《 加 》 相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は、浄土真宗本願寺の僧侶の大來尚順さんをお招きして、お話を伺います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
僕は、疑問に思ったのですけれども。その出家って何ですか。例えば、やはり出家されている方と。例えば、その仏教の仏道。仏になる道という、その仏の世界に実践して行く道だというと、僕自身もがんばって、その方向でがんばろうとはしているので。そして、その出家というのは、現代社会において、どういう意味があるのですかね。
《 大 》 それはもう何宗派によって、色々と変わるかもしれませんけれど。基本的に出家となると、世俗を全て捨てて。それこそ、山の中に凝って生活をするというのは、基本的な意味ですけれども。あるいは、日本の仏教ってどっちかというと、在家仏教といって、在家ですよね。家にいながら悟りが得られる教えなんですよね。家にいながら、仏になる教えということなんですけれども。つまり、日常生活の中で、色々なものに気付きながら、仏になって行こうという考え方を持っているのですけれども。
そういう意味では、出家という言葉が日本ではないのかもしれませんね。代わりに言うのが、得度と言うのです。僧侶になることを、得度と言うのですね。なので、出家とは、あまり使わないのですよね。
《 加 》 例えば、法って仏教でさっきおっしゃったじゃないですか。法というのは、僕自身は、そのワクワクするのは多分、深いものだと思っているのですよ。より深い。その深さが、どんどんどんどん深く法を理解している深さを、どんどんどんどんと深くしていくと。深くしていくことが、やはりその仏教を勉強していくということに、もしかしたらなのかなという風に想像するのですけれども。良いのですかね。
《 大 》 そうですね。現実というか。現実というものを、どんどんどんどんと受け止めていくものというか。
《 加 》 その深い部分で、色々な側面の法を、深い部分で悟っているというか、わかっているという人を、深めていくということですね。なので、深いところで知っているということですよね。その法律を深いところで知っているということですよね。深い所で知っている人であればあるほど、浅い所で苦しんでいる人に対しての、助言がしやすいのですよね。
《 大 》 そうですね。
《 加 》 だからそれが、お坊さん何ではないかなと思うのですけれども。昨日、なんか YouTube で、若い頃の落合選手と。なんか20代の、清原選手の対談動画があったんですけれども。野球を理解していると言うので、今から言うと、落合選手と清原選手の全然深さが違うのは、素人目で見ても分かるのですね。
やはり深い人から見ると、その原因は選手なのに、もう清原が、清原選手はあの当時、四番でどんどん活躍していたので。苦しんでることが落合選手から見ると、手に取るようにわかるんで。全然違うところで、活躍していたのですけれども。手に取るようにわかって、もう全然相手にならないくらい、もうそんなような会話だったですね。
やはりそういった意味で、もしそういった、例えば僕はわからないですけれども。そのお坊さんの存在って何なんだろうなと考えた時に。やはり、より深く方を知っている人なのかなというのがあったので。
《 大 》 その方面もありますし、私自身が僧侶の、自身の役割は何かというと、モデルですね。いわゆる。在家仏教の中で、生きていく人間というのは、こういう形になりますよというモデルですね。そうだと思っています。だからこそ、偏らないというね。極端にすごくこう離れずに。そして、極端にこう俗に染まらずに。ただ、大事なことの教えを問う為に、側にいながら生きていくという。そういうモデルだと思っています。
そういった時に、浄土真宗では特に、見た目からしても全然違いますから。そういうところでも、モデルなんだろうなと思っているのですね。みんながみんなこう、やはり行事やすい生活のスタイルというか、仏道なのかなと思っていますので。
《 加 》 なるほど。
《 大 》 それが、親鸞。親鸞聖人がこう、表してくれた教えかなと思っていて。大事にしているのですけれども。特に、私がすごく好きなのが、悪人正機という言葉があるのですね。浄土真宗の中で。聞いたことありますか。悪人正機というのは。
《 加 》 いや、無いですね。
