こんにちは。相武台脳神経外科の加藤貴弘です。今日は平成28年6月18日の土曜日です。
先日から、物事の認知の仕方ということをお話させていただいています。
もう一回言うと、僕たちは一般的な物事を理解していく上で、本当言うと世の中の現象というのは、無限の可能性があるものだと思うんですが、それを情報として自分自身の頭の中で捉えていく上で、似たようなものだからこれはこうだろうというふうに一般化する。削除、そもそも理解できないから見ないようにしている。歪曲、捻じ曲げて自分自身の頭の中で理解して限定的な視野を生み出している。
人間としてはどうしてもそういった部分もあるんですけれども、それで理性が生み出され、行動を引き起こされ、行動というのはもちろん信念、自分自身が正しいんだというので行動が自分自身を正当化して生きている。
その信念を生み出しているのが、認知からくる現実の捉え方であるという話をさせていただきました。
ただ、今の自分自身の状況をうち破って、無限の可能性で色んなことをやっていきたいと思ったときに、やはりここでぐるぐる回ってる、自分自身が正しいんだとやっていると、限定的な視野に全部はまりこんでしまって、どんどんちっぽけになりますので、無限の可能性にアクセスしていくということが重要。
自分が生きていく中で、無限の可能性に一番アクセスしやすいのは、自分自身の体を通して無限の可能性にアクセスする。自分自身の可能性というのは、自分自身は自然から生まれた無限のものですから、感覚ということが無限の可能性の扉になってくる。そこから先にある直感というのが、無限にアクセスする窓口じゃないかなというふうに、僕自身は捉えていて、こっちにアクセスすることが大切ですよということを言ってます。
ただやっていく中で、やはり抵抗になることがあります。それが、2番目の罪悪感ということになるんですけれども、罪悪感というのも、あれしちゃ駄目だ、こうしては駄目だ、ああしなきゃ良かった、昔この人にご迷惑をかけてしまって自分はなんて駄目な人間なんだろう。
自分自身をすごく責める気持ち、何がこういうことを生み出してるかというと、そもそも正しいとか善とか悪とかっていう発想から生み出されてるわけで、それは自分自身の限定的な視野が生み出した感情に過ぎない。
そういった、自分自身は悪い人間だ、ああいうことしなきゃ良かったな、ご迷惑かけてしまったなとか思ってしまうと、例えば感覚が元気になって良くなって無限の直感を感じるようになったとしても、そこから生まれる行動というのは、こんなことやる自分じゃないというふうに抵抗してしまうので、結局そういった無限の直感を感じることができても、行動に繋がっていかない。ブロックしてしまうということは、罪悪感があります。
それに対して、僕自身が好きな言葉なんですが、英語なんですけども、昔英語のドラマを見てすごく好きな表現だなと思ったのは、you deserves it というふうにディザーブという、あなたをそれをする、その価値がある人間ですよというふうに相手に言う言葉。
それはすごく好きな言葉で、今の状況を打開して、自分の無限の可能性にアクセスしていくためには、自分自身はそういう価値がある。
例えば下世話な話ですけれども、お金持ちになりたいんだったら、お金持ちになる、自分は価値があるって思えないと一生お金持ちになれない。お金持ちになることに対して、何らかの罪悪感とか後ろめたさがあるのであればなれないものだと僕自身は思います。
なので、例えば目の前においしい食べ物があったら、自分自身はすごい罪深い人間なので、こんなおいしいものを食べる価値がないということを思うんじゃなくて、自分自身はそれを食べる価値がある人間、食べて元気になってみんなにいい影響を与えていく、みんなを幸せにしていく。
そういった無限の可能性にアクセスしていく抵抗になるものが罪悪感になって、こういうことしちゃ駄目なのかな、こんなことは自分自身は価値がない人間じゃないかなっていうことが、意外に抵抗になってきますので、自分自身は価値がある人間と思えれば、そっち方向にいけるんじゃないかなと思います。
昨日の常識の抵抗ということもありましたし、罪悪感ということもあります。そういうのが色々抵抗になってくるんですが、それを乗り越える方法というのは、また追い追いお話させていただきたいなと思います。
明日は、もうちょっと抵抗に関して下の部分、お話させていただきたいなと思います。今日は以上です。
相武台脳神経外科
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