こんにちは。相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成28年6月16日の木曜日です。
僕自身が体と向き合ったり物事と向き合う上で、最初の前提としての自分自身のスタンスとしては、人間は限定的なところしか見れないというところからスタートして、自分自身が気づいていない部分だとか、わかってない部分をどういうふうに感じられていくのかということを絶えず模索しています。
ひとつの現状認識の方法として、以前からこういった図を少しずつ出させていただいてますけども、通常は限定的な視野しか見れない。無限の現実がある中で、一般化と削除と歪曲ということを通して自分自身が限定的な視野で物事を見ている。
そこから理性が働いて行動が起こってくる。行動に対して自分は正しいことをしているんだっていう信念がバックアップしている。
また信念がこういった視野を作っているというような。
こういった自分自身は正しいんだということに固執してしまうということは、どういうことかというと、無限な現実がある中で限定的な視野にどんどん、ここしか駄目だという状況になってしまいますので、それに固執していくとどんどん自分自身がちっぽけになっていって、現実社会とのすれ違いが起こってしまうということが、日本の歴史を見ても、特に思い込んでしまう場合においてはあるのかな、というのはあります。
そこで、自分自身の無限の可能性に沿っていくために、できるだけ直感にアクセスしようということ。
直感にアクセスする上で、こういった色んな抵抗があるんですけれども、こういった抵抗に対してあるっていうことを前提として、そのためにこういった直感の方にアクセスしていくにはどうしたらいいのかなというのを少しずつお話させていただきました。
限定的な視野とは言いますけれども、この表自体も僕自身の限定的な感覚から生まれたもので、ひとつの現実を見る見方でしかないんすが、言ってみれば以前に言ったように、ひとつの仮説であるわけなんですけれども、その仮説が現実社会でうまく筋が通ってるかどうかということを考えていく上で、非常に重要なのは結果を見るということなんですけれども、うまくいってるかどうか。
それで筋が通るかどうかということなんですが、人間の歴史を見て見るとやはり政治のイデオロギーとか理念とか、頭で考えるようなことというのは、あまり長続きしてない。
何千年と長続きしている政治のイデオロギーというのは、基本的にはないので、あったとしてもイデオロギーが少し変わって、直感に結びつくような宗教的な要素を含んだような感じになってきます。
長年何千年と続いてる宗教というのは、色々いざこざを起こすような部分というのは、やはり限定的な視野や理性の部分というのは、大きな宗教であればそういう性質もあるんですけれども、根本的に継続している、本当に宗教を真面目にやっている方々、継続させていただいている根幹のところの経験が信者の方というのは、こっちに繋がっているということがあるから、何年も続いているんじゃないかなという気はしています。
なので、基本的には本質的に近づけば近づくほど長続きするというかうまくいくので、結果として継続しているということが歴史を見て感じましたので今日お話させていただきました。この表のイメージを軽くおさらいしてみました。今後できれば、こういった抵抗に関しての扱い方や乗り越え方や消し方みたいなのをお話できればなと思います。今日は以上です。
相武台脳神経外科
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