《 大 》 あのね、面白いんですよ。一件聞いたら、なんじゃそりゃってなるのですけれども。悪人が救いの目当てという教えなんですよ。悪人こそが救われるんだという、教えなんですよね。これを聞くと、じゃあ、悪いことをしましょうという話になってくるのですよ。一般的に考えると 。
でも、そうではなくて。悪人ってどういう意味かと言うと、本当に心底、自分がどうしようもない人間だなって。認めた人達のことを、悪人と言うんですよ。そして、そういう姿って、仏さんですよ。仏様の立場から見たら、可愛くてしょうがないんですよね。絶対に救ってやると言っているのに、動かなくても良いところで、もがいている人間達。そういう人こそが、やはり救われるべきでだというのが、この悪人正機ということなんですよね。
私はまぁ、色々と自分で、行と言うほどの行はしていないのですけれども。色々な所に行って、色々な体験をさせて頂いている中で。自分の弱さというか。自分はしょうがないなと思ったことが、沢山あったのですね。そんな私でと、やはり葛藤するのですよね。良いのだろうか。嫌だなとか思いながらも。そんな風にもがきながらも、一生懸命に生活をする人が、可愛いと言ってくれる仏さんがいらっしゃるんだといって、安心が得られて。また前向きに生活ができるということです。
《 加 》 なんでそれが可愛いのかというと、やはりそれは可能性の世界の思考だからですよね。自分が正しいという風に考えてれば、それで可能性が終わっていますよね。
《 大 》 そうですね。きっとね。
《 加 》 自分がもしかしたら、間違っているのかもしれない。もうすごい悪人かもしれないという風に思った瞬間に、色々な広がりが生まれるので。それで、やはり可愛いというのもあるし。その可能性ですよね。仏教は全て、可能性の世界の道だと、僕自身は思っているので。シンプルに。法則に乗っ取るということは、可能性を広げていくという事だと思うのですよね。
《 大 》 なるほど、なるほど。
《 加 》 可能性を広げていくということは、そういう仏道というのは、例えばその、形にこだわらなくてもできる。
《 大 》 そうなんですよね。はい。
《 加 》 逆を言えば、今のそのお坊さんとか、僕のあれだと、もう本当に形とかを全部捨てて。もう本当にチャレンジャーな、若いお坊さんであれば。結果とかももう全部、立場も捨てて、仏道を歩んでみて欲しい。そうすると、色々な人が寄ってくるのではないかなと思うのですよね。
《 大 》 そうですね。そうでしょうね。色々なものが寄ってくると思います。そうだと思いますよ、はい。
《 加 》 色々な人が寄ってくるし、それこそ、形を全部捨てた時に、本当にそういう風に素朴にこうやっていくことが、本物の仏道なのかなと思いますね。
《 大 》 そうでしょうね。
《 加 》 今、色々となんかこう。例えば、何かお墓の問題とか、色々とありますけれども。形にこだわるからじゃないですか。
《 大 》 元々そうなんですよね。歴史とかを、変に重んじる部分があるので。もちろん、大事な部分もあるのですけれども。元々、なかったものですから。それを作り出してしまったのは、人間のね。一つの面白いところなんですけれども。全部ね、失くしてしまえれば楽ですよね。
《 加 》 それこそが、やはりある程度、次に行くステップだと思いますし。仏教、キリスト教、イスラム教と、何千年ときていて。残っているというのは、やはり本望が残っていると思うので。やはり、その時代に合わなくなったら、それでやはり一回、無理に残さなくてもいいような気がしますけれどね。形としては。
《 大 》 そうですね。
《 加 》 本当に代々、若いお坊さんとかが、全然なんかこう、袈裟とかを着ずに、寺とかを持たずに、仏道を歩むという人に会いたいなと思うのですが。どうですか。
《 大 》 そうですね。守るものがありすぎてちょっと。難しいですけれどもね。弱くなるのですよ。
《 加 》 そうですよね。守るものがあると、可能性の世界にいけないのですよね。
《 大 》 そうなんですよね。人はだから、守るものが出来ると、弱くなると聞いたことがあるので、その通りだと思うのですよね。すごく消極的になってしまうのですよね。守るものができるというのは、家族ができたりとか。あとは、自分が守りたいもの。プライドでも何でも、やはりそういうのが出来てしまうと人は弱くなってしまうのですよね。
《 加 》 というのは、それをもう超越して、やはり本当にすごい心地良い可能性の世界なので、逆を言えば、やはりそういった守るものというのを離れていく。そういった時に極めたら、その守る者が、幸福に後からなるという。
そのブッタの、手塚治虫のブッタとか。漫画の知識しかないのですけれども。息子さんに、障壁というか。障害というか。変な名前を付けてますよね。
