影の部分の価値観を思い込んでるだけで、本当に浅はかなんじゃないかなというふうに感じましたので、それを宗教を信じることと宗教を思い込むことを混同してしまうと、やっぱり喧嘩のもと。大きくいえば戦争のもとになってしまうので、人類としてそういうところは強く抑えていかなきゃいけないんじゃないかなというふうに思いましたので、今日シェアさせていただきました。今日は以上です。
相武台脳神経外科
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