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カメラのピントのように物事の捉え方を自在に変えてみる。

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こんにちは、相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成29年1月17日の火曜日です。
以前から、自分自身で起こる出来事というのは、出来事そのものには別に何の意味もなくて、色んな原因が重なってそれが必然的に起こったということだと思うんですが、その出来事に対して意味を持たせるというのは自分自身で、その意味の持たせ方で自分が得られる意味というのが変わってくる。
例えば病気が起こったときに、それをどう捉えていくか。自分の欲というか、目先のことで捉えるのであれば、症状がきついから、目先のことだけであれば、症状を抑えるために痛み止めとか、気持ちが落ち込むんだったら抗うつ剤とか、お薬である程度症状がとれる、それでよかったな。その病気という意味が、長年自分が体に迷惑をかけてきて、ひとつの危険信号だなというふうにちょっと長い目で捉えることができれば、この先もこのまま体に無理をかけていけば、病気だけじゃなくて命にも関わるなというふうな意味を自分でとることができれば、体にいいことを増やして、体に悪いことを減らして少しずつ借金経営から離脱していくという方向性が、もしかしたら取れるかもしれないです。
あと病気という意味が、もっと自分の親とか自分の子供とかに、それがどういう意味を持つのかな、自分のご先祖様からの流れからするとどういう意味を持つのかなっていうことが、自分自身が動けなくなることで、もし自分が経営者だったら、その分子供さんとかが、舵取りをせざるをえなくなることによって、やっぱり本当は自分は引くべきときだったんだなというのが、長い目で見れば意味づけとして自分で受け取ることができたり、それがもしかしたら自分がそういったふうに、死ぬまで会社の経営をするんじゃなくて、生きてるうちに子供に引き継ぐことができることによって、長い間一族経営ができるような会社のシステムができる。
そういった長い目での捉え方というのも、もしかしたらできるかもしれないです。目先のことでとればとるほど、自分にとって得られる効果というのは目先のものであるし、深くより時間的スパンを長くとればとるほど、自分が得られる効果というのは深いもので、時間的にも大きいものが得られる。
ものごとに対して意味はなくて、どういうふうな意味づけで自分自身がしていくかによって、自分自身が得られる結果というのが変わってくると僕自身は思います。
そのことに関して、僕の知り合いの人でずっとお母さんの介護をされていて、お嫁さんも大変な思いをされていて、長い間介護をしていかれる中で限界がきて施設に預けて、そこからお母さんの寿命が終わって、そのあと残された家族とか子供さんがいるんですが、子供さんの中で介護をして大変だった子供さんと、介護しないで遠方でいた子供さんと、色んな意味でいざこざが起こる可能性があるんですが、そのいざこざというのが、どういうことで起こってるのかというのは、物事を捉える意味づけの違いによって起こってる可能性があるので、そのことに関してまた次回お話しさせていただけたらなと思います。今日は以上です。

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