《 大 》 ラーフラでしょう。ひどい話ですよね。
《 加 》 ラーフラというか、なんかもう障害というか。息子にもう法で言えば、障害だみたいな。ひどい話じゃないですか。虐待にしか思えない様な名前をつけているのですけれども。今はもう、本当に現代社会で、そういう名前をつけたら、相当それはね。
《 大 》 問題になりますよね。
《 加 》 相当、問題になりますし。なんちゅう新興宗教なんだといって、相当叩かれますけれど。そのラーフラーとつけて、全てを捨てていったというのがあるのですけれども。結局は、やはり仏道を極めて、やはりご家族にこう良いものをもたらせてきたので。
やはりもっと、本当にその仏道の形だけに囚われると、やはり中身が腐るのではないかなと思っていて。その医療も含めて。本当にもう。だから、形を利用するというのは、大きいものがある。
《 大 》 大きいものがありますよね。
《 加 》 本当になんかこう、なんかすみません。仏道から変な話になってしまって。道がそれてしまいましたね。
《 大 》 いやいやいや。全然良いと思いますよ。これはこれで、面白い対談になったと思っていますから。
《 加 》 いや、良いのかな、なんか。僕は普段から、そう考えていまして。
《 大 》 その形は利用するという言葉が、すごく大事な部分で。基本的に、寺というのは、重たいのは重たいのですね。ただ、やはり寺だからこそ出来るということが多くて。それを利用させて頂こうと思っていまして。
その空間の力というところですよね。あのお寺に行くと、正門があって。そこに行くとみんなね、自然と身体を正すのですよ。それが分からないのですよ。なぜか、みんなね。寺の中の本堂に入ると、みんなやはり静かになりますし。そういった空間を利用させてもらっていますね。
《 加 》 あれだけを、あんなお寺を建てようと思ったら、えらい財産が必要ですからね。
《 大 》 すごく大変ですよね。それはそうですね。
《 加 》 昔から、そうですよね。
《 大 》 もう何十年、何百年とあるものなので。
《 加 》 そう思うとある意味、豪華な建物なので。
《 大 》 確かに威厳はありますしね。もし本当に、出家出来るのでしたら、やってみたいなとは思いますけれども。もう5年早く、出家したかったなという感じですね。妻と子どもに出逢わなければ、できただろうなと思いますね。
今からそれやると、ちょっと後々大変なことになりそうですから。全てを捨てるのは。人を傷つけてまで、仏道に入ることはないので。一人だったら良かったなと思いますよね、本当に。
手塚治虫さんの漫画も、書いてはあるのですけれども、本当に。本当かどうかの話は別の話ですから。ラーフラは確かに、付けたのでしょうけれども。名前を障害って。
《 加 》 本当かどうかは、全然わからないのですけれどもね。あれは、大來さんは、何でお坊さんになろうと思われたのですか。ごめんなさい。
《 大 》 それはですね。これは面白いのですけれども、簡単に言ったら、寺で生まれたからということが、一番近いのですよね。もう生まれ育った時から、お寺の音が聞こえてきて。そして、中に座って。周りの環境からも影響があって。あとは、要するに、寺を継ぐだろうという風に、言われ続けてきたので。それも一つの理由ですよね。
それに反抗することもありましたけれども。でも、結果的に、これはねやはりこう、科学的にとか自分自身でとか、なんでだろうということがきちんと言えないのですけれども。でも、おばあちゃんの声が聞こえたんですよね。それこそ、日本を飛び出て、アメリカで勉強をする時に、もう帰るのを辞めようかなと思ったのですね。日本に。
《 加 》 日本に帰ろうかなということですか。
《 大 》 日本に帰るのを辞めようかなと思ったのですね。もうずっと向こうで、研究者として過ごそうかなとか、色々と考えた時に、おばあちゃんの声が聞こえたのですね。
《 加 》 えぇ。すごいですね。
《 大 》 これはなんでかと言うと、そのおばあちゃんの声が、不思議とどこからか聞こえたのではなくて。こう残っているのですよ。心の中に。そして、私はちっちゃい時に、ど田舎に生まれ育って。近所に友だちがいなかったんですよね。それで、唯一の友だちというのが、おばあちゃんだったのですよ。
実はその、幼馴染というか、おばあちゃんに育てられて。うちの両親は共働きだったので。家にいなかったので。ずっとおばあちゃんの家に泊まって、ご飯を食べてという生活をしていたのですね。幼いながらに、4歳か5歳の時に、毎晩毎晩こう、おばあちゃんと一緒にベットで寝るのですけれども。いつもおばあちゃんが、その大好きと言ってくれるのですね。それで、なんでと聞いたら、このお寺を継ぐからと言っていて。すごいこう、脅迫を受けて。
