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日本での新たな出発 第8回

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《 加 》    こんにちは。相武台脳神経科外科の加藤貴弘です。今日は、チャンネルSで、日本でたった一人のチベット医として活躍されています。小川康先生をお招きして、お話を伺います。どうぞ、よろしくお願い致します。

《 小 》   正直言って、チベット社会にいる時よりも、日本社会に戻ってきた時のほうが辛かった。チベット医学というイメージで期待されるものと、僕ができることってすごく違ったんですよね。そこに、すごい悩んだり。

《 加 》    でも、日本人はそんなに期待しているのですか。

《 小 》    いやまぁ、東洋医学の奇跡ですよね。もちろんそういう方達のお陰で、僕も色々考えさせられたし。もちろん僕は魔法の薬を持っているわけでもないし。持ってる物って言ったら、山で採ってくる薬草しか無いですから。でも、その中で徐々に徐々にこう、段々と人が認めてくれて。多少ですよ。認めてくれてきて。小川さんってこういう人なんだと。後は、新聞で取り上げてくれたり。それで徐々に人が増えてきてきたのだけれども。

 僕、その結局、チベット医学という凄く1000年続く凄いもの。場なんだと思っていますよやはり。ただ、結局ここに来て山の中で、はい、薬草を採って乾燥をして作りました。それで終わるんですよ結構。終わっちゃうのですよ。いいですね、自然の物って。そういう、自然が好きな人達が来て、なんかねもっと僕って、何かこうもっと日本社会のこう。さっき言った知識って何だろうとか含めた。もっとこう貫くような力ってないよねって。あのやっていることが。なんかこう、いわゆる表面的というか。

《 加 》    なんかその、奥さんの趣味みたいな感じで。

《 小 》    まぁ、奥さんに失礼かもしれないですけれども。結局、森って良いよね。自然って良いよね。ほら、自然の物って良いよねという。どうもそこで、終わってしまう。一つの感想を聞いても。でも、自分が伝えたいことってもっと違うだろうと。日本の歴史をもっと貫いて、もっとこうぐわっと引き寄せるようなものじゃないだろうかという。

 そこで僕は、ふっとこう思った時には、大学院に行って学び直したいと思ったんですよね。そこで、僕が選んだのが、教育学だったのですよ。知識ってなんだろうという問いを含めた、それを教育の現場にもっとこうガツンとこうフィードバックが出来るものが欲しい。そこで、本当にやはりこれは不思議な偶然で、僕のワークショップに早稲田大学の先生が参加してくるんですよ。

 いつも僕、冗談で言うのが、私の先生は昔、私の生徒でしたと。山西祐司先生という、国際理解教育の先生なんですよ。異文化をどう理解、日本の社会の中に。異文化理解ということを。僕もチベット医学って、異文化をどう足元でこう再現して活かすかという。それを、こういう先人から、お前の解説は浅いって怒られるかもしれないけれども。僕が最終に、端的に捉えたところはそこだったんですよ。

 そこで僕は、もう1回、教育哲学をルソーとかデューイだとか、ソクラテス、アリストテレスを勉強し直して。入学試験のために。それまで、やったことがなかったんですけれど。哲学というものを。はっきり言いますけれど、ちょっと大学時代って、馬鹿にしてました。何哲学ってみたいな。

 でも、それを実際に、43の時か。聞いて、うわっと凄く共感するところ。そこに最大公約数が初めて生まれてくるわけですよね。自分の人生と。おぉ、そうそうそうって。そういうことが凄く共感が出来て。初めてその教育哲学を勉強して。そして、早稲田の大学院にその1年間だけ僕ね、練馬に住んでいました。通ったんですよ。

 そこで初めて、さっき言ったように1000年続く縦軸を、日本版を得たわけですよね。日本の教育って結局、ヨーロッパに習っているわけですよね、明治維新の時に。そこってどこから行くかというと、ルソーの十位だったりとか。ちょっと専門用語で言うと、ヘルパーだとかヘルバルトだとか。そういう教育の昔の哲学の人たちからの流れの軸を、まだまだ浅いですけれども、勉強したわけですよ。そうすると、日本の教育に対してどのように働きかけていけば良いのかという、手がかりは得ることができたなという感じで。

 なんとなく、ぼんやりと手がかりを得たところで、1年いてやはり、僕は森の中にいないと駄目だと思ったんですよ。身体性。1年間、東京にいてね。身体性を失われたことが凄くあった。ずっと初めて東京生活で、あのね講演活動は相変わらずやるんですよ。自分の言葉が弱くなっていくのが分かるんですよ。東京に住んでいると。あ、この人は東京に住んでる人としてなんだけれども。僕の性格なんですよ。身体性がないと、言葉が生きてこないという性格なんですよね。

 これはと思って、すぐに戻ろうと。単位はだいぶ足りていて、もう頑張って大学に行ったので。それから週に1回だけ、東京に通いながら。今度は上田市の小諸市では無いんですけれど、色々とありまして。小諸市の隣の上田市の別所温泉というところに、これもたまたま空き家を紹介して頂いて、そこを見つけて、今は森のくすり塾という旗を立ち上げたのです。

  それって、森のくすり塾というテーマってこれ。まぁ、それなりに一つひとつの文字に意味があって、まずチベットという名前を取ったのですよ。僕の中で。僕にある活動というのは、チベットということではないわけなので。医学というのは、ちょっとおこがましい正直いって僕は。薬学部出身だし。日本のお医者さんたちに語りかけるには、やはり薬というキーワードが良いんじゃないかなと。

