<スタッフと院長のやりとり備忘録>
2013.04.21 W初もの!(FMラジオ初収録、コアトレ親子セミナー初開催byバランス教室)を読んで
>ある事象があり、それを理解するには、観察者の状況で理解の行為の意味が全く異なります。
これは、どのようなことかと言いますと、宇宙から地球を望遠鏡で観察し、そのピントの合わせ方で、地球全体もみることが可能だし、日本列島全体をみることも可能だし、相武台脳神経外科の〇〇ビルに焦点をあわせることも可能ということ。
つまり物事を理解するときに、自分の必要な情報を考えて「ピント」をあわせることが必要です。そのことを、考えると
「西洋医学では人間の身体を部品のように扱い結局理解できない。」
「東洋医学は、宗教的で胡散臭い。」
このどちらの意見も的外れであるとわかります。つまり「ピント」の問題です。単にどこに照準をあわせているかだけであり、西洋医学からも人間の身体を理解出来るのであり、東洋医学からも人間の身体を理解できるのです。
ただ、私達が、気を付けなければいけないのは、物事を理解する上で、様々な角度から、さらに様々な距離感で物事を理解するように努めなければいけないということです。
なぜなら、人は、歴史から学ぶと、一定の距離のみで理解したいという傾向があるからです。一つのことが真理だと「信じる」ことほど怖いことは、ありません。
●このブログを読んで、「西洋医学では人間の身体を部品のように扱い結局理解できない。」
「東洋医学は、宗教的で胡散臭い。」このどちらの意見も的外れであるとわかります。
というのが特に読んでいてほっとした、先生が文字にしてくださって、素人の私が日々悩んでいたことに手を差し伸べてくださったように感じました。
日々自分の心地よさ、家族の健康を考える為に情報を得ていく中、ネットを含め偏った内容も多く散見します。
他方を否定し、自分の正しさを主張する。素人のわたしは、囚われないよう何とか選択しようと思いながら、頭を抱えてしまうことがよくあります。
また、私の家族は西洋医学の専門家が二人いるのですが、東洋医学については懐疑的で、意見を聞くことは難しいなぁ、と思うこともあったため、先生からの広い視点からのお話がすごく心強く感じたのだと思います。
私は6月から大学院の授業が始まり、課題の書籍や資料と並行して、御院で働き、ティールを読んで先生にメールを送らせて頂く日々が続いています。
その中で先生のお話や御院の方針など重なる部分が多く、医療、組織論、デザイン、美術を語る上で共通言語がこんなにあることにとても驚き、同時に納得しています。
現在「無用のデザイン」についてのレポートを作成中なのですが、その中で生態学者で民俗学者の梅棹忠夫先生が講演資料の中で、
①目的が明確であるということは機能的であること、機能的であるということは単能的であること
②「無用の用」、何にも役立たないように見えるが本当は一段高いレベルでは高いレベルでは立派に役に立っている。
③本来は独自の形態が中から湧きでるものを自ずから助けるだけでよかったものを、問題解決に目を向けすぎ、また経済合理性の制約、計画的なねじ曲げを受けざるを得ないようになってきた。
④これからのデザインは目的、問題解決にばかりとらわれず、無用主義、次世代のデザインについて考える機会を設けてみてはどうか
というお話をされています。
これがわたしの中で西洋医学と東洋医学、ピントを合わせること、衰退していったインダストリアルデザインとティール組織、様々な距離感で物事を理解しようとすること…等読んでいて、同じ流れに気づく点がとても多くありました。
知識をしっかりと得た上で素直に自分の感じ得られたものを信じ、判断していく大切さを強く感じ、深めていきたいと思っています。
回答:ありがとうございます。 本質的にはどれも つながっているので、 日本語で「一をきいて十を知る」ということわざがあるくらいなのですが、
〇〇さんとは、ながくコツコツと 切磋琢磨させていただきたいので、 あまり 無理のない範囲で 勉強とお仕事と家事と すすめていただけますと幸いです。
相武台脳神経外科
頭痛、めまい、耳鳴り、海老名、厚木、新百合ヶ丘