《 加 》 えぇ。怖い、怖い。
《 大 》 怖いでしょう。唯一の友だちに、そんなことを言われるわけですから。えぇ~そうなのと思いながら。
《 加 》 それって何歳の時ですか。
《 大 》 4歳、5歳の時ですね。その時に、じゃあ、お寺を継がないとおばぁちゃんに嫌われるというような、概念がずっとあって。そして、その声が、アメリカで聞こえたのですよ。あぁ、これはまずいと思って。そして、結果的に帰ってきたのですけれども。というのが一つと。
もう一つは、その時に。もう帰るの辞めようかなと思っていた時に、指導教官の先生が、お寺の歴史を調べろと言ってきたのですね。それを、論文にしろと言われたのですね。うちのお寺は、約400年の歴史があるのですけれども。全部調べさせられたのですね。
それこそ、過去帳ってわかりますか。自分の代々の先祖が、全部記されている過去帳というのがあるのですけれども。法事をいつやったとか。いつに誰誰が亡くなったとかが、書いてあるもので。一つの日記ですね。家族の。
その日記を、全部読ませてもらって。地域の図書館とかから、資料を全部引き出して。自分のお寺が生まれた情景や背景とか。色々なものを色々と考えさせてもらった中で、色々と面白いことが分かってきて。それこそ、最初自分の先祖が、山口県ではなくて。広島の三好から来たとか。そこからこう、お寺が始まったとか。
そして、それを守るために、色々な仕事をして。そして時には、その博打をやって。買った時期もあれば、負けた時期もあって。そして、今のうちの目の前にはたくさん、大きなお米の畑というか、田んぼがあるのですけれども。元々はあそこは、うちの土地だったのですけれども。今は、主水さんのものなんですけれども。博打をして、負けて取られたとかね。
そんな、色々なエピソードがわかってきた中で。本当にこう、血の滲むような努力をされて、守ってきた寺。いわゆる法堂と言われる物なんですけれども。法をどうにかして、こう伝えていきたい。渡していきたいという、思いが詰まった寺だということがわかった寺だったので。それを、口が裂けても潰すとは言えないなと思って。それで、帰ってきたのですね。それを守ろうと思って。
《 加 》 その指導教官の方は、アメリカ人の方ですか。
《 大 》 はい。ヘレン・ハーデ・クレアという、日本宗教学の大家の先生です。
《 加 》 日本宗教学。
《 大 》 その人はもうそれを読んでいたのです。それこそ、知っているからこそ、そう言えるのですよね。
《 加 》 そのガイドをしてくれたのですね。
《 大 》 ガイドをしてくれて。結局、日本に強制送還されましたね。自分からもちろん帰るといって、帰ったのですけれども。それがなかったら、無いかもしれませんね。今は。それこそ、今は、身体は東京にいても、それでもやはり、ずっと気持ちは山口県にいるというのは、そういうところなんですよね。
《 加 》 そんなに歴史があるのですね。ご先祖様からの。
《 大 》 そうなんですよね。はい。そこはやはり、守っていきたいなと思っていまして。彼らが守ってきたものを、自分たちも守っていくべきなんだなと思っていまして。それが、あるからこそ逆に、ご主水さん達や檀家さん達が、お寺を支えてくれたのかなと思う部分もありますし。
そういうところで、ちょっと話が戻ってくるのですけれども。その自分にコントロールが出来ていないというのは、そういうところで。全部が何か、自分の違うところの大きなものに、結局は、動かされているのかなと思ったのですね。
もちろん、一個一個の判断はしてきたのですけれども。なんかこう、もう導かれている部分があるのかなと思っていますね。
《 加 》 そこでやはりあの、大來としての、輝きがでると良いですね。
《 大 》 そうですね。そこが今度は、我と呼ばれる部分が出てくるのですけれども。じゃあ、接客やるなら、他のことと同じことをしない方が良いなと思って。独特なことをしていこうということで、この英語を使った仏教説法とかをやっていくのですよね。
《 加 》 英語を使うことで、日本語がこう逆に分かってきますよね。
《 大 》 わかってくるということもありますね。
《 加 》 単純ですよね。
《 大 》 ただ、単純なんですよ。すごく単純なことなんですよね。すべてが。
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