 塾というのも、ある意味僕の中で謙虚にというか、みんなが自然と集まってくれれば良いなという思いがあるんですよね。それで今、別所温泉に森の薬を立ち上げて、また新たな活動を。それって今までと違う、ただ森の中で薬草を作ろうよ。薬を作ろうよということではなくて。それを通して、例えば今みたいな問いかけ。今日の対話のような問いかけを、自然とこう盛り上がったこともあります。

 例えば、今、特に僕は子供を対象に、比較的意図的にやるんです。8歳や9歳。そう言っているとやはり例えば、スーパーサイエンスハイスクールと言って、一番僕凄く去年、一昨年かな。印象に残っているのが、シンガポール、台湾、韓国、日本の子供たちを17名集めて、英語で4日間僕、授業をやったんですよ。凄いでしょう。

《 加 》    凄いですね。

 

《 小 》    テーマは薬。テーマは薬というテーマで、薬を作ろうというテーマで。奈良女子大付属高校でやったんですよ。そこで、四日間合宿形式で。まぁ、4日目になるともう、英語も無茶苦茶になってきて、日本語を喋ってましたけれどもね。ただ、薬作りを通して、みんなが国境を越えたんですよ。みんなが薬作りを通して、まぁ、ちょっと誤解を受けない。何の薬を作ったかと言うと。例えば、キハダという液を濃縮して、陀羅尼助、百草丸のような。昔の古来から伝わる日本の薬のちょっと再現をしたんですよ。そういった薬作りを通して、みんなが英語で議論をし。そして、みんなが今も、今ではLINEと言うのですか。LINEとか。僕はちょっとインターネットが弱いので。E メールを通して今も、なんか連絡を取り合っている。

 人類の歴史を、もう1回最初から追体験してみよう。で、その先に、今の医学があったら良いなと思って。森から初めて、僕は最後に主に電子治療があっても良いし。MRI を使った治療があっても良いけれど、僕はそこを一直線に繋げたいのです。今って何かそういう自然の医療って、別の枠で捉えません?こっちとこっちって。

《 加 》    なんか対立という様な感じで。

《 小 》    対立していますよね。僕はそれをやはり、薬のグレートジャーニーを通して、一直線に繋げて。そういうワークショップを今、こうやっているうちに。本当に、ある人からこう、実際に本当に森が降ってきたと言うか。今は、更に森のくすり塾の空き家をやっている、ちょっと離れた、裏のちょっと離れた本当の森の中の森を、小川さんいりませんかと言うとちょっとまぁ、語弊があるのですけれども。使いませんかという。今、オファーがあって。

 その森の中に今、本当に木を切って。運んで、製材所に持ち込んで。今は製材していて。今は墨付けといってこう、まぁ、僕がやるのではなく。僕の一緒に頼んでいる設計士さん、兼大工さんたちのチームを組んで。今、薬屋を今そこで、自分たちの手で作っているところなんですよね。

《 加 》    ワクワクしますね。

《 小 》    ワクワクするというか。面白いですよね。だから医療ってさ、こういう風に始まるんじゃないかなと。例えば、僕たちがチベット医学の医療の現場って、意外と山の中にいて、テント作りで一日潰れていたんですよ。だって、テントがないと、薬って作れないんですよ。ベースキャンプ。テントを作るのにまず、一日かかるんですよ。で、テントを作れないと、医学って始まらないなと思ったのですよね。

《 加 》    小屋が無いと。

《 小 》    小屋がないと。それと同じで、僕はまずそこの土地に馴染むということが第一段階。これは2年間かかりましたけれども。その土地を、どうぞと。どうぞというのはちょっとこう、非常に安いお値段で譲って頂いて。そこまでに2年間かかったんですけれど。そして、これからいよいよそこに、自分達の薬を。城というか現場を作る。そこにもちろん、すごい薬をだすわけではない。意外と普通の薬を僕は出しますし。現場でこうやってハーブを出すのですけれども、なんかそこの営みというものが、ある意味僕は、チベット医学であり。日本の昔の医学でもあり。そのルーツというか、そこに隣に、僕は加藤先生の脳神経外科があったら良いなぁと思うのですけれどもね。

 なんだろうね。そういうこう、森の向こうの先端に、そういう最先端のものがあると良いなと思って。で、最先端のものを辿って行くと、いつも森に行くような 。なんかそういうイメージ。だから違うものではなくて。東洋医学だ、西洋医学だ、自然だという。ナチュラルだ、ケミカルだと二つに分けるのでは無くて。加藤先生もやはりベルリンの壁を取り払いましょうよ。なんというかその、医学と薬学に携わる中でそこを繋いで。

《 加 》    流れがやはりあると、安心感がありますよね。

《 小 》    そうなんですよね。流れと、流れですよね。

《 加 》    一貫性というか。

《 小 》    一貫性で、今はどこにいるんだろ自分はというのを。だから僕は、加藤先生のために、ちゃんと森を一個取っておいてあるというか。病院が出来る程の木もあるし。ただ、切るところから始めますけれども。じゃあ、今度は森で。森で対談ということでよろしいですかね。

《 加 》    そうですね。ちょっと行ってみたいですね。

《 小 》    決まりましたね。

 
相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘

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